幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

101年前の今日、わが父は生まれた。

2017-08-26 20:33:49 | 日記

どんな顔をした赤ちゃんだったんだろう? 父の生まれは長野の松代。 最近、大本営があった場所として少しだけ知られた小さな田舎だ。 ソレほど高くはない山々が迫っていて、いつも思うことは「ココは日照時間が短いなぁ・・・。」 祖父はいろいろな面で「やり手」だったらしい。 生まれた時の家は「あの神社の近くの大きなクルミの木があるお屋敷、そのうちに・・・」と下降線を辿ったらしいが、ソウいう話には興味がなかった私。 その点、弟、すぐ下の弟はカナリ詳しい。 もっとも、父本人は身の上話などする人ではなかったので、弟は誰から聞いたんだろう?? 

いくつの時かは知らないが、祖母は家を出て彼女の実家の世話になり小さな家で次男たる父と暮らしたそうな。 長男は祖父の方にとどまったらしいが戦死。 異母弟妹もいたようだが、東京の大空襲で亡くなったと母から聞いていたが、最近、弟が独り存命であることがわかった由。 運命って・・・?

父本人は中学4年修了で旧制高校、そして大学に進み、ソレナリの職業に就いた。 おかげで、私は、本来なら苦労が当然の人生をノウノウとやってこれた次第。 (ジマン話、「当時5年まである中学を4年で高校へ・ ・優秀だったらしいが、コレは本人から聞いたことはナク、親戚、彼の友人から聞いた話。) 「若い時の苦労は買ってでもセヨ!」と言う言葉もあるが、デキルことなら「ラク」をしたい。 「ノウノウ・・」は両親と弟たちのお陰・・・と心底、感謝している私。 

非常に堅苦しい仕事に就いた父だが、タブン、あまり好きでないシゴトだった? 少し早めに退職して、別のシゴトについた。 空席があるということで、単身赴任までして早朝テニスや週末スキーを楽しんでいたっけ・・。 彼はスイスのツェルマットで人生の終焉を迎えた。スキーを楽しんで山から滑降してきて気付いたら雲の上にいた??  幸せな最期だったと思う。 かなり個性的、別の言い方だとアクの強い人だった。 が、父と娘は相互に甘く、ムスコは逆。 母とムスコはこの逆。 父は幸せな終焉を迎えるに値することを私にはしてくれたと思う。 ありがとう!  若い時、海外志向が強かったらしい父。 海外、いわゆる満州の政府機関に転職したこともある。 海外旅行は殆どがスキーツァー。 観光旅行ナシ。 私も少し、そのケあり?? 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿