幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

庭の柿を取りました。

2014-10-27 15:48:22 | 日記
我が家は築41年余りの旧家、否、古家。家を建てた際に、庭の端っこに柿の木を植えた。最初の十年ほどは実がならずに邪魔なだけだったが、なり始めるとお陰さまで美味しい甘柿を毎年、供してくれる。子どもたちが小学生の頃、この辺りも小学生が大勢。11月ごろ、柿を取ろうとするとドコからか子ども達が出てきて、気前よく分けたものだ。それから30年! 柿の実を取ろうとしても誰も出てこないが、木は大きくなった。幹はゴツゴツと風情が出、実も沢山なる。日頃、騒々しいクラスでご迷惑を掛けているご近所、何よりも枝が大幅にガレージの上に侵害しているお隣へお持ちして、日頃の無礼をお詫びしている。 

木を植える時は、木が大きく成長するということを考えていなかったように思う。40年後という歳月は遥か彼方で想像外だが、経ってみるとなんと短いことか! が、それなりに長く、我が子とてイイ年だ。今年は、このまま枝が伸びると電線に触れるのではないか・・・と心配だった。その上、台風、それも「今までにない猛烈に強い台風」なんて接頭語がつく台風襲来の予報が出るたびに、古い木なので倒れないだろうか、倒れたら我が家もかなりのダメージが・・と気がかりだったが、ビクともせずに、近来、稀なほど沢山の実を付けてくれた。

で、柿取り! 木に登って柿を取ることは私にだってデキル?!? が、この仕事は息子にヤラセネバ・・・・。 彼は柿の枝を切るために、新聞広告をみて電ノコ購入を提案。彼に全権委任し、彼は現物を入念にチェックして買ってきた。 コードを繋いでスイッチを入れると鋸の歯が動き出す。 が、本体も振動してソレを抑えるのに力がいる。 安全弁もないしギヤもないので、十分に注意して使う必要がある。 が、手で切るよりも数段と速く便利そうだ。 小枝はハサミで切るが、直径3~5センチほどの枝切りにはコレを使えば労力が激減するであろうので、私も使ってみようと思っている。 が、息子ドノ、危険なので、なるべく独りダケでは使わないように・・・と。 オヤサシイこと!

最後の大仕事は後片付け。枝を小さく切って、葉っぱを袋に入れて・・・・と、書いているだけでウンザリ! シコシコ、やるっきゃないね。千里の道も一歩から・・・? 昔は焚き火をして葉っぱを燃やしたのに・・・。 最近の焚き火禁止はとても残念だ。
私は山尾三省氏の 「火を焚きなさい」という詩が大好きだ。黙って燃える炎を見ながらイロイロなことを考えるって、心地よいのよネ。 

「山に夕闇がせまる  子供達よ  ほら もう夜が背中まできている 火を焚きなさい  お前達の心残りの遊びをやめて  大昔の心にかえり  火を焚きなさい ・・・・・・・・」

爆笑モンでした!

2014-10-17 12:36:33 | 日記
ココ一週間あまり、悶々と心が晴れなかった私・・・タイトルどおりです。 今朝、友人からメールが届いていた。 「充電が必要だったのは携帯電話ヨ。」と。ナヌ~・・・・? 読んだ瞬間、心がス~~と軽くなるとは、我が心の感度が敏感なのか、他愛ないのか? 

ケイタイ非所持者にとっては「ケイタイの充電」なんて想定外。ドコにいても存在感抜群の女傑たる彼女。 私の無用な言動は不要・・との忠告のあとの妙にシタテに出た文や「しばらく、やり取り休止をお願い・・・」でスッカリお叱りを受けた・・・と、思った。 彼女は、面倒くさい友人との「やり取りはしばし勘弁・・」と思ったのだろうと解したものの、「ナゼ、何がそこまで?」と分からない私はイジイジ。 イヤハヤ・・!!

彼女、明日は近辺の山に日帰り登山。明後日は渓谷散策。20~23日はダンナ殿の仲間と“どうでもいい観光旅行”(彼女の弁)とのこと・・・・ご自身のエネルギーの枯渇にお気をつけアソバセ。


因みに、私は携帯電話にも「〇〇さんのお宅ですか?」と掛ける。


充電期間・・・

2014-10-14 11:37:45 | 日記
昨夜、例の友人からメールが届いた。 連休3日間、友人別荘での宿泊BBQ・・・。今日からまとも(?)にシゴトして週末は登山。今年の秋を満喫している由。 ソウね、十分楽しめば充電できる!  連休中、アタシ・・・ウジウジ、燻ってました。 生協でばら肉が安くなっていたので買ってきたから来週あたりにベーコン作ろう。 アッ、母が隣人に依頼して田舎の“故郷の廃家”同然の庭に植えた紅玉が手元に届いたのでそれを使って、ほぼレシピどおりにアップルパイを作ったっけ! 生地サクサク、林檎はスゴク甘い! ブラックコーヒーにOK♪ 

それにしても・・・・ ほぼ絶縁状だと思った私は戸惑っているけど、ヨカッタってことよネ。 私の過剰反応だったの? 

コレって仲違い???

2014-10-10 15:48:52 | 日記
 気分がハイ色なのでハイ色にしよう・・っと! 
先週土曜日、大いにハジケしてハイになっていた。その数日後、友人から今年一番の目標だった高山踏破の喜びを写真添付でもらい、然らばコチラもとイソイソと報告した。が、“バシャッ!!”  突然、冷や水なのか熱湯なのかを浴びせらて、今、撃沈! 「・・・充電の都合上しばらくやり取り休止にお願いします・・・」と。 

友人は高校の同級生。少し前、トある場で、「高校時代の同級生」と私を紹介する彼女に、私は「転校生」だったことを付け加えた。ソレを彼女は不快に感じていたようで、今になってメールに、「貴女にとって〇〇はタマタマ、父上の任地で立ち寄った田舎だったのね。」と。 タシカに2年毎に転勤、転校があった。
「高校の同級生」、即ち、短絡的に「華やいで笑い転げている」女子高生のイメージを持つ私は、しなくてもよい補足説明をしたようだ。「あの場で説明は無用!」「しばらく休止を・・・」というメールが届くとメゲル。

タシカに無用だった。然らば、売り言葉に買い言葉・私にとっては「高校の・・」は不要。「同級生」意識は薄かった。 一年間の同級生だが、私にとっては高校卒業後30年の空白を経て復活した友人。 以後、パワフルな生き方を尊敬し、私を誘ってくれることを喜んでいた。 書き出すと長くなるからヤメルけど、私自身は高校の2年間なんて思い出したくもない痛恨の時代。イジメは断じてなかったが、精神的DV(?)の暗黒時代。コノ辺りのことを話した時、彼女に「ソレは言うな!」とたしなめられた。豪快・賢明な現役専門職の彼女にしてみれば、ウジウジした過去の思いなんて聞きたくもないだろう。 が、知って欲しい・・・のよネ。 彼女からは地元での高校同期生同士の濃密な交流を楽しんでいる様子を常に聞いていたので、私も「同窓会を楽しめた!」と思い、コチラも写真添付で返信すると、上記のようなメールが届いた次第。

ヒトには「投げ手」と「受け手」がある。我々の付き合い範囲では指導的立場・やり手は話し手。ツマラン話など聞きたくないのだろう。 一方的に話し、コチラ側が話すと平気で遮って、別の話題であっても続ける。 自然淘汰(?)には強制力も必要なのだ! 一般社会で人の上にたつ御仁のコノ辺りを知りたい。 学習した私、お話を承ったフリをしてスル~させている昨今だが・・・。 


PS. 実は2週間後に高校の同期会が〇〇市である。私はモチロン欠席するが、ソレをサテおいて、部活の同窓会の様子を楽しげに、ヒジョ~に楽しげに伝えたことが、彼女の気を害したのか? 遠隔地で、2年間住んだ土地に対する思い出はない。 高校3年間の同期会と言っても、多くの人はソコで育ち、小・中を同じにしている。家族も知っていること多々ある。 私は話題に入れない。・・・っとグダグダ書いて落ち着いたつもりだったが、ヤッパリ気になる。 何がワルイのか・・・気付かぬ私、自信喪失。ムナシイね! 

再び・・・50年!

2014-10-05 13:57:48 | 日記
私はココ数ヶ月間だけだが、 多くの人たちが一年以上も前から準備していた一大事業「創立50周年記念音楽会」が昨日催された。 コレを企画した仲間に感謝、深謝、謝々の言葉もナイ・・ではなく、いくら言っても言い切れない。 私は最近、練習に参加しただけだが、懐かしい面々の顔を見るにつけ「〇〇クン!」・「〇〇(旧姓)さん!」っと握手したり、ハグしたり・・。練習終了後は、駅中の飲み屋でビールを共にしながら昔話を少しダケしてサヨナラ。 が、昨日は、演奏終了後、現役はモチロン、演奏には参加しなかった仲間も交えての盛大なレセプションでハジケタ! それにしても50年だ。 振り返れば、夫々の歴史があったのは事実だが、一言にしてしまえば「アッ」という間。 現役諸氏にとっては、遥か遠い、具体的な設計図も見えていない今後の50年だ。この時空を超えた仲間が集るというイベントを「壮大な」・・・と称したら大げさだろうか? オケらしく表現をさせてもらうと、モルダウの流れの最初、チョロチョロ・・にも満たないヒトスジの流れが、今や大河となった・・? 

現役の子が話しかけて来る。 私の名札を見て、「ヴァイオリンですね! 今日はありがとうございました。」 私は、ナカマである彼らの名前や期・パートを見て、「コチラこそ。・・(イロイロ話して)・・・50年後、アナタも今の私の年齢になっているのよねぇ・・。 50年後の演奏会、百周年に参加してネ。 覚えていたら私のこと思い出してネ。」 大学に入って初めて楽器を手にした子には、「続けてネ。学生時代は毎日練習できるから、ゼッタイに上手になれるわ! 卒業したら品川のOBオケで待っているわよ。」 話しかけてくる子、緊張していたかなぁ・・・。 私は彼らが愛しかった。 私がハタチ前後のころ、身近にいた50歳前後の年上は祖母か、近寄り難い非常勤の「教授」だったハズ。(私は近寄らなかった。) 私は、彼らにはド~映るのだろう?彼らの両親よりも年長だ。私自身は50年前に戻って大ハシャギ! この場にいられる幸せを満喫した。 50年後、我々はレジェンドだぁ・・で、我ら世代は一致。 現役生は「ユ~レイになって出てきて下さい。」・・・コチラのほうが何やら現実的、グサリッだ! 途中退席の顧問だった元教授センセイに、「先生、お元気で!」なんて仲間が言っていたけど、センセイと私たちは現役からみたらオナジ世代ヨ。

努力に比例して喜びの大きさが決まる・・・と信じている私。
同期のタカギさんはシミズくんの叱責にも近い参加要請で、コレを期に37年ぶりにヴァイオリンを手にしたとのこと。彼女の参加、ヴァイオリン再開がとても嬉しい! 同時に、彼女は毎日4時間も練習したとのことに、私自身は大いに恥じる。演奏終了直後は、地元オケの定演のためにマジメに練習しよう・・と思ったが、レセプションで弾けているうちに消滅! イカン・イカン! 練習開始当初から参加していたカセさんは直前、体調不良で参加断念。楽屋に見えていたけれど、参加できなかったことは残念だったことだろう。フルートやイングリッシュホルンでソロ箇所があったノダさん、シミズくんの練習量・緊張感は如何ばかりだったことか・・。と、なると、私は怠惰のナニモノでもナシ! 何度か遠路はるばる母校まで通った労力と50年という重みがもたらしてくれたこの度の喜びだったとしよう。 が、地道な努力をドコかでせにゃ・・・。

サクライくん、そしてハラさん、シミズくん、現役の仲間・・・本当にありがとう! みんなの慰労会、だれか立ち上げてぇ・・。 私、参加するわ!

ナカマである現役の皆さん、 演奏会場・レセプションの後片付けご苦労さま。私たちだって手伝えるのに・・。「先に帰るの申し訳ないなぁ・・。邪魔になるかナ?」ってダレカが言っていたけど、同じ思いの人多かったのよ。