隔週日曜日のアンサンブルの日だが、今回は都合で3週間ぶりの練習だった。 日曜日午前中に参集可能な人種はドチラかというと若くナイ。 出席率も我々世代が断然良い。 最近は若い人の出席が少ないなぁ・・・。 週日イソガシイ若い方、日曜日は他の予定があるのよネ。
気づいたら習っていたバヨリン。 当時は「好き」だなんてとても言えなかったが、両親に感謝している。 学校の勉強と同様、「するモノ」として素直に毎日、30分、練習していた。 2年毎の父の転勤もあったが、それぞれの土地で先生を見つけて続けた・・ってことはキライではなかったのだろうか? 中3の時、某県内のコンクールに向けて一時期、毎晩、先生のところへ通ったっけ。 その時の結果が、今も私の心中にかすかな自信となっているのは事実・・・誰にも言っていないけれどネ。
ムカシは譜面通りに弾き、先生の指示通りにすることシカ考えず、ソレが練習だった。 今は、ソレナリに曲想も考える。 「もっと音楽を聞いたり、曲について考える機会を与えることも必要だったよネ。」とは、後日、私同様に習っていた弟の弁。 確かに! は、ともかく、我ながらオカシイのは、自分がトップの時は”自分を出せる”! トップサイドだったりセカンドだと抑える。 が、以前、地元オケの万年セカンドだった時、ファーストの音を遮ってやれ・・・という邪悪な行為をしたことがあったっけどネ。 ゴメン! ファーストの音が聞こえないんだもん。
今のアンサンブルは曲毎にパートが変わる。 セカンドも、チーフによる編曲のビオラパートを兼ねたサードもナカナカ面白い。 長くて3ページほどの曲ばかり。 指揮者は仲間内。 気楽である反面、ちょっと物足りないけど、OBオケで大曲があるからコレで可。 刻みダケのセカンドをやっていた頃よりも楽しい。
自宅練習はホボ皆無だが、今の我が生活の中で自分を出せる場としてバヨリンが占める割合はとても大きい。 両親に感謝すること大。 オトナになって楽器を始めたヒトは演奏法について実に詳しい。 先生の指示のままに弾いてきた私、演奏法も楽典も全く弱い。 音楽の知識は中学の音楽の授業でストップ。 勘ピューターを頼りにというオソマツさ。 ゴメンナサイ!
オトナになって楽器を始めたヒトは演奏法について実に詳しい。 「ココはアップで弾くと・・・になって・・・だから・・・なんだよ。」 フ~ン・・・。 先生の指示のままに弾いてきた私、演奏法も楽典も全く弱い。 音楽の知識は中学の音楽の授業でストップ。 勘ピューターを頼りにというオソマツさ。 ゴメンナサイ!バヨリンという楽器は、構え方で習い始めた頃の年齢がワカル楽器なんです。 ツイデに真偽のほどはワカランが、私の楽器の内側にはクレモナのストラディバリウスの師匠「ニコロ・アマティの1675年の作」という紙切れが貼ってある。 先生のセンセイだった篠崎弘嗣センセイ経由で私の手元に来たバヨリン。 が、学生時代の生意気後輩は「テキト~に紙を貼ってコウするんだよ。」と一蹴。 篠崎先生は教則本を著作されたセンセイなんだけどなぁ・・・。