昨日、マイクロバスツァーで尾瀬に行ってきた。 私にとっては尾瀬デビュー。 「募集20名」という小規模に喜んで申し込んだが、アソコは大型バスの乗り入れ不可とのことによる、「小規模」だったようだ。 結果的には人数は無関係。バスの到着地「鳩待峠」を起点に、各自が自由に尾瀬のかの有名な木道を歩いて決められた時間までに戻るようにというツァー。 私は「鳩待峠」→「山の鼻」→「牛首分岐」まで行き、そこで引き返した。 相変わらず一人参加の私、バスの隣席だった「お一人さま」と時に一緒に、時に離れて4時間の尾瀬散歩を楽しんだ。 この隣席女史、山〝元”ガール。 今もアチコチの山を歩いてらっしゃるご様子。 「一人で行くのが一番イイわ。」とのことなので、私も思わず「友人が全く同じことを言っているのよ」と。 山歩きに慣れていない私にとって、「単独」はチトできん。 荷物は軽量・小型がベストの私に対して、彼女は手作りの佃煮、果物、飲料(冷水・熱湯)をご持参。 で、私は彼女からいただくバカリで恐縮の限り。 ご馳走さまでした。
で、彼女、大変なオシャベリ? 「話題が豊富」と言おう。 帰りの車中で、私が「欠伸が止まらないわ」というと、「じゃぁ、お休み・・。私はバスの中では眠れない人なので数独をするわ…」と言って、これまた持参の本を取り出していた。 私、熟睡まではできなかったが、暫しトロトロ・・。 関越に入ったころ、覚醒! 彼女、「私も寝ちゃったみたい」と言いつつ、また、イロイロと・・・。 「グループでの山行はメンドウだ。 会で行くとリーダーが、力もないのに威張って禁止事項ばかり・・」が大筋の彼女の話。グループと〝会”はとのこと。 「会」となるとリーダーという地位(?)が好きな人がいるのよねぇ・・・で意見一致。 お喋りはトモカク、ナカナカ面白いイイ人だった。
で、本題はココから! マイクロバスのシートは「2+1人掛け」。 暫くして、隣りの一人席の女性が「〇〇さんに似ているなぁ・・?」。 ○○さんは10余年前に、あることで知り合った人。 その時、私は初の海外旅行でイギリスのボーンマスでの「熟年の英語研修」に参加。 「英語研修をしたい」からではなく、通り一遍の名所旧跡めぐりよりも、「滞在したい」と言う理由で選んだ初の外国旅行だった。面白いことに、こういう旅行はホボ「お一人さま」参加。 空港で、現地で仲間が出来る・・・という素晴らしい旅行(?)、体験(?)はこのブログの初期(2013年3月)に記してあるので、そこをご参照下され。
ボーンマスで私はルシアンという癖のあるドイツ紳士と常にペアを組んだことで親しくなり、ケンシュウ終了後もメールが何度も往復、ついには彼は来日し、彼は拙宅で2泊した。初日の夜、彼と縁のあった日本女性が3名集った。2人はボーンマスの仲間。もう1人はルシアンのマラガでのスペイン語研修時の仲間のH子さん。 ホームステイを好む彼は、「マラガでスペイン語研修をした際、親しくなった「H子」とコンタクトを取ってくれ・・」とのご要望。 広い日本の中には膨大な数の「H子」さんがいるハズ。 が、たっての要望とあればコンタクトを取らないワケにはいかない。 で、なんと「H子」さんは、拙宅から自転車で10分もかからないトコロに在住だったのだ。なんという奇遇なんてものでなく、まさにキセキ!
彼女は旦那サンの車で5分ほどで拙宅に来られ、ルシアンとの対面が実現したのだ。 キセキ1のお話し。
もう1人は、ルシアンとステイ先が同じだった○○さん。彼女のお姉さまが私と同じ市に在住とのことで、都内からいらした。夜も遅くなり、H子さんも〇〇さんもそれぞれ、旦那さまやお姉さまに車の迎えを電話で依頼し、H子さんは翌日での都内での食事会への参加を再会を楽しみに帰られた。 が、○○さんのお迎えの車がなかなか来ない。私は外に出てみたところ、当時通い始めたスイミングでの友人に出会った。 「あらっ! ・・・・」 ナント、彼女が○○さんのお姉さまだった。スイミングでは新米の私は話しをする人も少なく、まして名前まで存じ上げている人はごく僅か。その僅かのうちのお一人だったのだ。 コレがキセキ2。
話しを戻すと、ツァーバスの方は〇〇さんご自身だった。 「似ているなぁ・・・」と思いつつも、隣席との絶えまないオシャベリで、確認する間もないまま、私は隣席との話題の中に少しづつ、「エイゴと私との関係」をソレとなく入れていた。 〇〇さんも少し気にしている様子にみえたから・・。 で、バスツァー解散となると、〇〇さんが先に「どこかでお会いしませんでしたか?」と声を掛けて下さった。 キセキ3!・・・と言ってもいいでしょ?
直ぐに帰宅せず、新宿でビールで再会を祝ったのは言うまでナイ! 私としては上出来!!
それにしても、人をつなぐ糸はイロイロだ。 何色? 先日はウィーンのスーパーで・・。
で、彼女、大変なオシャベリ? 「話題が豊富」と言おう。 帰りの車中で、私が「欠伸が止まらないわ」というと、「じゃぁ、お休み・・。私はバスの中では眠れない人なので数独をするわ…」と言って、これまた持参の本を取り出していた。 私、熟睡まではできなかったが、暫しトロトロ・・。 関越に入ったころ、覚醒! 彼女、「私も寝ちゃったみたい」と言いつつ、また、イロイロと・・・。 「グループでの山行はメンドウだ。 会で行くとリーダーが、力もないのに威張って禁止事項ばかり・・」が大筋の彼女の話。グループと〝会”はとのこと。 「会」となるとリーダーという地位(?)が好きな人がいるのよねぇ・・・で意見一致。 お喋りはトモカク、ナカナカ面白いイイ人だった。
で、本題はココから! マイクロバスのシートは「2+1人掛け」。 暫くして、隣りの一人席の女性が「〇〇さんに似ているなぁ・・?」。 ○○さんは10余年前に、あることで知り合った人。 その時、私は初の海外旅行でイギリスのボーンマスでの「熟年の英語研修」に参加。 「英語研修をしたい」からではなく、通り一遍の名所旧跡めぐりよりも、「滞在したい」と言う理由で選んだ初の外国旅行だった。面白いことに、こういう旅行はホボ「お一人さま」参加。 空港で、現地で仲間が出来る・・・という素晴らしい旅行(?)、体験(?)はこのブログの初期(2013年3月)に記してあるので、そこをご参照下され。
ボーンマスで私はルシアンという癖のあるドイツ紳士と常にペアを組んだことで親しくなり、ケンシュウ終了後もメールが何度も往復、ついには彼は来日し、彼は拙宅で2泊した。初日の夜、彼と縁のあった日本女性が3名集った。2人はボーンマスの仲間。もう1人はルシアンのマラガでのスペイン語研修時の仲間のH子さん。 ホームステイを好む彼は、「マラガでスペイン語研修をした際、親しくなった「H子」とコンタクトを取ってくれ・・」とのご要望。 広い日本の中には膨大な数の「H子」さんがいるハズ。 が、たっての要望とあればコンタクトを取らないワケにはいかない。 で、なんと「H子」さんは、拙宅から自転車で10分もかからないトコロに在住だったのだ。なんという奇遇なんてものでなく、まさにキセキ!
彼女は旦那サンの車で5分ほどで拙宅に来られ、ルシアンとの対面が実現したのだ。 キセキ1のお話し。
もう1人は、ルシアンとステイ先が同じだった○○さん。彼女のお姉さまが私と同じ市に在住とのことで、都内からいらした。夜も遅くなり、H子さんも〇〇さんもそれぞれ、旦那さまやお姉さまに車の迎えを電話で依頼し、H子さんは翌日での都内での食事会への参加を再会を楽しみに帰られた。 が、○○さんのお迎えの車がなかなか来ない。私は外に出てみたところ、当時通い始めたスイミングでの友人に出会った。 「あらっ! ・・・・」 ナント、彼女が○○さんのお姉さまだった。スイミングでは新米の私は話しをする人も少なく、まして名前まで存じ上げている人はごく僅か。その僅かのうちのお一人だったのだ。 コレがキセキ2。
話しを戻すと、ツァーバスの方は〇〇さんご自身だった。 「似ているなぁ・・・」と思いつつも、隣席との絶えまないオシャベリで、確認する間もないまま、私は隣席との話題の中に少しづつ、「エイゴと私との関係」をソレとなく入れていた。 〇〇さんも少し気にしている様子にみえたから・・。 で、バスツァー解散となると、〇〇さんが先に「どこかでお会いしませんでしたか?」と声を掛けて下さった。 キセキ3!・・・と言ってもいいでしょ?
直ぐに帰宅せず、新宿でビールで再会を祝ったのは言うまでナイ! 私としては上出来!!
それにしても、人をつなぐ糸はイロイロだ。 何色? 先日はウィーンのスーパーで・・。