地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

やさしさに触れる旅

2009年11月19日 | sri lanka
台風一過。
女子大生たちが慌ただしく帰っていった。
10日間ほどで、コロンボ→ワドゥワ→ベントタ→ヒッカドゥワ→コロンボ→キャンディ→ヌワラエリヤ→ダンブッラ→シギリヤ→コロンボの怒濤の日程。
その中で世界遺産4カ所、初サリー、ウォータースキー、ジェットスキー、サーフィン、アーユルヴェーダ、象さんにも乗り、何人かのスリランカ男性を虜にし、嵐のように過ぎ去った。帰ってからも私の携帯に二人が道中で出会った男から電話攻撃という始末。さすが私の後輩である。

学生の間の旅だから、私の送る便利で生温い外国人生活ではなく、足で歩いて、普通の交通機関を使って、英語とジェスチャーを駆使して、スリランカ人の変な訛りの英語をがんばって聞き取りながら、カレーをふぅふぅ言って手で食べて、スリランカ人と同じ目線で、その温かさに触れて欲しかった。だから最初はちょっと一緒に行動し、そのあとは放り出した。

今の私は車でしか移動しないし、金にモノを言わせて、先進国並みの便利を追求する生活。でも外国の本当の魅力は、バックパッカーの貧乏旅行でしかわからないと今でも自負している。不便をこらえて、節約してナンボ。ハプニングがあって初めて、本当の彼らが見える。

イギリス留学時代のイタリア貧乏旅行では、ヴェネツィアのユースホテルに泊まったが、クリミア戦争の病棟のようなところで沢山の若い旅行者と一緒に寝た。夜着いて、どこも店が閉まっていたけれど、やっと辿り着いたバーで世界一美味しい(とその時思った)ピザを食べた。ワインを飲みたいと言ったら、ペットボトルに注いでくれた。帰ってきたら、ホステルの管理者であるシスターに門限破ったと閉め出され、さらに「酔っぱらっている」と説教された。

アフリカのマリ旅行では、ブルキナファソから北上してマリに入ろうとしたら、散々バスの行き先を確認したにもかかわらず、気がついたらブルキナの西部のボボデュラッソ(日本人渡航禁止地域)に居た。そこから何十時間もかけて目的地に移動した。途中で食べた屋台のフランスパンとヤギ肉の煮込みシチューがとても美味しかった。ふと見上げると、夜空に数えきれない満開の星があった。

マリのモプティで一番安い宿に泊まったら、実はそこは売春宿だった。トイレが異様に臭かった。

マリ南部のドゴン・カントリーは、今まで訪れた中で一番感動した場所の一つ。異文化から自分たちを隔離し、神話を信じて生きる人たち。子どもたちと一緒に伝統の踊りを踊った。その帰り、なぜかトラックの荷台に馬と一緒に何時間も揺られて帰った。

そんないくつかの旅の中で触れた、人々の優しさと温もり。金にモノを言わせては絶対に触れることができないのである。

後輩の彼女たちも、スリランカ人の優しさにうんと触れたらしい。道が全然わからなくても、いつも3分もしないうちに誰かしらが助けてくれたらしい。

たまにうざったかったり、金目当てだったりするので、私はもう自分で「プチ・セレブ」になりきり、道行く人の問いかけに純粋に応えることがなくなってしまったけれど、「不信感」のフィルターなく、沢山の発見をする彼女たちに大切なことを思い出させてもらったし、スリランカ人はやっぱりすごく、すごく優しいと実感した。

スリランカに来てくれてありがとう。
また遊びにおいで。
イケメンたちがみんな待っているよ。