48時間の地震警報を出していたが、今朝南太平洋バヌアツ諸島でM7.5、M7.4と連動の地震が起きた。やはり大きな地震が起きたが、海外で起きた。日本付近に関しての警戒状態は依然解除できない。不安定な要因が強く、起きる可能性が残っている。予測の範囲は、M6前後震度5以内の状態が予測の範囲である。起きた場所の一部に防災会議が指摘した震源が起きている。この付近に関しては、指摘位置から変化した状態に警戒感を持っている。M7以上に関しては疑問だが、M6前後はいつ起きてもおかしくない状態になっている。嫌な状態が続くが、基本的には今日1日間警戒して欲しい。起きたから解除できるような環境ではない。日本は、本当に微妙なズレが大きな変化に変わる状態になっている。昨日国土地理院の測量隊の姿を見た。影響がどの程度がGPSを使っているが、昔の方法で歩いて計測していた。伊能忠敬の時代と同じように歩いて計測している姿は、やはり日本の大地が微妙にずれている証かも知れない。この様な時代に生きている事は、多くの試練を経験するが、この時代に居るから認識できる事かも知れない。次の千年、次の災害に備えるために記憶を記録として残す作業が、課せられた課題なのだろう。三陸津波の記録を残し、今回多くの漁師さんが助かった事例もある。また、千葉県沿岸、茨城県沿岸で行った沖出し行動。多くの防災の原点を体で示した。いつと言う意味では、ここで記載する警報は事実警報となる。多くのデータを分析し、組み合わせを行い、今を見つめる。現象は、時として過大に、時として無反応になる。時間はゆったりとした流れを示し、月に関しての変色や、真っ赤な焼けの回答がやっとでたのかも知れない。本来の限定された現象は、震源付近固有の状態である。その固有性、特殊性を規準にして全体を見る作業の中で、画像がある。何のために現象が起きるか。その震源付近に被害が起きることを知らせる自然からの警報と思っている。海がくさい。紅葉が真っ赤、月が黒く赤い、横渦巻きの雲、光る雲など言葉ではこの様な表現になるのだろう。ただ、この先10年を見据えて、最後の集大成に向かう義務があるのだろ。三陸沖津波の記録と同じように語り継ぐ事を記録として残す必要が使命なのだろう。残り10年。同じ世代の訃報が増えているが、最後の詰めに入る。