タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

廃仏毀釈・・・

2022-03-01 18:56:17 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

明治期の「廃仏毀釈」。

ウィキより、

廃仏毀釈廢佛毀釋排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院仏像・経巻(経文巻物)を破毀(破棄)し、仏教を廃することを指す。「廃仏」は仏を廃(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。」

色々言い訳めいたことが言われていたり、宗派によっては被害が少なかったりします。

何度も書きましたが、仏僧による、神職に対する態度は、江戸時代は特に目に余るものがあったのは知ってますが、

「仏法 (仏教=仏) 」と、「お坊さん」は「別物」です。いいお坊さんもいれば、悪いお坊さんも、普通のお坊さんもいる。

前述してますが、特に「廃仏毀釈」の被害が大きかったのは、日本の神々の防波堤とも言える、「真言宗」「天台宗」「修験道」です。

全部教えませんが、カンが鋭い人なら、私が今まで記述してきたことを読めば、真実はわかると思います。

世の中のことは、表面的なことばかり見ていても、本当の真実はわかりません。

話脱線しましたが、高野山などでも、意外と国宝が少ないのは、明治の廃仏毀釈の折、盗まれて売りに出されたりしたことも原因です。近年、ヨーロッパで発見された国宝級の仏像もあります。今更返せと言っても返って来ませんが。

僧侶方によって、足下に見下されていた神職の方々の気持ちはわかりますが、結果的に見て、現在の神社界は、「5~6社兼任で」かつかつ食べていける宮司社家がほとんどの現実を見れば、神社界にとっても、明治の「神仏分離・廃仏毀釈」が良かったのかと問うてみたいものです。

これから「ますます」増える自然災害、そして経済危機、コロナによる危機、世界の政情不安で、お寺もですが、神社界の収入も激減が予想されます。

そうなれば、ますます人心は荒み、世は荒れること必至でしょう。

「来たれ 救世主」と祈ったところで、こんな乱れた時代に現れるのは、「ニセモノ」だけです。

探せば、本物の人もいるでしょうが、こんな時代には、絶対に表には出てきません・・・と私は思います。

お坊さんと「仏法 (仏) 」は別物と書きましたが、絶対にしてはいけないことが、「仏法 (仏=お釈迦様) 」を壊すこと。

聡明な人なら気づいていると思いますが、明治の後、日本はどうなりました?

「戦争」に次ぐ「戦争」また「戦争」。(その陰では、戦争で設けたヤツらもいる)

「災害」に次ぐ「災害」。現在は、もっとすごい「災害」。

現代日本人は、神社での作法もほとんど知らない。お玉串のいただき方、回し方、奉納の仕方はいざ知らず、拝礼の仕方も知らない。お寺で柏手打つ人も多い。

今一度問いたい。「神仏分離・廃仏毀釈」は、神社界にとって、本当に良かったのか? ほかに選択肢はなかったのか?

神々のことを一番に考えるのならば、「神々のお考え」を大事にすべきではなかったか?

・・・・・

 

 


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隠岐国分寺・・・

2022-03-01 18:21:26 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

137社寺目です。

島根県「隠岐国分寺」。

平成14? 15?年4月御朱印いただいております。(達筆過ぎて読めない)

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Oki Kokubunji hondou.JPG

隠岐国分寺(おきこくぶんじ)は、島根県隠岐郡隠岐の島町池田にある東寺真言宗寺院山号は禅尾山。本尊釈迦如来

奈良時代聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、隠岐国国分僧寺の後継寺院にあたる。境内は国の史跡に指定されているほか、毎年4月21日に行われる蓮華会舞(国の重要無形民俗文化財)が特に知られる。

明治に入ると廃仏毀釈の展開により、国分寺は明治2年(1869年)に本堂三重塔の焼失ののち明治3年(1870年)に廃寺となったほか、南東にあった真言宗の尼寺(中世の経緯は不明[6])も明治5年(1872年)に廃寺となる」

隠岐には、「滝を撮りに行って」、国分寺に立ち寄った次第です。

ではまた。

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宇佐神宮・・・

2022-03-01 18:21:05 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

136社寺目です。

大分県「宇佐神宮」。

平成14年9月22日御朱印いただいております。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

宇佐神宮南中楼門下宮(御炊宮(みやけみや) ) 下宮嵯峨天皇の弘仁年間(810~824年)に朝廷より造宮使が遣わされ、上宮のご分神をお鎮祭し創祀されました。古くは御炊殿(おいどの)ともいわれ、神前にお供えする御饌(食事)を炊く竈殿(現下見や授与所)があり、農業・漁業をはじめとする一般産業の発展充実を御守りになる神様であります。上宮と同様に歴代の皇室をはじめ、国民の崇敬篤く、特に宇佐地方では「下宮参らにゃ片参り」と称されて親しまれております。また、一之神殿には、八幡大神を顕しになった大神比義命の霊を祀る大神祖神社が相殿として奉斎されております。[32][33][34]

宇佐神宮(うさじんぐう)は、大分県宇佐市にある神社式内社名神大社3社)、豊前国一宮勅祭社旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれた。また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していた[注 1]

現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれる。

大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山(標高647m)山麓に鎮座する。本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。境内は国の史跡に指定され、本殿3棟は国宝に指定されている。

八幡宮の総本社であり古くから皇室の崇敬を受けているほか、称徳天皇時代の宇佐八幡宮神託事件でも知られる。参拝は一般と異なり、二拝四拍手一拝を作法としている。

大分県宇佐市南宇佐2859

神社界は、今でも「御神札・お守り」を、通販では受け付けてくれない所が多いです。理由は、「神の御神札・お守りは、売ると言う概念がないため」。

そんな中で、八幡神社は、結構、御神札・お守りを現金書留や郵便振替で送ってくださる神社が多いです。

宇佐八幡 (宇佐神宮) もそうです。

コロナ下で、なかなか遠方に行けなくなりつつある昨今、神社界も、「売る」ではなく、「コロナ下の諸事情により、御神札・お守りの送付受付も」考えていただければ幸いです。

ではまた。

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