138・139社寺目です。
薬師寺休ヶ岡八幡宮、薬師寺。
平成15年5月25日御朱印いただいております。
ウィキより、伽藍画像もウィキより、
「休ヶ岡八幡宮 - 正式には薬師寺休ヶ岡八幡宮。南門を出て、公道を横切った向かい側の敷地にある。明治時代の神仏分離後も独立せず、現在も薬師寺の鎮守社であり続けている。創建は寛平8年(896年)。別当栄紹により豊前国宇佐八幡宮から八幡神を勧請したのに始まる。なお、休ヶ岡の名の由来は、斉衡2年(855年)に大安寺の行教が八幡神を宇佐八幡宮から大安寺八幡宮(現・元石清水八幡宮)に勧請する際、この地で八幡神が休息されたことによる。なお、別の寺伝によると、それ以前の天平勝宝元年(749年)、東大寺大仏殿建立にあたって八幡神を勧請して手向山八幡宮を作ろうとした際に、当地で八幡神が休息されたことを契機としてここに八幡宮が建立され、地名も休ヶ岡になったという話もある」
清楚な巫女さんが御朱印押してくれました。
「薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の1つ。開基は天武天皇、本尊は薬師如来。
1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、ユネスコより世界遺産に登録されている」
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東大寺と並んで、「仏教寺院」と言う意味では・・・
この「薬師寺」が、日本ツートップではないかと思います。
東大寺も薬師寺も、真言密教もあります。
単なる観光寺ではありません。
以前、西遊記で有名な、「三蔵法師」を祀る御堂が内部公開されていて、係りの人に「写真撮っていいですかー?」と聞くと、頭の上で大きく「まる」と示してくれました。
ウィキより、
「玄奘塔 - 玄奘三蔵坐像と玄奘の頭部の遺骨であるご頂骨・真身舎利を祀る裳階付き八角円堂。このご頂骨は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)12月23日に中華民国の首都・南京で日本陸軍が土木作業中に偶然、かつて破壊された玄奘の墓を発見したことにより、中華民国と協議して1944年(昭和19年)にその遺骨の一部を日本仏教会に分けてもらった。戦後、さらに蒋介石からもその持ち出しの許諾を得ている。その後、ご頂骨は埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の慈恩寺に祀られていたが、1981年(昭和56年)に薬師寺に分骨された。扁額「不東」は高田好胤和上の筆。不東とはインドに着くまでは一歩も東(唐)に帰るまいという意味である」
あの、「西遊記の、三蔵法師」の「ご真骨」が祀られているのです。(三蔵法師とは複数いて、玄奘三蔵が西遊記の三蔵法師)
不動堂でお護摩も参拝したことがあります。
東大寺に密教が伝わったのは、弘法大師・空海が別当に就いたことがあるためですが、薬師寺はどういう経緯で密教が伝わったのかはわかりません。
薬師寺金堂「牛玉」(薬師寺は、この字です) いただいております。
「牛王」「牛玉」ごおう神符・・・があるお寺は、「スサノオノミコト (牛頭天王) 」が守られているのですかね。
ではまた。
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