タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

熊野速玉大社・・・

2022-03-06 17:29:46 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

147社寺目です。

和歌山県の「熊野速玉大社」。

平成15年6月7日御朱印いただいております。

初期のころ記載した、「スサノオノミコト」のところで書いた体験をしたのが、この日です。

主祭神の1柱「熊野速玉大神」は、スサノオノミコトだと言う説もあります。(原田常治 著 古代日本正史)

緊張しながら拝礼し、まず、一礼した瞬間、社殿の真上あたりで「ドゴンっ・・・ゴロゴロゴロ・・・」と雷鳴が。小雨は降ってましたが、雷注意報は出てませんでしたし、直後に確認しても出ていませんでした。

スサノオノミコトの御神徳に、「雷の神 (いかづちのかみ) 」と言う面があるのは知ってましたが、(本当に雷、操れるのか・・・)と頭が真っ白になり、「心の中、すべてお見通し」のような気がして、「ぎくしゃく」歩いて社務所に行ったのを覚えています。「ここにいるぞ」と仰られた気がしたのです。

原田常治 著 古代日本正史については、賛否両論ありますが、原田さんは、1976年に古代日本正史、1977年に上代日本正史を出版した年に亡くなっています。別の視点から見て、亡くなる直前の意見なので、すべて正論とは言いませんが、かなり調べ上げたことは間違いないのではと思います。私は個人的には、6~7割は当たっているのではと思います。読んで「頭にすっ」と入ってきました。(今、ハシブトガラスのリキが後方で鳴きました)

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

熊野速玉大社拝殿入口鳥居新宮神社手力男神社と八咫烏神社

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市にある神社熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。かつては式内社(大)であり、旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。境内地は国の史跡「熊野三山」の一部[1]2002年平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定された[2]2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部」

摂社の「神倉神社」(天照大神高倉下命)  この「タカクラジノミコト」は、ニギハヤヒノミコトの御子神ですが、「タケツノミノミコト (タケツヌミノミコト) 」=「八咫烏 (やたがらす) 」と、よく似た神話があります。(またリキが鳴いた)

同一の神と言う人はいませんが、私のカンでは、何かあるんじゃないかと思います。

ではまた。

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仏と僧侶、神々と神職・・・

2022-03-06 17:29:14 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

仏と僧侶、(日本の古代の) 神々と神職 は、

「同じ道」を歩んでいるか、

「同じ思想」か・・・

私論では、

「違う」と思います。

仏・神々と、僧職・神職が同じ道を歩み、同じ考え方であれば、

日本はこんなに「捻じ曲がったり」しませんでした。

ただ、職業としては、どちらもプロであり、それはさすがと思います。

神道の氏子であり、仏教の檀信徒である私でも、

プロは、「越えられない壁」であります。

神棚・仏壇ともに毎朝「お勤め」しますが、プロは神仏ともに、「越えられない壁」であります。

神棚は、簡易な作法しかしません。唱えことば「祓え給い、清め給え、守り給い、さきわえ給え」と、祓詞 (はらえことば) と、崇敬神社である石切神社の「お祈り心願ことば」だけです。大祓詞 (おおはらえのことば) は年に数えるくらい唱えます。たどたどしいですが。

仏壇の御勤めは、うちは高野山真言宗なので、「心経または舎利礼文・十句観音経」と、13仏真言・光明真言・弘法大師御宝号 回向」です。成田山の聖不動経・南無36童子・不動明王・五大明王・12大天・諸真言も唱えます。素人なので、真言唱える時に印は組みません。金剛合掌のみです。

プロとしては、神職・僧職ともにさすがと思いますが、「古代の神々と神職」、「仏さまと僧職」は、「同じ道・思想」ではないと思います。

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西国33観音第一番・青岸渡寺・・・

2022-03-06 11:49:27 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

146社寺目です。

那智山「青岸渡寺」。

平成15年6月7日御朱印いただいております。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Seigantoji01.JPG

青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山にある天台宗寺院山号那智山本尊如意輪観音菩薩西国三十三所第1番札所。本堂[1]および宝篋印塔[2]重要文化財ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年平成16年〉7月登録)の一部[3]

本尊真言:おん ばだら はんどめい うん 

中世から近世にかけて隣接する熊野那智大社と一体化し、那智山熊野権現や那智権現と呼ばれ、全体で7寺36坊もの坊舎を有する神仏習合修験道場であった。如意輪堂と称されたその堂舎は那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。

明治時代になり神仏習合が廃されると、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂は有名な西国三十三所の第一番札所であったため、ひとまず破却はせずにしておいた。ただ、仏像仏具補陀洛山寺などに移され、空堂とされた。

しかし、1874年(明治7年)に古くからの信者らによって熊野那智大社から天台宗の寺院として独立し、新たに「青岸渡寺」と名付けられて復興した。寺号は豊臣秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来するといわれる」

ではまた。

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