タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

高野山「根本大塔」・・・

2022-03-12 16:48:33 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

158社寺目です。

何度も紹介しましたが、また御朱印が出たので、改めて記述します。

高野山は今まで塔頭 (たっちゅう) も含めると、数えきれないくらい参拝しています。

30年近く前から高野山の参与会員です。

根本大塔は、壇上伽藍のシンボル的存在です。

本堂は、「金堂」の方です。

大塔の御本尊は、胎蔵界・大日如来。比較的新しい御尊像ですが、オーラは半端ないです。感じるエネルギーは、「宇宙」。

大日如来には、金剛界大日如来と、胎蔵界大日如来があります。

大日如来は、「宇宙の理法」そのもので、人ではありません。

要するに、「真理」そのものです。

古代インドのバラモン教で言う、ブラフマン (宇宙の根理) と同じ考え方です。

大日如来と言う名前は、お釈迦様ご在世にはありませんでした。

ただ、原始仏典には、その元となる「法身 (ほっしん) 」と言う言葉は出てきます。

お釈迦様ご自身か、お弟子様か忘れましたが、「法身と言おうが、それは、如来 (お釈迦様) のことに他ならない」と述べられています。

お釈迦様の悟り、お釈迦様の説かれた教え、悟りを開いたお釈迦様ご自身を、「無上」・・・すなわち、これ以上「上が無い」優れたものと言います。

われわれ日本の大乗仏教徒が日々唱えるお経の最初、「開経偈 (かいきょうげ) 」、

無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)

百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)

願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)の、一番最初「無上甚深微妙法」の「無上」です。

無上甚深微妙の法 ※ は百千万劫にも遭い遇うこと難し。我今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解し奉らん。

※ここで言う「法」は、「実在の仏=お釈迦様、お釈迦様の悟られた法、お釈迦様の教え」を指します。

ちなみに、大日如来の語源は、「マハーヴァイローチャナ」(摩訶毘盧遮那 まかびるしゃな)。大いなる遍照と言う意味です。

ヴァイローチャナは、アスラ (阿修羅) を元とすると言う説があります。

以下、ウィキより、伽藍画像もウィキより、

マハーバーラタには、太陽神ヴィローチャナ・アスラ王ヴィローチャナを同一視している箇所が32例ある[16]。また興福寺監修『阿修羅を究める』では「例えば、北周時代(六世紀後半)の敦煌莫高第四二八窟南壁に描かれた『盧遮那仏説法図』では、盧遮那仏像の胸あたりに須弥山が描かれ、その前にやはり月と太陽を手にした阿修羅像が現わされている」とある[17]。」とあります。

原始仏典にも「アスラの王」として、「ヴィローチャナ」が出てきます。

もともとの仏教では、「如来はお釈迦様ただ一人で、お釈迦様の教えに従って悟りを開いた五百人の阿羅漢」がいて、仏教を守護する古代インドの神々がおられる。南伝仏教 (上座部) の方が、それに近い考え方であるのに対し、

北伝仏教 (大乗) は、アスラやデェーヴァの神々の名を仏教に取り込み、さまざまな如来や菩薩、明王を作り上げたものです。

大日如来、阿弥陀如来の名の語源は、アスラ。諸観音には、デェーヴァ、アスラともにあり、明王は、不動明王がデェーヴァ (シヴァ神) 、降三世明王が「シュンバ・ニシュンバのアスラ」、軍荼利明王はデェーヴァ、大威徳明王は、アスラでありデェーヴとも。金剛夜叉明王は、毘沙門天配下の夜叉神がモデルなのでデェーヴァかな。

わかりにくい説明になりましたが、結局、「自分自身を救うのは自分自身」であると言う原則は、南伝・北伝も同じです。

出家中心の仏教 (南伝=上座部) か、在家中心の仏教 (北伝=大乗) かの違いだけです。

さて、脱線しましたが、

根本大塔・・・大日如来を中心に、五智如来像としてお祀りされています。

一度、大日如来像の御宝前にて、ある神秘体験をしました。

それは秘密にしておきます。

ではまた。

・・・・・

 


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三聖「釈迦・老子・孔子」の「怨みに対する教え」・・・

2022-03-12 10:54:32 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

三聖「釈迦・老子・孔子」。

釈迦・・・ゴータマ・ブッダ (お釈迦様) 古代インド人。(故郷はネパール)

老子・・・道徳経の著者と言われ、道教の始祖。

孔子・・・「論語」で有名。「子」とは、「先生」と言う意味。

その三聖の「怨み」に対する教え。

①ブッダ・・・「怨みに報いるに、怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない」。(ダンマパダより)

②老子・・・「怨みに報いるに、徳をもってす」(徳をもって怨みに報いる)

③孔子・・・「直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」(論語)

或(あ)るひとの曰わく、徳を以(もっ)て怨(うら)みに報いば、何如(いかん)。子曰わく (孔子が仰るには) 、何を以てか徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

ある人が孔子(こうし)に尋ねた。「恩徳を施して恨みのあるものに報いてやるというやり方はどうでしょうか。」孔子が言われた。「では恩徳を施してくれたものには、どうやって報いればよいのか。恨みのあるものには正しさで報い、恩徳を施してくれたものには、恩徳をもって報いるのがよいのだ。」

老子の考え方とよく比較されるものであるが、

孔子は、「怨みに対しては厳正に対処し、恩徳には恩徳で報いるのが良い」とされる。

①の、お釈迦様の教えは、あくまで「覚者」・・・悟りを開いたブッダの目から見ての教え。すべての事象には過去からの「因縁」が絡み合っている。

私論では、①が最上、②は政治的な考え方ともとれる。③は、われわれ一般人にとって、もっとも基本的な考え方。「偉大なる常識人」と言われる孔子の醍醐味。

原始仏典で読んだ記憶・・・お釈迦様が、①の内容の説法をされた時、インドラ帝釈天 (サッカ) は、そのまま教えを受け取り、

アスラは、「それでは、悪しき者が増長するだけではないか。怨みには怨みで応えるものだ」と言うような意味のことを言われた。

アスラ・・・もともと「光り輝く神」であるが、「正義感が強すぎて、戦闘神」と目される。

結論を言えば、

上述した通り、①が最上 (理想) 、

②か③を選ぶかは、人それぞれ。

私は③を選ぶ。

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幽霊滝 滝山神社・・・

2022-03-12 10:18:52 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

鳥取県に伝わる伝承。

幽霊滝 滝山神社。

「『幽霊滝の伝説』(ゆうれいだきのでんせつ、The Legend of Yurei-Daki )は、小泉八雲が著した怪談。『骨董』に所載されている。鳥取県日野郡日野町黒坂に伝わる伝説を再話したものである。

明治の頃、鳥取県の黒坂に小さな麻取り場があった。ある冬の夜、女たちがいろりを囲んで怪談話に興じていた。話に興が乗るに連れて肝試しをしようということになり、黒坂の村から離れた山の中にある幽霊滝に行って賽銭箱を持ってくることになった。ところが誰も尻込みして名乗り出ようとしない。そこで賽銭箱を持ってきた者に、今日取れた麻をみんな上げようということになった。するとお勝という気の強い女が肝試しに名乗り出た。お勝は赤児を半纏にくるんでおぶり、幽霊滝へと向かった。の晴れて凍えるような夜空の下、山道を歩いて幽霊滝までやってくると、真っ暗な中にかすかに賽銭箱が見える。お勝が賽銭箱に手を伸ばすと「おい、お勝さん!」と咎めるような声が滝つぼの中から響いた。お勝は恐怖に立ちすくみながらも賽銭箱を取ると、またしても「おい、お勝さん!」と、もっと強く咎めるような声が響いた。お勝は後も見ずに走り去り、暗い道を駆けに駆けて麻取り場まで戻ると、賽銭箱を女たちに得意げに見せ、幽霊滝での奇怪な出来事を話した。お勝の勇気をたたえる声がわき上がった。ほっとしたお勝が赤児に乳をやろうと半纏を解くと、中から血にまみれた赤児の体が転がり出た。赤児の首はもぎ取られていた。

物語に登場する幽霊滝は、竜王滝または黒滝と呼ばれ実在する[1]。滝の近くには滝山神社もある。竜王滝には「2歳にならない赤児を連れて滝に来てはいけない」という禁忌が存在した。

竜王滝は白糸のように清楚な落差70mの滝である。滝の周辺は滝山公園となっており、つつじの名所である。

物語のもととなった伝説は鳥取県内各地に伝わっており、かなり広く知れ渡った伝説だったようである。いずれも、気の強い女が肝試しで夜中に赤児を連れて滝不動に行き、賽銭箱か神社の札を持ち帰るが、帰ってから気がつくと赤児の首がもぎ取られているという筋立てである。赤児の首をもぎ取った物の怪は天狗とされている話が多い。滝の中から女を咎める声がするというのは、もとになった伝説にはない小泉八雲の創作だが、本作品ではこれが絶大な効果を上げている。」

・・・最近は、神仏いずれでも「賽銭泥棒」が頻発しているが、

神社であれ、仏閣であれ、良き霊地には、「神仏を守る神霊 (神仏の眷属神・天狗さんなど) 」がおられる「気がする」。

見られていないようで、ちゃんと神仏は見ておられるのである。

「触らぬ神に祟りなし」。

 

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神罰・・・(バチが当たる)・・・

2022-03-12 08:30:41 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

私の子供のころは、

まだ日本の古式ゆかしき民間信仰が残っていて、

(神社の) 神さんに「そそう」をしたら、「バチが当たる」とよく戒められていた。

インドの神であれ、古代日本の神であれ、「自然神 (自然の営みそのもの) 」を除けば、ほとんどが「生前」人間だった神 (天) である。

とある真言宗の総本山で管長から、「インドの天部の神さんも、日本の神さんも、人間界の一個上の天上界だから、好き嫌いあるぞ~」と教わった。

鳥獣や昆虫のように、なんの私心もなく、混じりっ気「0」の信仰心なら、かわいがられ、「我執」「我欲」で邪信すると嫌われ、物見遊山だと、なお嫌われる。

賽銭も落とさず、ゴミ落とす輩は「 (後に) バチが当たる」。(私論である)

神さんだけでなく、仏さまも「バチが当たる」ではないが、

やはり、汚したりしたら・・・のちに因果で本人に返っていく。

次に紹介する説話は、鳥取県に伝わる「怖い」話。

いざ・・・

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金持神社・・・

2022-03-12 08:22:06 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

157社寺目です。

御朱印探したけど見つかりません。

参拝記だけ記します。

平成の時に偶然参拝しています。

鳥取県「金持神社 (かもちじんじゃ) 」。

今みたいに、有名になる以前、たまたま・・・幸運に・・・導かれるように御縁がありました。

そのあたりの道は通ったことはありません。

「この道通ってみようと思い」、運転していて、「金持神社」の看板を偶然見つけ、お参りしたのです。小さな社殿でしたが、神気がほとばしる古社。

いかにも、「神々が」鎮座しておられる感じ。

その頃はまだ、道路挟んで斜め向かいに売店のみがあり、そこで御朱印していただきました。今みたいに御守グッズもなく、酒瓶に入ったお酒と饅頭くらいしかありませんでした。私はお酒と饅頭を買って帰りました。

その後、ほどなくして・・・マスコミで取り上げられ、大ブームになったのです。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Kamochi Jinja.jpg

金持神社(かもちじんじゃ)は、鳥取県日野郡日野町金持(かもち)にある神社旧社格は村社。

金持(かもち)とは、古くは、玉鋼の産地で、原料の砂鉄のこと)が採取できる谷を多くっていた事に由来する。近隣にある金屋子神よりも古いが、スサノオ神よりも新しい神である。

810年大同5年~弘仁元年出雲国神官の二男が、伊勢神宮参拝のため、この地(当時は伯耆国日野郡金持郷)を通りかかったところ、お守りとして身につけていた玉石が急に重くなり、この地に宮造りしたといわれている。鎌倉時代南北朝時代にかけての武将金持氏の信仰が篤かったと伝えられている。

主祭神 天之常立神八束水臣津野命淤美豆奴神

 

金持神社公式ホームページ https://www.kamochijinja.jp

ではまた。

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