158社寺目です。
何度も紹介しましたが、また御朱印が出たので、改めて記述します。
高野山は今まで塔頭 (たっちゅう) も含めると、数えきれないくらい参拝しています。
30年近く前から高野山の参与会員です。
根本大塔は、壇上伽藍のシンボル的存在です。
本堂は、「金堂」の方です。
大塔の御本尊は、胎蔵界・大日如来。比較的新しい御尊像ですが、オーラは半端ないです。感じるエネルギーは、「宇宙」。
大日如来には、金剛界大日如来と、胎蔵界大日如来があります。
大日如来は、「宇宙の理法」そのもので、人ではありません。
要するに、「真理」そのものです。
古代インドのバラモン教で言う、ブラフマン (宇宙の根理) と同じ考え方です。
大日如来と言う名前は、お釈迦様ご在世にはありませんでした。
ただ、原始仏典には、その元となる「法身 (ほっしん) 」と言う言葉は出てきます。
お釈迦様ご自身か、お弟子様か忘れましたが、「法身と言おうが、それは、如来 (お釈迦様) のことに他ならない」と述べられています。
お釈迦様の悟り、お釈迦様の説かれた教え、悟りを開いたお釈迦様ご自身を、「無上」・・・すなわち、これ以上「上が無い」優れたものと言います。
われわれ日本の大乗仏教徒が日々唱えるお経の最初、「開経偈 (かいきょうげ) 」、
無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)の、一番最初「無上甚深微妙法」の「無上」です。
無上甚深微妙の法 ※ は百千万劫にも遭い遇うこと難し。我今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解し奉らん。
※ここで言う「法」は、「実在の仏=お釈迦様、お釈迦様の悟られた法、お釈迦様の教え」を指します。
ちなみに、大日如来の語源は、「マハーヴァイローチャナ」(摩訶毘盧遮那 まかびるしゃな)。大いなる遍照と言う意味です。
ヴァイローチャナは、アスラ (阿修羅) を元とすると言う説があります。
以下、ウィキより、伽藍画像もウィキより、
「マハーバーラタには、太陽神ヴィローチャナ・アスラ王ヴィローチャナを同一視している箇所が32例ある[16]。また興福寺監修『阿修羅を究める』では「例えば、北周時代(六世紀後半)の敦煌莫高第四二八窟南壁に描かれた『盧遮那仏説法図』では、盧遮那仏像の胸あたりに須弥山が描かれ、その前にやはり月と太陽を手にした阿修羅像が現わされている」とある[17]。」とあります。
原始仏典にも「アスラの王」として、「ヴィローチャナ」が出てきます。
もともとの仏教では、「如来はお釈迦様ただ一人で、お釈迦様の教えに従って悟りを開いた五百人の阿羅漢」がいて、仏教を守護する古代インドの神々がおられる。南伝仏教 (上座部) の方が、それに近い考え方であるのに対し、
北伝仏教 (大乗) は、アスラやデェーヴァの神々の名を仏教に取り込み、さまざまな如来や菩薩、明王を作り上げたものです。
大日如来、阿弥陀如来の名の語源は、アスラ。諸観音には、デェーヴァ、アスラともにあり、明王は、不動明王がデェーヴァ (シヴァ神) 、降三世明王が「シュンバ・ニシュンバのアスラ」、軍荼利明王はデェーヴァ、大威徳明王は、アスラでありデェーヴとも。金剛夜叉明王は、毘沙門天配下の夜叉神がモデルなのでデェーヴァかな。
わかりにくい説明になりましたが、結局、「自分自身を救うのは自分自身」であると言う原則は、南伝・北伝も同じです。
出家中心の仏教 (南伝=上座部) か、在家中心の仏教 (北伝=大乗) かの違いだけです。
さて、脱線しましたが、
根本大塔・・・大日如来を中心に、五智如来像としてお祀りされています。
一度、大日如来像の御宝前にて、ある神秘体験をしました。
それは秘密にしておきます。
ではまた。
・・・・・