外道 (げどう) 続きです。
ウィキより、
⑤ サンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sanjaya Belatthiputta 刪闍耶毘羅胝子) - 懐疑論、不可知論:真理をあるがままに認識し説明することは不可能であるとする不可知論である。問いに確答せず、つかみどころのない議論を行った。抜け出すことの困難な形而上学的な難問を議論することの意義を問う判断中止(エポケー)の態度表明といえる。
⑥ マハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ Nigantha Nataputta 尼乾陀若提子、本名ヴァルダマーナ) - ジャイナ教の開祖。相対主義、苦行主義、要素実在説。:サンジャヤの懐疑論が実践の役に立たないことを反省し、知識の問題に関しては相対主義(不定主義)の立場を取り、一方的な判断を排した。宇宙は世界と非世界からなり、世界は霊魂(ジーヴァ)・物質(プドガラ)・運動の条件(ダルマ)・静止の条件(アダルマ)・虚空(アーカーシャ)の五実体または時間(カーラ)を加えた六実体からなるとする。宇宙はこれらの実体から構成され、太古よりあるとして、創造神は想定しない。霊魂は永遠不滅の実体であり、行為の主体として行為の果報を受けるため、家を離れて乞食・苦行の生活を行って業の汚れを離れ、本来の霊魂が持つ上昇性を取り戻し、世界を脱してその頂上にある非世界を目指し、生きながら涅槃に達することを目指す。全ての邪悪を避け、浄化し、祝福せよ。
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⑥のジャイナ教は、人によっては、仏教と相互に影響し合っていたとか、似ているとか言う人もいる。
原始仏典の翻訳で有名な、故・中村元 博士もそう言っておられた。
しかし、表面的には、言葉じりとか似ている部分も少しはあるが、中身は全く似ていない。
「現代語佛教聖典 (釈尊編) 昭和33年8月10日 第一版発行 日本仏教文化協会」には、「ジャイナ教」の信徒が、たびたびブッダのもとを訪れて議論したりするシーンが多い。また、ブッダがジャイナ教のことを「誤った教え」と仰っておられる。
私見であるが、ブッダが、出家弟子を無条件に受け入れるのを途中から止めて、一定の審査期間を設けて試し、「本当に出家したい」「出家としての資格があるかを」吟味してから正式に弟子として受け入れるようになったのに、異教徒が関係していたと思う。
と言うのも、「短期間」だけ出家して弟子になったフリをして、「法 (ブッダの教え) 」を盗む者がいたからである。
「短期間」ブッダのもとにいて、「生かじり」状態で教団に帰り、「釈迦はこうこう言ってました」と告げる。要するにスパイであるが、「悟りを開いていない異教の教祖は、弟子に盗ませたブッダの法 (教え) を、さも、自分が悟ったように宣伝するから、表面上の上っ面だけ「少し似ている」のである。ただし、中身は全く似ていない。
ブッダは、梵天との高度な会話も、インドラはじめ神々との対話も、バラモンや在家の王との会話も、「機根に応じて変化する」対機説法応病与薬の姿勢で、「完璧に」受け答えしておられる。まさに、「宇宙の核が、人の形をとって話している」かのようである。対して、ジャイナ教は、表面上は仏教に少しだけ似ていても、中身は空っぽに見える。
ブッダが、「法 (教え) が盗まれる」のを、警戒しておられるシーンもある。
悟ってもいない「生かじり」の者に盗まれたら、表面だけ似ていて中身がまるで違うモノになってしまうからだ。
ブッダを「ぎゃふん」と言わせようとして、ブッダのもとを訪ねて問答を挑んだジャイナ教徒は、知る限りで、(現代語佛教聖典 (釈尊編) 昭和33年8月10日 第一版発行) では、
「長苦行」・・・「長苦行」は、ブッダとの会話をジャイナ教開祖「ニガンタ・ナータプッタ」に報告した。ナータプッタは、「長苦行」がブッダを論破したと勘違いして、「よく説明してやった」と「長苦行」を褒めた。
「ウパーリ」(逆に、心酔して信者になった)
「サッチャカ」(逆に、論破されて帰るも、後も三宝 (ブッダと、ブッダの教えと弟子) を非難する。のち、また法論を挑んできて、やはり完璧に論破されて去る)
また、釈迦族の王、マハーナーマとブッダの会話で、「イシギリ山の側面にある黒岩で、多くのジャイナ教徒たちが立ち通しの苦行をしていて、ブッダは彼らに近づいて「その苦行の理由」を質問する。ジャイナ教徒たちは、「師のニガンタ・ナータプッタの教えに従って苦行をしている」と言い、また、ブッダがジャイナ教徒たちに質問する。そして問答になり、ジャイナ教徒が「ビンビサーラ王は、ゴータマ (ブッダのこと) より遥かに幸せな生活を送っています」と言うと、ブッダが「ビンビサーラ王は、余より幸せであろうか」と問い、「ゴータマよ、失言でした。お二人の中、どちらが幸せでしょうか」と問いかけ、ブッダが比喩を用いて説明し、質問し直すと、ジャイナ教徒は「ゴータマ (ブッダのこと) よ、幸せなのは、御身 (ブッダ) であります」と答えた。
また、ブッダが、釈迦族の国に赴き、ペーダンニャ樹の林におられた時、チュンダは、バーバーの町に雨季を過ごしていた時、ジャイナ教の開祖ニガンタ・ナータプッタの死後、その徒が両派に分かれて争うのを見た。チュンダは、アーナンダにこのことを告げ、アーナンダはブッダに「ジャイナ教徒が二派に分かれて争ったため、勢力が非常に衰えた」ことを報告した。ブッダは、「チュンダよ、誤った教え (ジャイナ教) の最後は、そのようにあることが当然である」と仰った。
これら、「六師外道」と比べたら、まだ、
お釈迦さま (ブッダ) が、出家した当初師事した2人の仙人の方が、だいぶ上である。
① アーラーラ・カーラーマ・・・無所有処定と言う、高い禅定の境地にあったが、若き日のお釈迦様はすぐ、同じ境地になり、仙人のもとを去る。
(私論であるが、曹洞宗の開祖「道元禅師」の「身心脱落」の境地ではないかと推察)
② ウッダカ・ラーマプッタ・・・非想非非想処定と言う、さらに高い禅定の境地にあるが、若き日のお釈迦様はすぐ、同じ境地になり、仙人のもとを去る。
そして、壮絶な苦行に入り、「苦行では悟りを開けない」と悟り、菩提樹の下で深い瞑想に入り、完全なる悟りを開くのである。のち、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタ、かつての師匠なら、お釈迦様が悟った法をただちに理解してくれると思い、天眼通で2人を探すと、すでに亡くなっていることを知る。残念だったが、苦行時代、ともに修行した五比丘に法を説きに行くのである。
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