「ロシア軍の侵攻によりウクライナから、女性や子ども、老人ら多くの難民が逃れてきた隣国ルーマニアの町ハルメウ。そこに一緒にやってきたのは、マーシャというメスのユーラシアヒグマだった。
マーシャは、バンの荷台に設置されたケージの中で休んでいた。彼女を運んできたのは、ウクライナを拠点とする動物保護団体「ウォリアーズ・オブ・ワイルドライフ」の創立者で代表者のライオネル・デ・ランゲ氏。バンをレンタルし、20時間かけてルーマニアとの国境にたどり着いた。国境を越える車の列に並ぶ間、マーシャに新鮮な空気を吸わせてやろうと、デ・ランゲ氏は車の後部ドアを開けた。
クマがつかの間の笑顔をもたらす
すると、クマの姿を見て人々が近寄ってきた。デ・ランゲ氏は少し身構えた。過去に、「なぜ人間を助けないで、動物なんか助けているんだ」と非難された経験があったためだ。 しかし、そんな言葉を口にする人は誰もいなかった。それどころか、マーシャの存在が、過酷な状況にある人々につかの間の笑顔をもたらしたのだった。「このクマも、自分たちと同じで、どこにも行き場がなく、誰も世話をしてくれず、大変な目に遭っている、と理解してくれたのでしょう」 マーシャとデ・ランゲ氏のエピソードが浮き彫りにするのは、人間だけでなく、動物までもがロシアによる残虐な戦争の犠牲になっているという事実だ。そして、デ・ランゲ氏のように、動物たちの命を守るために自らの命を危険にさらす人々がいる。動物たちを安全な場所へ移送するために危険な旅に挑む者もいれば、戦地に残ってエサ不足や絶え間ない爆発音に脅かされながら動物園や保護区の動物やペットの世話を続ける飼育員もいる。 「この先どうなるのかわからないから、誰もが不安なんです」と、デ・ランゲ氏は語った。 2022年3月21日、マーシャはルーマニア、ザルネシュティにあるリバティ・クマ保護区に到着した。ここには、ヨーロッパ各地のサーカスや修道院、ホテル、観光地などから保護された117頭のヒグマが暮らしている。
ウクライナに残された動物の悲劇
国際連合によると、350万以上のウクライナ人が国外に避難しているという。その多くの避難民が、ペットのネコやイヌ、ウサギ、ハムスターなどを連れている。ルーマニア、ポーランド、ハンガリーは、通常なら義務付けられる動物のワクチン接種や健康状態の検査を免除している。 一方で、まだ多くの動物たちが、ウクライナ全土の動物園、牧場、保護区、シェルター、そして路上に取り残されているのも事実だ。特に砲撃が激しい地域ではエサも不足し、外部からの支援も難しい。動物園や保護区では、飼育する動物たちが爆撃の音やサイレンに怯え、フェンスに体をぶつけたり、赤ちゃんの世話を放棄したりしているという。一部の保護区では動物のショック死が報告され、キエフ動物園では、怯えるゾウたちをなだめるために、飼育員がゾウと一緒に寝泊まりしている。黒海の港町ミコライウにあるニコロフ動物園では、3人の飼育員が爆撃によって死亡したという。 デ・ランゲ氏は、再びウクライナに戻り、サンビルでペットとして飼われているライオンを救い出し、南アフリカ、東ケープ州にあるウォリアーズ・オブ・ワイルドライフの保護区に連れていく計画を立てている。ルーマニアからマーシャを迎えに行ったときのことをデ・ランゲ氏はこう振り返る。「ウクライナに入るとき、うれしかった。怖かったけど、うれしかったのです。やらなければいけないことがあり、それは果たさなければいけない使命なのです」
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