148社寺目です。
奈良県の、「天河大弁財天社」。
平成15年6月14日御朱印いただいております。
ウィキより、伽藍画像もウィキより、
![Tenkawa-dai-Benzaiten-sha 01.jpg](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Tenkawa-dai-Benzaiten-sha_01.jpg/290px-Tenkawa-dai-Benzaiten-sha_01.jpg)
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「天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、天河神社)は、奈良県吉野郡天川村坪内[1]にある神社。旧社格は郷社。宗教法人名は天河神社であり、神社庁傘下である。
宗像三女神の一人、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神とする。芸能の神として知られ、現在も芸能関係の参拝が多い。元の祭神名は弁財天(サラスヴァティー)で、神仏分離により「市杵島姫命」と称するようになったものである。今日でも社名に「弁財天」とついている通り、「弁財天」としても信仰されている。
「厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁財天のひとつ」と称しているが[2]、一般的には日本五弁財天の一つといわれている。
室町期の僧英俊による多聞院日記に、「天川開山ハ役行者」と記述がある。天河大辨財天社の草創は飛鳥時代、役行者の大峯開山の際に蔵王権現に先立って勧請され最高峰である弥山(みせん)の鎮守として祀られたのに始まる。弘法大師空海が高野山の開山に先立って3年間大峯山で修行し、最大の行場が天河神社であった。弘法大師にまつわる遺品が奉納されている。
当社は江戸時代までは琵琶山白飯寺と号し、本尊を弁才天(宇賀神王)としていた[4]が、明治の廃仏毀釈で白飯寺は廃寺となり、本尊の弁才天は市杵嶋姫命と改められた。 『吉野町史』によれば「吉野総社」として列せられていた歴史があり、「大峯第一、本朝無双、聖護院、三宝院両御門跡御行所」(天河社旧記)や「大峰本宮」として格式の高い社として認識されていた。大峯山に於ける信仰の中心地しての地位を早期に確立していたことは特筆すべきである」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/6b/8aad52ef195e28ffbc5ed2c054e183ad.jpg)
ではまた。
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