タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

高野山「福智院」「不動院」・・・

2022-03-26 17:21:45 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

186・187社寺目です。

高野山の塔頭であり、宿坊でもある「福智院」と「不動院」。

平成8年4月13日御朱印いただいております。

「福智院」・・・御本尊・愛染明王。

一度か二度、先祖供養していただいたことがあります。

前の住職の時ですかね?

初老の住職が、ニコニコしながら話してくれました。

「うちは、井伊大老 (井伊直弼) の菩提寺なんですよ」と言っていた記憶があります。

ご回向は、静かで、丁寧だったと記憶しています。

今は天然温泉があるとか。

「不動院」・・・御本尊・不動明王。

一見で参拝して、御朱印と、御本尊拝観を頼みました。

お線香灯して、お賽銭入れて拝んでいる最中、役僧が傍にずっといました。

御守一体買って、宿坊を後にしました。

高野山の宿坊は、もともと、信徒さんたちの菩提所 兼 宿坊なので、「一見さん」で「ぱっ」と入れる寺院は、あまりないです。

自由参拝の寺院もあるにはありますが。

やはり、真言宗の聖地であり、「失火」とか出したらいけないので、どこもルールは、ある程度厳しいです。厳しくて当然ですが。

https://www.fukuchiin.com
https://www.fudouin.or.jp

ではまた。

・・・・・


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宮島「弥山 本堂」・・・

2022-03-26 16:57:08 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

185社寺目です。

広島県、宮島の「弥山 (みせん) 」本堂。

平成8年3月31日御朱印いただいております。

一時、社寺巡りのレポートは、平成10年代をレポートしていましたが、今は紹介し忘れていた、別の朱印帳の「裏面」の御朱印をレポートしているため、ふたたび平成8年代に戻っています。

宮島の霊峰・弥山。

一度土砂崩れが起きたはずなので、今はどうなっているか、わかりませんが、

「大聖院 (だいしょういん) 」コースから登山して、1時間~1時間半くらいで着いたと記憶しています。ロープウエーで上るコースもあります。

(当時の) 大聖院コースは、最初頃に「滝不動堂?」があり、小さな御堂ですが、中に入って拝めました。

すぐ近くに、「滝神社?」があり、「スサノオノミコトと、タギツヒメノミコト」が祀られていたと記憶しています。

登山道途中には、「白髭大明神?」だったか、小さな祠があり、「道中安全」を祈念した記憶があります。

本堂エリア近くに、確か、大日堂があり、当時は中に入って拝めました。今はどうなっているかは、わかりません。

そして、以前レポートした「御山神社 (みやまじんじゃ) 」があり、

霊火堂があり、弥山本堂、三鬼堂があります。

全て雰囲気あります。

当時は、確か・・・・・本堂は、建て替え中だったかでした。(台風で壊れたとかで)

霊火堂も、古い建物の時でした。霊火堂での神秘体験も、以前レポートしています。

三鬼堂は、建て替える前で、「神仏の気」「天狗さんの神気」が出ていて、「昔懐かしい霊山の気」が凝縮したような御堂でした。

前も書いたように、「天狗さんの御神霊」は、拝んだことありませんが、この当時の弥山は、「天狗さんが無数におられる」・・・気がしました。

ほかの霊山も、当時は同じです。

その後、霊山も登山客が増え、参拝者が減り、その結果・・・「神仏の気」「天狗さんの神気」は、感じにくくなったような気がします。

私論ですが、「神仏」は、「清浄を好み」「俗世間を嫌う」ような気がします。

だから、神仏霊場には、鳥たちや昆虫たちが無数にいますが、「登山客がたくさんいると、彼ら、小鳥や昆虫は隠れてしまうことがあるように見えます」。

話脱線しましたが、平成8年当時の、「昔懐かしい、宮島の霊山・弥山」のことを、昨日のように思い出しながら、レポートしてみました。本堂の御本尊虚空蔵菩薩は、私の干支・寅年の守護仏です。脇侍は確か、「不動明王」と「毘沙門天王」だったと記憶しています。

伽藍画像は、大聖院より、

ではまた。

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江戸無血開城への道を開いた、山岡鉄舟の不動心・・・

2022-03-26 11:01:31 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 
成田山「智光」より・・・
 
「江戸時代後期、命がけで江戸の町民を守った山岡鉄舟という武士がいました。
1836年(天保7年)、旗本の子として江戸に生まれた鉄舟は、若い頃から成田山不動明王を篤く信仰しており、
21歳の時には暴風雨の中、江戸と成田山を一晩で往復参詣したと言う逸話があるほどです。
26歳で幕府の浪士取締役となり、高橋泥舟や清川八郎らと共に江戸の治安維持に努め、
32歳、戊辰戦争の際には、江戸に迫った官軍の東征大総督西郷隆盛に会うため、
駐留する駿府(現在の静岡市葵区)に1人で赴き、江戸の平和的開城を訴えました。
この時、西郷は江戸百万人の命を守るために死を覚悟して1人で敵軍に乗り込んだ鉄舟の気概と忠義に
心を動かされたと言います。」
画像は、ウィキより、
Yamaoka Tessyu.jpgあの時代で、身長188センチ、体重105キロ。
鋭い眼光は、「幕末最強説」があるのも、うなずけます。
 
成田山新勝寺には、「月岡芳年」が描いた不動明王の墨絵に山岡鉄舟が「不動如山」と墨書している「大絵馬」があります。
 
今、「無尽 MUJIN」と言う、隻腕の剣士「伊庭 八郎」を主人公とした漫画を読んでいます。その中に、若き日の、山岡鉄舟も出てきます。
 
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四国36不動霊場・・・

2022-03-26 08:24:11 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

だいぶ前に、順路通りに巡拝して満願した「四国三十六不動霊場」。

sikoku36fudo.org

今はどうかは知りませんが・・・

だいぶ前の「霊場会ガイドブック」の地図は・・・

ものすごく「アバウト」でした。

お不動さんなので・・・比較的「山寺」が多く、しかも四国の山なので・・・

「地元」の人でも、その「アバウトな地図」では、「よほど近い位置に住んでいる人」じゃなきゃ、わからない状態でした。

今のように、ナビがあったわけでもなく、

「霊場会ガイドブック」の、アバウトな地図 のみが頼り。

地図通り進んでたら、「切り返しができない狭い山道に入り」、

「50回くらい切り返して」脱出したことも。

山道が多いため、「人が、ほとんどいない」所では、誰かに訊ねることもできず、

タイヘンな思いをしながら満願しました。

ただ、四国の「お不動さん」の霊場なので、

「都会には無い、原初的な、不動明王の荒々しさ」は感じられる寺院が多かったのは良い体験でした。

いずれ、社寺巡りで記します。

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廃仏毀釈から150年…諏訪大社「神宮寺」ゆかりの仏像を一斉公開するプロジェクトが発足・・・

2022-03-26 07:53:31 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

「2021年5月26日、諏訪大社に珍しい光景が広がりました。諏訪大社の境内に居並ぶのはお坊さんたち……神社にたくさんの“お寺さん”が集まったのです。

この日、お坊さんたちが諏訪大社下社秋宮に集まったのは、あるプロジェクトのため。そのプロジェクトとは「諏訪大社上下社神宮寺由来仏像一斉公開プロジェクト」です。

諏訪大社と一体だった仏教

プロジェクト名にも入っている「神宮寺」というのは神社に付属して建てらたお寺のこと。仏教のお寺と神道の神社はルーツの異なるものですが、「神様仏様」と並べるように、日本では「神仏習合」という形で神道と仏教は融合していました。

諏訪大社もかつては上社・下社ともに神宮寺が一体化しており、多くの仏像や仏教建築が存在していました。

仏教と神道が現在のようにはっきり分離したのは明治の新政府が誕生してから。神仏分離政策によって神宮寺も廃止となり、その流れのなかで「廃仏毀釈」と呼ばれる仏教文化財の破壊も行われました。

諏訪大社でもこのとき仏教建築が失われ、神宮寺は消えてしまったのですが、そのときに一部の仏像、仏具などは守られ、周辺の寺院に受け継がれることになったのです。こうして受け継がれた仏像などは、現在も多くの寺院で大事に保管されています。

大社とお寺、150年ぶりの再会

今回のプロジェクトは、こうして周辺寺院に残された神宮寺由来の仏像などを、諏訪大社と寺院が協力して、一斉に公開しようというものです。この日は、来年2022年秋の公開実施に向けた正式な立ち上げにあたり、周辺寺院のお坊さんなどプロジェクトメンバーが秋宮に集まり、参拝や会見を行いました。

明治政府成立により仏教と神道が引き裂かれてからおよそ150年。参加する寺院のひとつ、照光寺の住職・宮坂宥洪さんも「こういう形で参拝するのは初めて」と話していました。

ですが、諏訪大社の北島和孝宮司が「難しいことはない。本来の形に戻るだけ」と話すように、日本では仏教と神道はもともと長い歴史のなかで自然に同居していたものでもあります。長らく当たり前であった光景が戻ってきたような様子に、プロジェクト実行委員会の会長を務める原正直さんは「すでに目の前に神仏が習合しているよう」と話していました。

2022年秋、一斉公開…60年に一度の秘仏も

今回のプロジェクトによって仏像などが一斉公開されるのは2022年10月1日から11月27日を予定。現時点で19の寺院と、諏訪大社を含めた3つの神社に加え、諏訪市博物館などの博物館が参加しており、それぞれで仏像や仏具などを公開します。」

・・・「諏訪旅」より。

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