タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

今熊野山「胎蔵寺」・・・

2022-03-14 18:19:08 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

162社寺目です。

国東熊野権現「胎蔵寺」。

平成14年10月13日御朱印いただいております。

国東六郷満山霊場第五番札所、宇佐神宮六郷満山霊場第六番。

「胎蔵寺は、国重文、熊野磨崖仏の参道入口に位置します。御本尊は阿弥陀如来。山号は今熊野山。紀州の「熊野権現」を奉じる修験の勢力と結びつき、独自の神仏習合の山岳修験道場として発展した歴史があります。
現在は、廃仏毀釈以降、今熊野社と胎蔵寺は分かれていますが、元々は胎蔵寺の奥之院として位置しており、現在でもその流れは強く残っており十年一会の峯入り行の際は熊野磨崖仏の不動明王御宝前にて採燈護摩を焚き入峯が始まるそうです。

大分県豊後高田市田染平野2579番地

TEL.0978-26-2901 」

ではまた。

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ウカノミタマ女神とニギハヤヒノミコトの御姿・・・

2022-03-14 17:41:44 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

当ブログの目的である、「2018年5月、関西の真言宗某寺院にて拝謁した、ウカノミタマ女神とニギハヤヒノミコトの、「生の御神霊」の御姿を伝える」、その絵が、今完成しつつあります。

プロに依頼しています。

ラフ画が完成しつつありますのでアップします。

なかなか、直接拝謁した者にしかわからない、その美しい御姿を言葉で伝えて絵にしていただくのは難しい作業でした。

私自身、すでに絵を描く技量が現在無くなっているので、だれかプロの方に描いていただこうとして、いろいろな方の「日本の古代の神々の絵」をネットで探しました。

その中で、私が拝謁した神々とよく似た神画を描いてられる「持田 大輔」先生に、直接電話してお願いすることになったのです。現在、1か月くらい経っています。それくらい、神々の御姿を伝えて、絵にしていただくのは困難な作業なのです。

(今、そばでヒヨドリが鳴きました)

私が拝謁した時は、女神・男神共に、私より2~3m高い位置から、「まっすぐ」私の目を見つめながら微笑んでおられました。(今、後ろでスズメが鳴きました)

ただ、絵にすると、正面向きの絵は、描くのに大変難しいため、やや斜め向きの御姿で描いていただいております。

実際に私が拝謁した神々は、「肩から上しか」見えなかったので、肩より下は想像図です。

20歳くらいに見えた女神の髪型は、前述した通り、「上でくくって、後ろに流しておられ」、額の上に「冠」が見えました。「三輪山」のような、なめらかな三角形の冠でした。

両耳の横に垂れている「髪の束」は、こういう感じです。艶のある綺麗な黒髪でした。瞳は、「凛とした、一重切れ長の美しい瞳」。口元は柔らかい微笑み。

18歳くらいに見えた男神は、こういう髪型でした。聖徳太子のような「みずら」では無かったです。やはり、「一重切れ長」の綺麗な目、口元は微笑み。女神男神ともに、清潔感ある「涼やかな」、それでいて「ほんわりと」優しい神気を放っておられました。女神の方が、若干、エネルギーが強いと感じました。

(ニギハヤヒノミコトの方が年長と言う意見しかない中で、なぜか女神の方が年上に見えたことは前述した通りです。 つい最近知ったのですが、古代日本では、「婿入り文化」があったのも事実らしいです)

絵は、もう一枚製作していただいております。本格的に仕上がるのは、これからです。

ではまた。

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松下幸之助の成功とヘビ・・・

2022-03-14 17:39:33 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

松下電器産業、現パナソニックの創業者、「故・松下幸之助 氏」の本や、生の講演を収録したカセットテープなどを昔読んだり聞いたりしていた。

その中で、松下家生家のお手伝いさんだった人が、成功した松下氏のもとを訪ねてきた時の内容を、氏本人が語っていた。

お手伝いさん曰く、「あんたが成功できたんは、あんたが幼かったころ、庭に出たヘビを殺すのに、あんたが参加しなかったからや」と。

当時、松下家の庭にヘビが出て、松下氏の兄弟たちは、みんなでヘビを殺したそうだ。

その行為に、松下氏は参加しなかった「ため」、「あんたは成功できたんや」と言うこと。

松下氏曰く、「それが真実かどうかはわかりまへんが、兄弟たちは、みんな早逝 (そうせい=若くして亡くなること) した。ヘビの殺害に参加しなかった私だけは、成功したと、こういうわけであります」。

私が子供だった頃は、「ヘビを殺したら祟られる」から、「絶対に殺してはいけない」と言う民間信仰が、まだあった。

「祟られる」云々はともかく、「無益な殺生」は、殺生した者にいずれ業として返っていくのは道理である。

真実はどうかは私にはわからないが、「ヘビを殺した兄弟たちは、早逝し」、「参加しなかった松下幸之助氏は、実業で大成功した」これは事実である。

( 私は前述したように、ヘビは怖くないし、そもそも鳥獣や昆虫には優しいので、殺すことも傷つけることもしない。)

高野山の体育館や茶室を作るのに多額な寄付をした松下幸之助氏。

その時の話を、岡山県某所・高野山真言宗寺院の住職から直接聞いた。

当時の住職曰く、「私が高野山に務めておった時に、松下さんが多額の寄付をしてくれて、体育館を作ってくれましてなあ、そのお礼を松下さんのお宅に言いに伺ったんですわ。それでですなあ、お茶出してくれまして、茶碗を見て、≪ これは、いい茶碗ですなぁ ≫ と、褒めたらですなあ、松下さん、嬉しかったんでしょうなあ、ニコーっと笑って、≪ 高野山には茶室はありまっかいな? ≫ と、こう聞くんですわ。 ≪ いえ、茶室はないんですわ ≫ と、こう言いますとな、≪ ほなら、茶室も作ってさしあげまひょか ≫ と、言われましてですなあ。茶室も作ってくださったんですわ」とのこと。

松下氏は、功成り名を遂げた後は、伊勢神宮や高野山はじめ、様々な神社仏閣へ浄財を寄付したりして、「神仏への道へと」進んでいった。

その松下氏の名言。

「こけたら、立てばええんや」(倒れたら、起き上がればいいのだ)

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