菩提 (亡き者) の供養は、先祖供養が基本であるが、
昨今、愛ペットの供養も増えている。
日本では、もともと神道が故人の供養をしていた。・・・神道では「供養」と言う言い方はしないと思うが、わかりやすく「供養」でまとめる。
古来、日本では、「精霊信仰」から、「祖霊崇拝」へと変化し、家の祖先を「祖霊神」として祀り、国として「首長霊信仰」へと変化していったと言う。その「首長霊」が「神々」である。
江戸時代の徳川幕府の政策により、「各家庭の祖霊」を供養するのが、「神道」から「仏教」へと変わったのだ。(と思う)
真言宗では、「現世祈祷」も含めて、「菩提供養」も、基本は、
「自力・他力・法界力 (ほっかいりき) 」である。
この場合の、「自力」は、「供養主=施主=功徳主の、信仰」。
「他力」は、「仏さまへ橋渡しをする僧侶の祈り」。
「法界力」は、「仏の加持力」。
この中で一番大切なのが、最初の「自力」。
「自力 (施主、祈願者) 」の「信仰力」があって、「他力 (僧侶の祈り) 」、そして、「法界力」へと繋がる。
「自力」の中で一番大切なのは、「施主、祈願者」の「徳」がもっとも重要。
「道徳正しく生き、常に神仏を信心し、徳を積む者の、信仰力」は、強い力を授かれる。
逆に、「詐欺師で、プーチンのようで、悪逆で、ウソつきで、犯罪の常習者」であれば、「巨万の金を寺に積んでも」、「なんの功徳も授かれない」。
「神仏は、常に見ておられる」のである。
高野山に「貧女の一灯 (ひんにょのいっとう) 」と言う、「消えずの火」が、奥之院灯篭堂にある。
昔、「貧しい、お照と言う娘が、自分の黒髪を売って得たお金で寄進した灯明」が、今も燃え続けていると言う話である。
以前、知り合いの曹洞宗の方丈 (ほうじょう=住職のこと) に質問した。
「貧乏人が、なけなしのお金を寺に布施するのと、松下幸之助さんのような富豪が多額の寄付をするのは、どっちが功徳ありますか?」と。
方丈曰く、「・・・どちらも功徳になりますが、やはり、貧しい人が、なけなしのお金を布施する方が功徳は大きいと思います」とのこと。
今、避難民として他国に逃れているウクライナの人々を、それぞれの国の人々が支援している中で、隣のモルドバ共和国の人々も、ヨーロッパで最貧国と言われているのに、ウクライナの人々を助けている。
そのモルドバ共和国を支援しようと立ち上がった日本人たちがいて、テレビで紹介されていた。
プーチンの巨悪に対して、様々な国の人々が善意を寄せている。
今、悪逆な者たちの破壊にさらされ、地球自体が壊れつつある中、様々な国の人々の善意が表に出てきた。
「権力」と言う巨大な力の前では、われわれ個人の力など小さなものであるが、全世界の人々の善意が目覚めつつある今、巨悪な権力も倒れる時が来るのかも知れない。
ミャンマーの巨悪 (軍) も、民衆たちの善意で倒れる時が来て欲しいものだ。
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