石造美術紀行

石造美術の探訪記

三重県伊賀市石川穴石神社宝篋印塔の相輪が盗難!

2016-11-09 00:58:16 | 宝篋印塔

三重県伊賀市石川穴石神社宝篋印塔の相輪が盗難!
三重県伊賀市石川の穴石神社の宝篋印塔の相輪が盗難に遭ったとのことです。何度か訪ねていたので大ショックです。市の指定文化財で吉川弘文館『日本石造物辞典』452頁、三重県の冒頭を飾る(五十音順の関係)宝篋印塔です。南北朝時代、延文4(1359)年の刻銘があって基礎下の基壇から相輪まで完存する貴重な紀年銘資料です。10月初め盗難に気付いた氏子総代が警察に被害届を出されたとのこと。7月初めには無事だったようで、この間に何者かが盗んでいったらしい。長さ60㎝程の相輪も、言ってみれば細長い花崗岩の塊なのでかなりの重量ですが、普段ひと気のない神社なら一人二人で抱えて持って行くことも不可能ではない。元は西方の山中の寺跡から移設されたとも言われているようですが、それにしても造立されてから六百年以上も風雪に耐え季節の移り変わりをこの地で見てきた石塔です。かけがえのない地元の宝でもあります。今になってこういう被害に遭って嘆かわしい限りです。言うまでもないことですが、古い石塔は、長い間に倒壊したり、抜き取られたりして残欠になってしまうことが多く、各部完存で揃っていること自体が稀です。また、紀年銘のある石造物は非常に少なく、紀年銘のない大部分の石造物や残欠を考えるうえで年代観のヒントを与えてくれる紀年銘資料はたいへん貴重な存在です。各部が揃っている標識的な資料としても一層価値が高いわけです。相輪がなくなれば史料価値は半減してしまう。惜しまれます。だいたい相輪だけ持って行って何になるというのか…、罰当たりな犯人に告ぐ、直ちに返却しなさい。お天道様は見ているぞ、仏罰&神罰&刑事罰の報いを受けるべし。(HDの写真データがすぐ出てこない…)(あったありました…)

格狭間がちょっと変わっています。総高約180余㎝、塔高はだいたい165㎝程です。基礎や笠石が全体にちょい腰高な感じで、鎌倉期のような安定感や豪放感は感じませんが意匠的によくまとまった印象です。相輪も折れたりせずよく残ってました。基礎の一面に消えかかった刻銘があります。こんな形で相輪を失うとは残念無念、憤懣やる方なしです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。