石造美術研究のあり方に対する批判をしばしば耳にする。つまり、①美術的な観点を重視するあまり対象が優品に限定される傾向がある。②その結果、慶長以前(とりわけ鎌倉後期以前)に対象と多くの価値が絞られる傾向が強い③経験則を重視するあまり感覚的で客観性が弱いことなどである。
川勝博士と同年生まれで、西宮の在野の歴史家であった故・田岡香逸氏は、特に晩年、精力的(というか超人的)に各地の石造美術を調査され、後に川勝博士と並び称される石造美術研究の大家として世に知られた人物であるが、この人などは、既に昭和40年代初めごろから③の「欠点」を強く指摘し、徹底した実測と拓本、各部位の比率比較検討などをもって「科学的客観性」とし、これらを前面に押し出した方法論で、しばしば従前の石造美術研究の「欠点」を厳しく批判した。
しかし、これらの「欠点」は、何も石造分野に限ったことではなく、①や③は美術工芸史の陥りやすい「欠点」として誰でも気づくことである。「科学的客観性」ばかり追求することにもさまざまな「欠点」があって、小生は「欠点」は「欠点」としてきちんと認識し、「長所」をしっかり見失わないよう、自省と向上心が大切だと思う。
結局、各部寸法の単純比較の議論が時に虚しく感じるように、美しいものは美しく、計測値では表せない普遍的な「美」というものはやはり否定できない。一方で時代時代の美的感覚の移ろいを追っていくこともまた文化史なのである。破片や残欠、時代の下るものの中にも、さまざまな物語が秘められていることを心しておきたいものである。