川勝博士は昭和53年に他界された。享年74歳。
存命であれば既に100歳を超えられるわけで、当然、生前にお目にかかることはなかった。
小生が最初に手にしたのは、博士の最後の著作のひとつである新装版『日本石造美術辞典』であった。初めはなんということなく読んでいたが、これを片手にいろいろ現地を訪ねてみて初めて気づいたことがある。それは、遺品編の各項目説明文にある場所の記述、わずか1~2行しかない簡単な記述が実に的確で、記述を読みつつ市販の地図があれば、たいていはスムーズに石造美術のある場所にたどりつけるのである。
石造美術の多くは、案内板もなくひっそりと存在している。自治体のHPなどでも詳しい行き方はわからない。地図と本を頼りに現地の人に聞きながら行くことも多い。他の人が書いた本では、記述が冗長であるか、または現地に辿り着けもしないのである。これが石造美術を小生が探訪するうえでどれほど助かるかは別の機会に述べる。
平易かつ簡潔でありながら的確な文章表現と、遺品はもちろん、土地や場所に関して、しっかりとした観察眼が車の両輪のように作用して読者の理解を助けるのである。
しかも、そういう文章を書くのがとても速かったという。そう、川勝博士はえらいのである。
ヤフーブログ 石造美術IN九州 佐藤誠 のブログより
書物を通じて川勝博士の学恩の余慶に与る端くれを勝手に称している次第、おこがましい限り暫汗に耐えないところです。川勝博士が中心となり切り拓かれてきた「石造美術」の蓄積なくして石造研究は語れません。しかしながら、最近の石造研究に関する著作を読んだり研究者のお話しを拝聴したりすると、どうもこの”美術”という用語のせいなのか、優品ばかりを主観的に扱っているかのように誤解されているような気がしてなりません。その道のパイオニアで、啓蒙的なスタンスをとっておられた関係でそういう印象があるのかもしれませんが、川勝博士の著述を読んでいくと決してそんなことはない。よく読んでいない人ほど川勝博士を誤解しているように感じます。確かに石造研究を進めるうえで乗り越えていかなければならない存在ですが、誤解したままで乗り越えた気になっている人もいるように思います。もちろんその辺りをよくわかって頂いている人も少なくありませんが…。独言、おしゃべりが過ぎました。今後ともどうかご教導くださいますようお願い申し上げます。
六郎謹言