神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

富んでいる者が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通り抜けるほうがまだ易しい~聖書

2020年07月16日 | 日記

 

 ● イエス・キリストは,富んだ人が王国に入ることの難しさを,らくだが針の穴を通ろうとすることになぞらえました。

 
イエスは文字通りのらくだと,本物の縫い針のことを念頭に置いておられたのでしょうか。
 
イエスのこの話を引用した聖句は三つあり,そのうちの二つには同様の表現が用いられています。
マタイの記述によるとイエスはこう言われました。「富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しいのです」。
(マタイ 19:24)
マルコ 10章25節も同じくこう述べています。「富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しいのです」。
 
幾つかの参考資料には,この「針の穴」はエルサレムの大きな門の一つに付随する小さな門であるとの見方が示されています。
夜間に大きな門が閉じられても,小さな門を開けることができ,らくだはその小さな門を通れるとされています。
では,イエスはこの小さな門のことを念頭に置いておられたのでしょうか。
 
そうではないでしょう。イエスは縫い針のことを指しておられたに違いありません。
この地方では古代に使用された骨製の針と金属製の針の両方が見つかっているので,縫い針は普通の家庭用品だったはずです。
ルカ 18章25節を読むと,イエスの言葉に関する疑問は全く除き去られます。
そこにはこうあります。「実際,富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが縫い針の穴を通るほうが易しいのです」。
 
辞書編集者(聖書翻訳者)たちも「縫い針」という訳を支持しています。
マタイ 19章24節とマルコ 10章25節に出ている「針」に相当するギリシャ語(ラフィス)は,「縫う」という意味の動詞から派生しています。
また,ルカ 18章25節に出て来るギリシャ語(ベロネー)は,文字通りの手術用の針を指すのに使われています。
「バインの旧新約聖書用語解説辞典」(英語)はこう述べています。「『針の穴』が小さな門を指しているとするのは,新しい考え方のようである。
そうした考えが昔からあったことを示すものは何もない。
主がそのことを言われた目的は,人間にとって不可能だという点を表現することであり,針が普通の道具以外のものを意味すると考えてその難しさを和らげようと努める必要はない」。
―1981年,第3巻,106ページ。
 
*塚本訳(1963)「金持が神の国に入るよりは,駱駝が縫針のめどを通る方がたやすい」。
 
 
 
一部の人たちは,これらの聖句で「らくだ」を「綱」と訳すべきだとの見方を示しています。
綱に相当するギリシャ語の言葉(カミロス)とらくだに相当するギリシャ語の言葉(カメーロス)はよく似ています。
しかし,マタイの福音書の現存する最古のギリシャ語写本(シナイ写本,バチカン写本1209号,およびアレクサンドリア写本)を見ると,
マタイ 19章24節に,「綱」ではなく「らくだ」を指すギリシャ語が出ています。
マタイは元々その福音書をヘブライ語で書いたと伝えられており,次いでそれを自らギリシャ語に訳したものと思われます。
マタイはイエスが何を言われたかを正確に知っていたので,適切な語句を用いることができました。
 
ですからイエスは,文字どおりの縫い針と本当のらくだに言及しておられました。それらを用いたのは,何かが不可能であることを際立たせるためでした。
ではイエスは,富んだ人はだれも決して王国に入ることはできないと言っておられたのでしょうか。
いいえ,イエスの言葉は文字どおりに受け止めるよう意図されたものではありません。
イエスは誇張法を用いて,ちょうど文字どおりのらくだが実際の縫い針の穴を通れないように,「富んだ人が自分の富にずっとしがみついて生活の中で神(ヤハウェ,エホバ)
を第一にしないなら,王国に入るのは不可能であると」の例えを話されたのです。
(ルカ 13:24)
 
「今の世で富んでいる人々に対して命じなさい,思い上がらず,不確かな富に希望を置かず,むしろ,あらゆるものを私たちが享受すべく私たちに豊かに与えて下さった神に希望を置き,
善を行ない,立派な行ないに富み、気前が良く,他人に分け与えるに積極的であり,真の命を摑み取るべく,将来のために立派な基礎となるべき善行を自分自身のために蓄えるように,と」。
(テモテ第一 6:17~6:19)
 
イエスがこの話をされたのは,富んだ若い支配者がイエスの追随者となる大きな特権を退けたすぐ後のことでした。

また,ある支配者が彼に質問してこう言った。
「善い師よ,何をすれば,わたしは永遠の命を受け継げるでしょうか」。イエスは彼に言われた,「なぜわたしのことを善いと呼ぶのですか。ただひとりの方,神のほかには,
だれも善い者はいません。
あなたはおきてを知っています。『姦淫を犯してはいけない,殺人をしてはいけない,盗んではいけない,偽りの証しをしてはいけない,あなたの父と母を敬いなさい』」。すると彼は言った,「わたしはそれらをみな若い時からずっと守ってきました」。それを聞いてから,イエスは彼に言われた,「あなたには足りないことがまだ一つあります。
あなたの持っている物をみな売って,貧しい人々に配りなさい。そうすれば,天に宝を持つようになるでしょう。それから,来て,わたしの追随者になりなさい」。これを聞いて,彼は深く悲しんだ。彼は非常に富んでいたからである。イエスは彼をじっと見て,こう言われた。「お金を持つ人々が神の王国に入って行くのは何と難しいことなのでしょう」。
(ルカ 18:18~24)

 
「富裕な人が霊的な事柄よりも所有物により大きな愛着を感じるなら」,王国の取り決めのもとで永遠の命を得ることは期待できません。
とはいえ,一部の富んだ人たちはイエスの弟子となりました。
「夕方になると,アリマタヤ生まれの金持でヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子であった」。
(マタイ 27:57)
「そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で,金持ちであった」。
(ルカ 19:2)
ですから,霊的な必要を自覚し,神の助けを求めるなら,富んだ人でも神の救いを得ることができるのです」。
(マタイ 5:3) 
 

『すると,ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには,どんな良いことをしたらよいのでしょうか」。
イエスは彼に言われた。「なぜ,良いことについて,わたしに尋ねるのですか。良い方は,ひとりだけです。もし,いのちにはいりたいと思うなら,戒めを守りなさい」。
彼は「どの戒めですか」,と言った。そこで,イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」。この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな,守っております。何がまだ欠けているのでしょうか」。イエスは,彼に言われた。「もし,あなたが完全になりたいなら,帰って,あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば,あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで,わたしについて来なさい」。ところが,青年はこのことばを聞くと,悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。それから,イエスは弟子たちに言われた。「まことに,あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに,あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは,らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」。弟子たちは,これを聞くと,たいへん驚いて言った。「それでは,だれが救われることができるのでしょう」。イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし,神にはどんなことでもできます」』。
(マタイ19:16~19:26)

 

                   

                                                  

 

 

 


抗議すれば解決しますか~聖書

2020年07月16日 | 日記

 

【抗議すれば解決しますか】




それは2010年12月17日のことです。チュニジアの26歳の青年モハメド・ブアジジは,もう耐え切れなくなりました。
街頭で野菜や果物を売っていたのですが,より良い仕事に就けないことにいら立っていて,腐敗した役人から賄賂を要求されることも知っていました。
そして,その日の朝,売り物のナシやバナナやリンゴを検査官たちに没収されました。
秤まで取り上げられたため抗議したところ,目撃者によれば,一人の婦人警官に平手打ちされたのです。

モハメドは,屈辱を感じて激怒し,近くの役所へ窮状を訴えましたが,相手にされませんでした。
そのため,役所の建物の正面で,「どうやって生計を立ててゆけばいいんだ」と叫び,自らガソリンをかぶって火を付けた,とのことです。
モハメドは,そのやけどが原因で,3週間もたたないうちに死亡しました。

モハメド・ブアジジの自暴自棄の行動は,チュニジアの人々だけでなく他の国々にも衝撃を与えました。
モハメドの行動をきっかけに民衆が蜂起して同国の政権を倒すと,それに触発されて他のアラブ諸国でも種々の抗議運動が起きた,と多くの人は考えています。
欧州議会は2011年の「思想の自由のためのサハロフ賞」をモハメドと他の4人に贈り,ロンドンのタイムズ紙はモハメド・ブアジジを2011年の“今年の人”に選びました。

そうした事例からも分かるように,抗議運動は強い力となる場合があります。
それにしても,近年,抗議運動が世界各地で起きているのはなぜでしょうか。そうした運動以外に解決策はないのでしょうか。
抗議運動が頻発しているのはなぜか




『多くの抗議運動は,次のような要因があって引き起こされます』。

● 社会体制に対する不満。人々は,自分たちの必要とするものが地方行政体や経済活動によって満たされている限り,抗議しようとは思いません。
  既存の制度の中で働いて各自の問題に取り組みます。一方,『今の体制は,ごく一部の人たちだけが利益を貪り,腐敗していて不公平だ』と感じると,暴動を起こそうとします。

● 引き金となる出来事。多くの場合,人々は一つの出来事に触発されて行動を起こします。あきらめかけていたのが,急に,何かしなければならないと思うのです。
 例えば,前述のようにチュニジアではモハメド・ブアジジの件で大規模な抗議運動が起きました。
 また,インドでは社会活動家の男性アンナ・ハザレが汚職に反対してハンガーストライキをし,それがきっかけとなって450の都市や町で支持者たちによる抗議運動が起きました。



昔から聖書が認めているとおり,『世には,権力を執る者がいれば,その下で苦しむ者もいます』。
(伝道の書・コヘレトの言葉 8:9)
「人が人を支配してこれに害を及ぼした時の間に,日の下で行なわれたすべての業に心を用いるのであった」。
(伝道の書・コヘレトの言葉 8:9)




腐敗や不正は,昔より今日のほうがはるかに広範囲に見られます。実際,人々は自分がいかに政治体制や経済体制に失望しているかをかつてなく自覚しています。
今ではスマートフォンやインターネットが普及し,24時間ニュース報道が行なわれているので,地球の片隅で起きた事件でさえ世界各地で反応を引き起こします。



『抗議運動で何が成し遂げられてきたか』

暴動を擁護する人たちは,抗議運動によって以下のような事柄が成し遂げられてきた,と主張することでしょう。

● 貧しい人々が救済された。1930年代の大恐慌の時に米国イリノイ州シカゴで,“借家人暴動”が起き,その対応策として市の役人たちが,家屋明け渡し要求を差し止め,
 暴徒の一部が勤め口を見つけられるよう手配しました。ニューヨーク市でも同様の抗議運動が行なわれた結果,立ち退かされた7万7,000世帯が元の家に戻れることになりました。

● 不公正が正された。1955年から1956年までの,米国アラバマ州モンゴメリーにおける市バス・ボイコットにより,最終的には,バスの座席に関する人種分離法が撤廃されました。

● 建設計画が阻止された。2011年12月,香港<ホンコン>の近くに石炭火力発電所を建設するという計画に,幾万もの人々が大気汚染を懸念して抗議したため,その計画は中止されました。



もちろん,抗議すれば必ず望みどおりになる,というわけではありません。
例えば,指導者たちは,要求を聞き入れずに弾圧するかもしれません。最近,中東のある国の大統領は,同国での抗議運動を「鉄の拳で打つ」と述べ,そのとおりにしたため,
民衆蜂起に関連した死者の数が幾万人にも上っています。

抗議運動で目的が達成されたとしても,その後に新たな問題が生じることは避けられません。

アフリカのある国の支配者を退位させることに助力した一人の男性は,新政権についてタイム誌(英語)に,「それはユートピアだったが,たちまち混乱状態に陥った」と語りました。


『もっと良い方法はあるのか』

著名な人々の中には,圧政に抗議するのは道義的なことだ,と考えている人が少なくありません。
例えば,人権擁護活動をしたために数年間投獄されたこともある,チェコの元大統領,故バツラフ・ハベルは,1985年にこう書いています。
「[反体制主義者は]何かできるとしても自分の命をなげうつことしかできない。自分の主張の正しさを訴える方法がほかにないというだけの理由で,命をなげうつのである」。
ハベルの言葉は,モハメド・ブアジジその他の人たちの自暴自棄の行動を予見するものでした。
アジアのある国では,最近,宗教思想や政治思想に対する弾圧に抗議して焼身自殺する人が増えています。
そのような極端な行動を促す感情について,ニューズウィーク誌の取材を受けたある男性は,
「我々は,銃を持っていないし,他の人たちを傷つけたいとは思わない。ほかに何ができるというのか」と語りました。

 

 

 

聖書には,不公正,汚職,抑圧などに対する解決策として,神によって天に設立された政府のことが述べられています。
その政府は,抗議の対象となる機能不全の政治体制や経済体制に取って代わるのです。
その支配者については,『助けを叫び求める貧しい者,また,苦しんでいる者や助け手のない者を救い出す。虐げと暴虐から彼らの魂を請け戻す』
と預言されています。(詩編 72:12,14)
「これは,彼が,助けを叫び求める貧しい者や,助ける人のない悩む者を救い出すからです。しいたげと暴虐とから,彼らのいのちを贖い出し,彼らの血は彼の目に尊ばれましょう」。
(詩編 72:12,14)

 

 

 

                                

2017-08-06の再掲


人間より神に従わなければなりません~聖書

2020年07月16日 | 日記

 

 

 

ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」。
聖書(使徒4:19)



しかし、それに答えてペテロとヨハネは彼らに言った、「神よりもあなた方に聴き従うほうが、神から見て義にかなったことなのかどうか、あなた方自身で判断してください」
(使徒4:19)



しかしペトロとヨハネは彼らに答えた、「神よりもあなた方に聞き従うほうが、神のみ前において正しいことなのかどうか、皆さん自身で判断してください」。
(使徒4:19)





それに答えてペテロとほかの使徒たちは言った、「わたしたちは、自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」。
聖書(使徒5:29)



それに対して、ペトロと使徒たちは答えた、「わたしたちは、人間より神に従わなければなりません」。
(使徒5:29)



ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」
(使徒5:29)



初代クリスチャンたちが殉教の死を選んだ理由

十二使徒たちはなぜ死を選んだのか
12弟子の死


    アンデレ--はりつけの刑
    バルトロマイ--はりつけの刑
    アルパヨの子、ヤコブ--石打の刑
    ゼベダイの子、ヤコブ--首を落とされる
    ヨハネ--信仰のゆえに離れ小島(パトモス島)に送られ、生涯を終える
    ユダ--石打の刑
    マタイ--槍で刺し通される
    ペテロ--逆さはりつけの刑
    ピリポ(フィリポ)--はりつけの刑
    シモン--はりつけの刑
    トマス--槍で刺し通される
    マッテヤ--石打の刑

十字架にかけられ、墓に葬られて三日後、イエス・キリストの体は墓穴から姿を消してしまいました。
ある人たちはキリストの弟子がその遺体を運び出し、作り話をでっち上げたのだと言います。
それがもし本当であるなら一体なぜ弟子たちは作り話のためにその命を捨てるようなことをしたのでしょうか。
あなたが弟子の一人であったとしたらどうしたと思いますか。

キリストの弟子たちは、集団自殺を遂げ、何とかつじつまを合わせようとしたのではありません。
その一人一人は仕事を捨て、家族を離れ、遠い異国に赴いてキリストが死からよみがえられたことを述べ伝えたのです。
もしも弟子たちが架空の作り話をでっち上げたのであれば、なぜ彼らはその作り話のために、まだ年若かったにもかかわらず、死ぬことを選び取ったのでしょうか。
おかしな話だとは思いませんか。

あらゆる拷問を受けながらもキリストの弟子たちは、イエス・キリストが死からよみがえられたことを主張し続けたのでした。
弟子の中で捕らえられた者たちは、キリストの復活について語ってはならないと命じられたとき、「私達は見たこと、聞いたこと以外には何一つ語ることはできない。」と宣言したのでした。

もちろん彼らは、イエス・キリストがむち打たれ、十字架にかけられ、さらし者にされたことを他の誰よりも良く知っていました。
ローマ兵たちはキリストの死を確かめるためにわき腹に槍を差し入れたりもしたのです。
イエス・キリストがその死から復活すると語っていたことを承知していたローマ政府は、何人もの番兵をその墓穴に配備したのでした。

そして三日後、番兵たちは逃げ出し、墓穴を封じていた2トンもの岩が取り除けられ、キリストの体はその姿を消してしまったのです。
弟子のペテロとヨハネはその遺体を覆っていた布がそのままになっているのを目撃しています。

その後、弟子たちはイエス・キリストが生きておられるのを幾たびも目撃しているのです。そればかりか、実際にイエス・キリストと会話を交わし、また共に食事までしたのです。
そしてこの弟子たちが、自分たちの目撃したこと、つまりキリストが自ら話されたように神のひとり子であり、
死からよみがえられたということを述べ伝え、その結果として殉教の死を遂げていったのでした。

もしもあなたがこの弟子たちの一人であったらどうしていたでしょう。
弟子たちがしたようにその信仰のゆえに死ぬ必要はないかもしれませんが、あなたも弟子たちが抱いていたその確信を自分のものにすることができるのです。

 

 

 

 

               

 

 

2017-08-20の再掲


世界中に見られる政府の腐敗・・・聖書

2020年07月16日 | 日記

 

「世界中に見られる政府の腐敗」



政府の腐敗とは,公的な権力を乱用して私的な利益を得ること,とされています。
そのような職権乱用には長い歴史があります。
例えば聖書には,訴訟事件に関連したわいろを禁じる律法が記録されており,贈収賄は早くも3,500年以上前からよく知られていたことが分かります。
「わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を,盲目にし,正しい人の言い分をゆがめるからである」。
(出エジプト記 23:8)

もちろん,腐敗にはわいろを受ける以外のことも含まれます。
腐敗した公務員は,官庁の物を私物化したり,受ける権利のないサービスを利用したり,さらには公金を横領したりすることがあります。
また,自分の地位を利用して不正に友人や親族を優遇する場合もあります。


腐敗は人間のどんな組織にもあり得ますが,最も広く見られるのは政府の腐敗でしょう。
トランスペアレンシー・インターナショナル発行の2013年「世界腐敗バロメーター」
(英語)によると,多くの国の人々は,公職の次の5つの分野が,すなわち党員,警察官,官僚,議員,裁判官が特に腐敗している,と考えています。
以下の報道では,そうした問題が指摘されています。

アフリカ: 2013年,南アフリカの約2万2,000人の役人が,職権を乱用したとして訴えられた。

南アメリカ: 2012年,ブラジルで,25人が公的資金を使って政治的支援を得たことで有罪判決を受けた。それら有罪とされた人たちの中には,同国の最高権力者に次ぐ,
大統領の元首席補佐官も含まれていた。


アジア: 韓国のソウルでは,1995年に,あるデパートが崩壊して502人が死亡した。調査の結果,市の役人たちがわいろを受け取って,建設業者が基準以下のコンクリートを使ったり
安全規定に違反したりするのを許して いたことが明らかになった。

● ヨーロッパ: 欧州委員会内務総局の委員セシリア・マルムストロームは,
   「この問題[ヨーロッパにおける腐敗]の程度は,驚くほど深刻である」とし,「腐敗を本当に根絶しようとする政治的意欲が欠けているように思われる」とも述べている。

政府の腐敗には根深いものがあります。
腐敗防止策に関する専門家スーザン・ローズ‐アッカーマン教授は,改革するには「政府の務めの果たし方を抜本的に変革する」必要がある,と書いています。


事態が改善される見込みはなさそうに思えるかもしれませんが,
聖書は,はるかに大きな変革が起きることを示しています。その変革は,必ず起きるのです。

 

次の記事へ続く >>>

 

             

2017-01-29の補記


兄弟より固く付く友人もいる~聖書

2020年07月16日 | 日記

 


「滅びに至らせる友人たちもあれば、
兄弟よりも親密な者もいる”」。
聖書(箴言18:24)



「互いに打ち砕こうとする友もいれば、“兄弟より固く付く友人もいる”」。
(箴言18:24)



友の振りをする友もあり、兄弟よりも愛し親密になる人もある”」。

(箴言18:24)




霊感によるこの言葉が真実であることを、あなたも経験しておられるでしょう。



”真の友”が述べる事柄は信頼できます。


良い事柄を教えてくれたり、これからしようと思っていることを話してくれたりすると、あなたはそれを信じます。

 

改めるべき点を指摘してくれるなら、それを受け入れて自分に当てはめるでしょう。


その友は、あなたの益を心にかけていることをこれまでずっと実証してきました。


助言を与える場合もそうです。あなたの成功を願ってくれています。


あなたも相手に対して同じ気持ちを抱いており、友情は永続します。

 

     

 

 

 

2017-01-28の補記