Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

黒川温泉ー続編2.

2005年05月08日 18時06分09秒 | Weblog
 黒川温泉ホテル優彩で貰った手形を首に下げて、或る露天風呂へはいると(後で分かったが、新明館(しんめいかん〉」、長い洞窟のような長~い趣向をこらした自然を生かして少しだけ手を加えたいくつものコースがあった。最初の露天風呂は、「打たせ湯」で、左、東側は川、右、西側の崖の天空からは数本のパイプからお湯が滝のごとく落ちてくるのである。肩や背中を打たれると旅で疲れた身も心もリフレッシュできる。
今日紹介の写真は、「幽谷の湯」である。そこへ入るには入り口の木戸を開けると中は真っ暗だ。中には岩風呂があって2~3人が湯船に浸かっていた。大体裸(着衣のままの場合は脱衣場もある)のまま石畳を歩きながら各コース毎に昔の武家屋敷の通用門のようなケヤキ門をくぐるのである。その度に、次はどんな露天風呂かなと好奇心と想像を巡らし心臓がときめくのも乙なものだ。

 次回は、ここで紹介したケヤキ通用門が見られる写真を貼り付けて見たい。

黒川温泉ー続編1.

2005年05月08日 01時25分45秒 | Weblog
昨夜はHPのトラブルで午前3時頃まで落ち着かなかった。どうやら原因はサーバーの不安定ということだった。結局一時的なものでしばらく待ったら修復ができたのでひとまず安心した。
このHPは私の所属する「小金井デジカメ研究会」のホームページである。このページの最後に表示のリンク先を1度試しにクリックしてご覧ください。(リンクされている私のHPタイトルは、「JIMMYの旅行アルバム」である。JIMMYというのは私のニックネームである。)
 さて、お待ちかねの黒川温泉の続編1.だが、眠くてあまり書けない.
ただ、忘れてはならないのが、昨夜の私の「黒川温泉」に貴重なコメントが夕方開いて見たらついていたのでビックリするやら、嬉しいやら小躍りした。コメントの主は、地元の熊本在住の方で、私と同じく天草と黒川温泉、この2箇所がお好きのようで...「チョットした穴場などもご紹介していきたいので...貴殿の更なる旅先レポートを楽しみにしています。」とあった。
これがBlogの特徴であり、醍醐味であるが、先ず投稿者のma-sanに感謝しなければならない。
コメント有難うございました。
黒川温泉については保存してある写真をも少し1枚づつ載せてみたいと思っています。
この写真は優彩から傘を差し、下駄履き、浴衣に羽織を羽織ったまま出て先ほど3階から見下
ろした或る露天風呂(後で分かったが、新明館)へ行った時の写真である。

先ず、ホテル優彩で貰った黒川温泉名物「入湯手形」について少しばかり説明しよう。

この手形は大体2種類あって、1つは長方形、も1つは円形で厚さ1cm弱、すべて素材は小国杉〈おぐにすぎ〉。それを首から下げて好きな3箇所まで温泉めぐりができるのである。
手形は購入時だけ日付のスタンプが押され、入湯毎に各旅館のスタンプを押して貰うことになる。私が貰った入湯手形は半径4cm弱の円形の手形だった。

 ここで、小国杉(おぐにすぎ〉についても、少々説明を加えさせてください。というのは、私自身知らなかったからである。屋久島にも訪問したことがあって、屋久杉はよく知っていたが、小国杉は初めて知った。小国杉は阿蘇外輪山の外の周りに育成された日本でも有数の杉であることを知る。
 この小国杉は、強靭な材で、台風などの災害にも強く折れにくいことで有名だそうだ。
また、購入された入湯手形も木目につやがありきれいな年輪が浮き出ていたのを覚えている。

 では、また明日のBlogの投稿まで、おやすみなさい。

修復が出来た。

黒川温泉

2005年05月07日 02時00分07秒 | Weblog
 昨夜来から、私のHPの1部が開けなくてなって困っています。原因究明中ですので、しばらく御容赦ください。
さて、今日は長文になりますが、しばらく御辛抱いただいて関心のある方はお読み願います。
 昨年春タイトルの「黒川温泉旅行」へ行って参りましたが、そのお話です。
私は、羽田から熊本空港へ向かいました。熊本空港というのはよくある海岸の空港では無く、山あいの空港です。先ず、親族の家で連泊した後、JR熊本駅近くの交通センターから出る黒川温泉行きバスに乗る。
間もなく黄緑一色のえんえんと続く丘陵地帯を走り、阿蘇経由で目的地へ3時間あまりかけて行くのである。
 この日は霧が深く、降車して噴火口を見学する頃になると雨も相当降り始めかなり寒かった。
阿蘇へは、以前にも訪れたことがあるが、その時は晴天で香炉に入れる灰の代わりに火山灰を拾って帰った記憶がある。
 今回の目的地、黒川温泉の予約ホテルは「優彩(ゆうさい)」だ。30軒あまりある黒川温泉宿の中でも最も近代的建築のホテルで、全国でも、ひなびた温泉というイメージからは程遠いものだった。
和洋室いずれも豪華で、私の取った3階の和室は30畳もある広い部屋で窓越しに見える川と両岸に並ぶ20軒近くの宿が見渡せる眺望は実に乙なものだ。部屋のライトもすべてセンサーで反応して
ムード満点だ。早速、入湯。優彩の風呂は源泉100%のかけ流し、しかも毎日入れ替えてとても清潔だ。この写真はその1部である。湯上り後、お茶を1杯飲むと、休む暇もなくフロントへ行って黒川温泉名物「入湯手形」(1枚¥1,200)を貰って出かけた。続きは、明日のブログで。

過日、御紹介の私の2回目のHPが見られます

2005年05月05日 14時04分53秒 | Weblog
 過日、御紹介の私のHP2回目、タイトル:{大沢悠里の「オリエント急行夢体験」9日間イタリア・南仏ニースの旅}が今朝アップロードされています。御高覧になってコメントして頂けると尚有難いです。HP2回目
ついでに、昨日天草五橋の中1号橋の写真を披露しましたが、
今日は有明海の風光明媚な写真の1枚を貼り付けました。

天草五橋

2005年05月05日 00時35分33秒 | Weblog
 昨日は天草四郎館が有明海に面していると言ったけれども、正しくは有明海、島原湾に面しているのである。そして、その近辺は天草松島と言って多くの島々に青い海、天草五橋とが調和して大変風光明媚な場所として知られている。最初の時は、遊覧船でその景勝地を回り、2度目の昨年は車で天草パールラインを爽快な気分でドライブしてみた。

写真は天草五橋のうち全長502mある天門橋(一号橋)である。当然、二号橋、三号橋、四号橋、五号橋と続く訳である。

帰りに近くの食事処でランチを食べたが、実にうまい食事で今でも忘れられない。
残念ながら名前を忘れてしまったが、なんでも網元で近海で捕れたコリコリする
鯛の刺身に味噌汁のあら汁、山菜料理は忘れられない。付近には大きなレストランが2~3軒あったが、こういう地味な食事処は時間を惜しまず地元の人に良く尋ねて探すと案外穴場が見つかるものである。

天草四郎館(島原・天草一揆)

2005年05月03日 21時47分22秒 | Weblog
 前回、高遠の「絵島囲み屋敷」についてお話しましたが、今日は同じ江戸時代の初期に起こった島原の乱について述べて見たい。
 現地の天草へは2回訪問している。数年前に訪問した時は「天草四郎館」は存在していなかったが、昨年3月27日に再度訪問してみると写真のようなスマートで現代風の資料館が建立されていた。中へ入ると、1階が展示室、2階が映写室になっており、「島原の乱」の様子が良く分かるように編集されていた。
 御存知の通り、島原の乱は、1637年島原・天草地方の百姓たちが領主の過酷な租税の取立てのために蜂起して、島原城、高岡城を攻めながらやがて、島原の原城に若干17才の天草四郎を総大将として
総勢3万7千の老若男女を含む惣百姓(荘園解体期に現れた村人の共同体の意)・浪人ら一揆軍が篭城したが、幕府軍による総攻撃によって一揆軍全滅に至ったと言われる。
 当時この地は、全国でもまれに見るキリシタン全盛を誇った地域で、領主によるキリシタン迫害がこの一揆に拍車を掛けたことは間違いない。
 それにしても、一揆軍の総大将天草四郎が若干17才とは恐れ入る。
 科学がいくら発達した今日でも、イラクの首都バグダードでは毎日のように自爆テロが発生していますが、善悪は別にして宗教の重みを感ずる今日このごろである。


「絵島囲み屋敷」についての私の所感

2005年05月01日 17時54分15秒 | Weblog
 昨夜、長野・高遠の珍しいヒガン桜を紹介しましたが、今日はついでに高遠にまつ
わる話題を一つあげたいと思います。
 ご存知の方も多いことと思いますが、ほんとうに江戸時代は「切り捨てごめん」の武士の特権が横行していたようですね。
 題名の話は、大奥女中、絵島が、家継の母月光院にせっせと仕え、大奥と絡んだ幕府の勢力争いに巻き込まれた大事件である。ある日たった1度の芝居見物の帰りに歌舞伎役者生島新五郎との逢引が発覚して、生島は三宅島に遠流、処罰は1500人に及んだと言われる。また、問題の絵島が高遠で流刑生活を送った屋敷を見取り図をもとに復元したのが「絵島囲み屋敷」である。格子や矢来(竹や丸太の囲い)で厳重に囲まれた質素な屋敷で、28年間も絵島は昼夜10人近く(ガイドの話では、6人)の武士・足軽に見張られていたと言う。食事もたしかおかゆで日に2回、まったく生き地獄そのもので可愛そうでたまらない。しかも絵島にとって、これが「情けの判決」と聞いては、また2度ビックリだ。
 現代に生きる我々は自由恋愛は普通で特に若者は思うままに青春を謳歌出来て幸せだ。
そんなことを頭に巡らしながら撮ったのが、残念ながらピンボケだったがこの格子窓である。
 私はこの「囲み屋敷」のことを「座敷牢」と呼んでいるが.....。