奈良県の北西部に位置すうる「平群町」は、東に矢田丘陵、西に生駒山系があり、中央を竜田川が流れています。倭建命が「たたみこも平群の山のくまがしが葉を…」と歌に詠んだように、周囲を緑深い美しい山々に囲まれています。はやくから文化が開け、名所・旧跡が数多くある、豊かな「自然」と「歴史」に恵まれた町です。
今回、国営飛鳥歴史公園で歴史に関わる活動をされているボランティアの皆さんと一緒に、平群町の観光ボランティアガイドさんの案内のもと、平群町の古墳を中心とした歴史散策をしてきました。2回に分けて、紹介したいと思います。前半は、竜田川駅ー鳥土塚古墳ー旧石床神社ー西宮古墳ー中央公園(昼食)までです。
(行程)
竜田川駅ー鳥土塚古墳ー旧石床神社ー西宮古墳ー中央公園(昼食)-ツボリ山古墳ー吉備内親王・長屋王墓ー三里古墳ー元山上口駅
今回は、奈良県「平群谷の歴史散策」(前)の様子を紹介したいと思います。
〇竜田川駅からすぐ近くにある「烏土塚古墳」は、竜田川の西岸、南北方向の独立丘陵に築造された北面する前方後円墳。墳丘は全長60.5m、後円部径35m、高さ約9m、前方部幅31mあり、平群谷最大規模の古墳です。玄室の天井石は2枚ですが,奥壁側の石は玄室の8割を覆うほどの巨石です。現存する棺身の奥壁に向かって右長辺側石と,玄室入り口左側壁下段の石に斜格子文の線刻がみとめられます。明日香村にある蘇我馬子の墓ではないかとも言われて石舞台古墳の石室と比べてみても、やや小さめですがその大きさには大変驚きました。石棺も一部ですが残っており、見応えある古墳でした。
〇越木塚集落の南側にある「旧石床神社」は、平安時代の「延喜式」に大社として記載され、古社の多い平群谷の中でも異彩を放ちます。その最大の特徴は、巨大な岩が御身体となっていることで、崖に高さ8m、幅役30mの巨岩が露出し、中央に亀裂が入っています。古来、この岩が御身体の磐座で、その形態から「陰石」信仰として祀り伝えられてきたものと考えられているようです。ここの、巨岩を実際に見ていると古代の人が信仰する気持ちがわかるような気がしました。
〇「西宮古墳 (にしのみや)」は、一辺約36mの3段築成の方墳で,尾根をコの字状にカットした,いわゆる「山寄せ」の技術を用いて造られています。玄室は天井、奥壁,側壁すべて一枚石を使ったみごとなもので,玄室長3.6m,玄室幅1.8m,玄室高さ1.8m,羨道長9.1m,羨道幅1.5mを測ります。
石室入り口の天井石の傾斜角は,上段から中段にかけての墳丘斜面の傾斜角と同じになるように,また,羨道側壁の先端は斜めに加工してあります。まるで、明日香村にある「岩尾山古墳」とそっくりな見事な石室で、大変驚きました。同じ工人の集団が、関わっていたのでしょうか・・・
西宮古墳の隣が公園になっていて、そこで昼食をとりました。
次回は、ツボリ山古墳ー吉備内親王・長屋王墓ー三里古墳ー元山上口駅を紹介したいと思います。
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