高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町にある城で、別名「高取山城」ともいいます。江戸時代は、高取藩の藩庁でした。現在、国の史跡に指定されています。
城は、高取町から4キロメートル程南東にあり、標高583メートル、比高350メートルの高取山山上に築かれた山城です。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謡われました。
日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに「日本三大山城」の一つに数えられています。1615年の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されています。「高取城」跡には、数多くの櫓跡が残っており、古墳の石等を使ったとされる石垣が見事でした。お城が好きな方は、必見です。
今回は、紅葉まじかな日本三大山城の一つ「高取城」跡について紹介したいと思います。
この「高取城」は江戸期に作られた城主の権威を示すものとして造られたというより、天然の要害を利用して造った実践向きの本格的な山城です。
関ヶ原の戦いの直前に、東軍についた本多氏は西軍の大軍に囲まれますが、この「高取城」に頼って戦い、陥落することは無かったようです。
さらに幕末には天誅組の襲撃を受けましたが、吉村寅太郎率いる約1000人の軍勢をわずか200名の守備兵で撃退しました。まさに実戦も経験した難攻不落の要塞でした。
また、城内にはユニークな表情をした石像『猿石(さるいし)』を見ることができます。丸い顔に丸い目鼻、大きな耳、微笑んでいるような口、まさに猿っぽい表情をした石像です。
実はこの石像は、明日香村・吉備姫王墓にある4体の猿石の兄弟のような存在で、1体だけ高取城に運ばれてしまったようです。数奇な運命をたどった飛鳥時代の石像を、是非とも見学してください。
『猿石(さるいし)』は、二ノ門外、城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点にあります。ただ、案内の地図がありませんので城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点を探してください。大手門跡から約10分位の所にあります。
制作は、飛鳥時代の斉明朝あたりと推定されます。「高取城」築城の際、石垣に転用するために明日香村から運ばれたと言われています。どうしてこの場所に置かれたのかわかりませんが、郭内と城内の境目を示す「結界石」とした説もあようです。久しぶりに見る『猿石(さるいし)』は、やはり可愛らしい姿をしていました。
「高取城」は紅葉の名所としても有名で、11月中旬からモミジやカエデなどの木々が色付いていきます。
今回は、まだ紅葉には早かったようで残念でしたが、「高取城」から奈良盆地や大峰山系が見れる景色は 、とても素晴らしかったです!
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