泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

紅葉が綺麗な 「 みたらい渓谷・2018」

2018年11月13日 14時09分41秒 | 散歩

西日本有数の渓谷美を誇る「みたらい渓谷」は、奈良県吉野郡天川村(てんかわむら)に広がる景勝地です。大きな岩と滝の流れ、何よりも底まで透けるエメラルドグリーンの水の流れが特徴です。遊歩道にあるつり橋の上から、流れる川や滝を眺めることができます。紅葉シーズンには、色彩豊かな景色が楽しめます。イロハモミジ、オオモミジ、コハウチワカエデ、フカギレオオモミジ、イタヤカエデなどの木々が山頂から色付き始め、視界いっぱいにダイナミックな渓谷美が楽しめます。現在、紅葉のピークはやや過ぎたもののハイキングしながら紅葉の景色はとても素晴らしいものでした。

今回は、紅葉が綺麗な「 みたらい渓谷・2018」を紹介したいと思います。

明日香村からは、近鉄飛鳥駅から乗車・下市口駅で下車し、駅前のバス停から約1時間で「天川川合(てんかわかわい)」まで行きます。バス停の目の前に「天川村総合案内所」があり、ここで「みたらい渓谷」のハイキングコースのマップをいただき出発しました。

「みたらい渓谷」は、ゴロゴロした巨岩の合間を縫って流れる川沿いに遊歩道が整備され、ダイナミックな変化に富んだ渓谷美を満喫できるハイキングコースとして人気を集めています。

「天川村総合案内所」から「みたらい渓谷」のハイキングコースは、「洞川(どろがわ)温泉センター」までの約7.4kmの遊歩道が整備されており、休憩時間を含めておよそ3時間のハイキングで洞川温泉に到着します。洞川温泉は、標高約820mの高地に広がる温泉郷にあります。私もハイキング後、疲れを癒すため温泉(600円)に入ってきました。とても、気持ちよかったですよ。
ちなみに、「みたらい渓谷」は漢字で書くと「御手洗」渓谷。南北朝時代に後醍醐天皇の子・護良親王(もりよししんのう)が戦の勝利祈願にこの場所で手を清められたことから名付けられたそうです。

エメラルドグリーンに輝く神秘的な淵、大小様々な滝と巨岩を縫い底まで透けて見える清流が流れるみたらい渓谷の紅葉は、まさに絶景でした!

                                               

 

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紅葉の名所 「談山神社・2018」

2018年11月08日 20時39分40秒 | 散歩

「談山神社(たんざん じんじゃ)」は、奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社です。大和では、紅葉がとても有名な場所として知られています。現在、紅葉が見頃になっています。

今回は、紅葉の名所「談山神社・2018」の様子を紹介したいと思います。

「談山神社」は、多武峰の山中に、木造で唯一現存している十三重の塔と、大小様々な社殿が配置されています。大化の改新にちなん、で毎年11月3日に行われるけまり祭りが特に有名で、秋は3000本ものカエデに包まれる美しい情景から「関西の日光」とも呼ばれています。

鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の678年、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地から倭のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥とされています。680年に講堂が創建され、そこを妙楽寺と号しました。701年、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂が建立され、聖霊院と号しました。談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、645年に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされます。

今年は、12月9日(日曜日)まで刀剣展「響き合う日本刀 ー月山のかたなと多武峰のかたなー」が拝殿において開催中です。また、『多武峯縁起絵巻』(県指定文化財)を見ることが出来ます。

『多武峯縁起絵巻』は、藤原鎌足公の誕生にはじまります。 長じて中大兄皇子(のちの天智天皇)にまみえ、 当時の最高権力者・蘇我入鹿を倒して、大化改新の偉業を成し遂げたのち、 鎌足公の没後、長男の定慧が多武峯(とうのみね)に十三重塔を建立、 やがて霊廟(現在の談山神社本殿)にまつられ、藤原氏一族が繁栄するという、 談山神社の縁起を描いたものです。

今年も、素晴らしい「談山神社」の紅葉を見ることが出来ました!

                                  

 

 

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飛鳥の 「猿石」

2018年11月05日 20時08分09秒 | 歴史

奈良県高市郡明日香村平田にある「猿石」は、 近鉄の飛鳥駅から北に10分くらい行った所にある「欽明天皇陵」の手前にある「吉備姫王墓」(実際は、欽明天皇陵近くのカナヅカ古墳ではないかと言われています。)の敷地内に「猿石」が置かれています。柵があってちょっと見ずらいですが、4体それぞれユーモラスな石造物です。毎年11月5日には地元では、「猿石祭」が行われ、お菓子や果物などが供えられます。

今回は、飛鳥の「猿石」を紹介したいと思います。

年代や制作理由も不明の石造物です。元々は、江戸時代に「欽明天皇陵」南の田から掘り出されたものでした。埋没中は鬼面の方が露出していたのか、「鬼石」とか「鬼形石」と呼ばれていた様です。材質は花崗岩です。

その後、明治の初めに「吉備姫王墓」前に移されました。特徴から僧、男性、女性、山王権現の名前がついており、それぞれ高さは1メートル前後です。そのうちの「女」「山王権現」「男」の3つは後ろに天邪鬼の様な顔があります。

明日香村や高取町には、猿石らしきものが何ケ所かにあります。一般に猿石と呼ばれているのは、明日香村大字平田の墓前にある4体と、橘寺の二面石・高取町の高取城内に、ここから持ち出されたもう1体の猿石があります。また同町の光永寺にも、ここから持ち出されたと思われる人面石があります。

毎年11月5日には地元で、「猿石祭」が行われお菓子や果物などが供えられていると聞きました。せっかくなので、午前10時と午後15時頃に行ってみましたが、何も行われていませんでした。

どなたか、「猿石祭」のことをご存知の方は教えて下さい。実施されていれば、来年度参加したいと思っています。それにしても、不思議な石造物ですね~!

                        
 
 

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現地学習編 「元興寺と奈良町の伝承を歩く」

2018年11月02日 20時08分31秒 | 歴史

奈良県奈良市にある「元興寺」では、「元興寺」創建1300年記念企画として、現地学習編『ならまち歴史ウォーク』が10月に行われました。

元興寺文化財研究所研究員の解説により、古代元興寺の寺域・伽藍域を中心とする「ならまち」周辺の史跡を3つのテーマで巡るイベントです。

今回は、現地学習編「元興寺と奈良町の伝承を歩く」に参加しましたので紹介したいと思います。

現在に息づく「元興寺」1300年の歴史を体感するイベントで、「古代・中世の元興寺を歩く」・「元興寺と奈良町の伝承を歩く」・「元興寺ゆかりの寺社をめぐる」の3つのテーマがありました。

今回は、「元興寺と奈良町の伝承を歩く」に参加しました。奈良町のあちこちに残る「元興寺」にまつわる伝承や信仰を、民俗と仏教の専門家がわかりやすく説明があるコースです。

(行程)

(集合 9:00) 真言律宗元興寺→真言律宗元興寺(ガイダンス・寺と展示見学)→華厳宗元興寺(啼き灯籠)→瓦堂町まんなおし地蔵(堂内拝観)→徳融寺(堂内拝観)→小塔院→不審が辻子

 →解散 (13:00) 近鉄奈良駅

古代「元興寺」は、平安末期から都市化により寺院を縮小していきました。江戸時代に入る頃には、ほぼ現在のような3ケ寺(真言律宗元興寺・華厳宗元興寺・小塔院)に分かれたようです。

その頃、奈良町には浄土宗などの寺院が続々開かれていき、その多くは「元興寺」の別院を発祥とするなどの寺伝を持っていました。また、元興神(ガゴゼ)や中将姫伝説なども奈良町に伝わっています。

「元興寺と奈良町の伝承を歩く」では、「元興寺」にまつわる伝承や信仰などのゆかりの地を、元興寺文化財研究所研究員の解説があり、普段見れない所等を案内していただきました。

奈良町は、大好きな場所の一つでよく歩いていたのですが、今回のイベントに参加して奈良町を再発見することが出来ました!

                                

 

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