グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第5章 オリエンタルリミテッドとエンパイアビルダー (その5)

2005年08月13日 | Wood's Book翻訳
 この車両のインテリアは、古い車両のエキゾティックな木と贅沢なデザインから一変した。今度のインテリアは、グレー、グリーン、サンドのソフトで落ち着いた色調で塗られていた。食堂車のイングリッシュパブ風の雰囲気は無くなり、より現代的なテーマとなった。プルマン車は、前はオープンセクションだったところにヘッドボードを設けた。毎日午後、お茶とケーキが、列車上での社交の中心となる展望ラウンジで供された。更に加えて、床屋とボーイによる男性客へのサービスと同じサービスが女性ラウンジのバスルームでメイドによって供された。
 シカゴまでのスケジュールは4時間スピードアップされたものの、結局のところ、1909年以前のオリエンタルリミテッドに比べて大幅に早くなったというわけではなかった。これは、新しい重量化された車両が理由の一つであり、また、ABS信号が本線に完全には完成していなかったという事実も一つの理由である。そしてまた、運行を大幅にスピードアップすべき本当のニーズが無かったためでもある。北西部のハイウェイはごく一部を除いてまだ原始的な段階で、車やバスはほとんど競争相手にならなかった。空路はまだ揺籃期にあり、遅くてうるさい飛行機は、日中と良い天気の日のみに限られていた。スピードではなく、サービスが運行全体の基調であった。ファーストメイル(列車No.27及び28)がGNの真のスピードに燃える列車であった。この列車は、多くの停車駅が許す限り早く、セントポール~シアトル間の郵便を配達していた。
 オリエンタルリミテッドに使用された機関車は色々であった。1905年のオリエンタルリミテッドの機関車は、より厳しい区間では新しいクラスH-5パシフィック、平らな区間では、比較的軽く短い編成であったのでテンホイーラー、アトランティック等であった。オリエンタルリミテッドが重量化、長編成化するにつれて、テンホイーラーやアトランティックではもはや対応できなくなっていった。1920年代初頭には、モンタナ州ハヴァー~ウルフポイント間のGNの平らな線路ですら、ブースター付のアトランティックでもオリエンタルリミテッドを時間通りに運行することは無理になっていた。重量パシフィックタイプ、クラスH-4、H-5が使用され、1923年には有名なP-2クラスマウンテンが、オリエンタルリミテッド、グレーシャーパークリミテッド、列車No.27、28のために特別に発注された。この機関車は非常に成功したので、GNは重量旅客輸送からこの機関車をはずすことはできなかった。