グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第5章 オリエンタルリミテッドとエンパイアビルダー (その13)

2005年08月21日 | Wood's Book翻訳
 1948年5月に、プライベートルームへの需要の高まりに応えるため、グレートノーザンは、ビルダー1編成あたり2両の寝台車を追加発注した(1両はシアトル向け旅客用、もう1両はポートランド向け旅客用)。これにより、スポーカン以東ではビルダーは14両編成となるわけである。寝台車(それぞれ、1室のDrawing Room、3室のコンパートメント、5室の寝室からなる)の納車は、18ヶ月から24ヵ月後と見込まれていた。更に追加的に、展望車、食堂車、クラブカーがエンパイアビルダー用に発注された。また、何両もの新しい座席車がオリエンタルリミテッド用に発注された。
 1948年10月に、GNは驚くべき発表を行った。GNは新規に6編成分の車両(30両の寝台車、各6両の座席車、食堂車、コーヒーショップカー、展望車、荷物車、郵便荷物車等)を総額850万ドルの見込みで発注した。1951年にこれらの車両がエンパイアビルダー用に到着し、ビルダーのこれまでの車両はオリエンタルリミテッド(現在はウェスタンスターとなっている)に充当され、GNはシアトル~シカゴ間に2本の流線型列車を持つこととなった。新しい車両のコストは、1200万ドルに達した。更に、1955年に600万ドルをかけて16両のドームコーチと6両のグレートドームラウンジカーを購入し、Mid-Centuryエンパイアビルダーは完成した。
 1951年のエンパイアビルダー(実際はそのうち5編成分)において、GNは1924年から続いていたすべてをプルマン社に任せることを止めた。食堂車、コーヒーショップラウンジ、展望ラウンジ車は、American Car and Foundry社によって製造された。Appekunny、St. Nicholas、Going-To-The-Sun、Cathedral、Trempealeau Mountainsと名づけられた展望車は、今までより高い窓によるより良い景色を特徴としていたが、いくつかの点では20世紀特急に似ていた。食堂車(Lake of the Isles、Lake Wenatchee、Lake Ellen Wilson、Lake Union、Lake Minnetonkaの名をおっていた)は、よりソフトな、より微妙なカラースキーム、間接照明、彫刻ガラスのパーティションを特徴としていた。「The Ranch」カー(コーヒーショップ車)は、編成の中で多分最もユニークな車両といえるだろう。モンタナ州へレナで登録されているG-Bar-Nブランドに本物の西洋風装飾を施して完成させている。これらの車両の名前は、Crossley、Running Crane、Hidden、Iceberg、White Pine Lakesである。
 プルマン社は、北東部のインディアンの絵画とアートデザインをディスプレイした寝台車を製造した。各編成のうち、3両の寝台車は、川の名前、Chumstick、Tobacco、Skykomish、Sheyenne、Fraser、Sun、Skagit、Spokane、Snohomish、Mouse、Pend O’reille、Milk、Poplar、Bois De Sioux、Snakeがつけられていた。残りの各3両は、山の峠の名前、Jefferson、Suiattle、Rogers、Hart、Haines、Pitamakan、State、Blewett、Akamina、Firebrand、Inuya、Santiam、Horn、Lewis and Clark、Wapinitiaがつけられていた。
 ドームコーチとグレートドームラウンジカーは、Budd社により製造された。これらの車両では、壮大なパノラミックビューが得られ、乗客はこれらの車両に殺到し、特に前のほうの席に集まった。フルドームカーには75席あり、下階の人気のあるカクテルラウンジには34席あった。100トン近くの重量があり、3軸台車を履いたこれらの車両は、編成の中で最も良い乗り心地を提供した。ただし、グレートドームの窓の下側は高くなっていたので、実際には小さいドームコーチの方がより良い眺めをえられたのであるが。