グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第5章 オリエンタルリミテッドとエンパイアビルダー (その14)

2005年08月24日 | Wood's Book翻訳
 1929年に走り始めた当初から、エンパイアビルダーには機関区の中で最高の機関車がいつも割り当てられてきた。蒸気機関車の時代には、ノーザンやマウンテンがビルダーに常時割り当てられた。時には近代化されたパシフィックが平坦な区域でビルダーを牽くこともあったが、これは、先輩のオリエンタルリミテッドよりも早いスケジュールで走る1000トンの列車にとって、例外的なことだった。主要駅(セントポール、ファーゴ、マイノット、ハヴァー、ホワイトフィッシュ、スポーカン、ウェナッチー、シアトル)には、予備機がスタンバイしており、機関車の故障や不具合で必要となったときには常に数分で交代可能となっていた。
 1947年ビルダー用にE-7ディーゼルが購入されたときには、この強力で高速かつハンサムな機関車が、このまさに専用の列車からこんなにも早く引退するとは誰も思っていなかった。大きなE-7は、モンタナ州やノースダコタ州、モンタナ州東部等の大平原を走るゆるいカーブや長い緩勾配で軽い列車を楽々と牽いた。しかし、ビルダーが12両編成から14両編成になると、山岳部で必要とされるパワーは、2両の2000馬力の機関車より、単純に大きいものであった。1950年に、E-7をビルダーの先頭に立たせ続けさせるために、2両のE-7-Aの間にE-7-Bを加えることが試されたが失敗だった。この1500馬力のBユニット(500B-505B)は、この運用のために製造されたものであったにもかかわらず、このユニットのギア比はAユニットのギア比とマッチせず、Aユニットの牽引モーターのオーバーヒートという問題は収まることがなかった。
 この試験期間の後、E-7-Aはエンパイアビルダーから引退し、列車暖房用ボイラーを付けて旅客用に改造されたどこにでもいるFユニットに置き換えられた。Eユニットと交代したFユニットは、ディーゼル機関車としては面白い品種であった。時速89マイルのギア比とされていたが(ただし、GNは自動列車制御装置も運転室内信号も有していなかったため、ICCにより最高速度は時速79マイルに制限されていたが)、これらの機関車は、F-3、F-5、F-7の各クラスが混在したものであった。ただし、GN自社工場での改造によりすべての機関車が初期のF-7に似たものとなっていたため、どれがどのクラスかの判別は外見では実質上不可能であった。
 エンパイアビルダーは、GNのショーケースであった。それゆえに、この鉄道にとって、ビルダーが可能な限り最高の外観と内装を呈することは非常に重要であった。この考えの少なからぬ表れは、機関車のラインと列車のラインの継続性であった。Aユニットがその先頭をAユニットの後部に連結されたり、Bユニットが直接、列車の先頭車両と連結されたりすることは、ほぼほとんどなかった。GNはこれらの機関車を必然的な並び方、すなわちA-B-AまたはA-B-B-Aの形で運用した。