グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第5章 オリエンタルリミテッドとエンパイアビルダー (その7)

2005年08月15日 | Wood's Book翻訳
 1929年夏にエンパイアビルダー用に配備された最初のノーザン、S-1は、高速運行には欠けているところがあった。その年の終盤、ビルダーに最も良く似合った機関車、S-2が配備された。80インチの動輪を持つこのノーザンは、重量列車のスタート時には若干気まぐれなところを見せることもあったが、1930年代、1940年代には、すばらしい旅客用機関車となっていた。この機関車は、GNが外部の民間会社に発注した最後の機関車となった。
 同じオリーブグリーンの塗装で、エンパイアビルダーは、オリエンタルリミテッドと大きく違うようには見えなかった。しかし、広い側板に誇らしげに豪華な金文字でEMPIRE BUILDERの名が、この鉄道で長く使われたローマンレタリングで描かれていた。この名は、座席車、荷物車、郵便車にも同じく描かれていた。新しい寝台車は、北西部には本当に親密な名を掲げていた-Charles A. Broadwater(モンタナセントラルの創立者)、Marcus Daly(銅の王)、Arthur A. Denny(シアトルのパイオニア)、Isaac Stevens(1850年代の鉄道調査家)、General Frederick W. Benteen、General George A. Custer、General Philip Sheridan等である。全体では17両が将軍の名を、19両が有名な民間人の名を付けられていた。古いツーリスト寝台車は、名前ではなく番号がつけられていた。当然、座席車や、荷物車、郵便車も同じである。「展望・サンルーム・ラウンジ」車は、カプラー間全長89フィート近くに達し、グレートノーザンの展望車の中でもっとも長く、また、オープン展望デッキではなく、室内型サンルームを特徴としていた。この新しい車両は必要な場合には、列車の中間にも使用可能で、これは大きな長所だった。完全に室内型だったので、オープン展望デッキにいる乗客を見張る責任から乗務員は解放された。
 車両のインテリアは、1924年バージョンのオリエンタルリミテッドで人気を博した明るいパステルグレーとグリーンを特徴としていた。彫刻されたウォルナットのパネルと古い金のタッチが展望ラウンジを強調した。羊皮紙をシェードにしたランプ、安楽椅子、ライティングデスク、燭台のようなサイドランプといった全てのものが、チューダー様式の装飾に貢献していた。バーテンダーのエキスパートがビュッフェに控えていた。それは、広告用ブローシャーに述べられている通り、「まるで可愛いリビングルームのよう」だった。
 エンパイアビルダー創業一周年記念日に、旅客輸送部長のA. J. Dickinson氏は、ビルダーの大陸横断所要時間は、過去12ヶ月に2回短縮され、現在は60時間45分にまで短縮されていると報告した。68時間のスケジュールのオリエンタルリミテッドに比べ、エンパイアビルダーは、シカゴと太平洋岸北西部間の旅客にとって完全に1営業日違っていた。報告書はまた、短縮された所要時間と新しい列車が、旅客から即座の好反応を受けていること、増加する大陸横断旅客業務に十分対応していることを特筆している。白熱したこの報告書のわずか9ヵ月後に、全国的な不況のインパクトが国を覆い、事業量は劇的に低下した。1931年3月には、一列車を支えるのに十分な旅客数しかなくなり、オリエンタルリミテッドは時刻表から消えた。その復活には20年近い歳月が必要だった。