どうも。
今日もまた変な天気、変わりやすい不安定な天気が続いていて、なんだかこう、梅雨なのか夏なのか…
6月くらいからずっとわからないまま、のような感じが、
これ、もう8月が近づいてきていますけど、
続いているような気がします
豪雨による被害が出ている地域も多くて、心配ですね…。
これ以上新たな被害が広がらないことを願うばかりです。
雨って降らなければ降らないで本当に困ってしまうけれど、降りすぎれば本当に脅威。
今の世の中、街はとくに豪雨にはもろい。
水がついてしまうとストップしてしまう機能だらけ…
そのもろさをきちんと認識して、付き合わなきゃ、ですね。
こういう豪雨に強い都市のあり方、というものも、議論され、作られていかなくてはならないと思います。
雨はめぐみであり、脅威でもあり…
ま、自然はすべてそうですね。
なくてはならず、でも扱いを間違えればときに。。。
いや、自然に限ったことでもないか
どんなものも両面性を持っている…
そして、人間にとって大切なもの、かけがえないと思えるもの、
それはとくにそういう性格を強くする、
ま、かかわりが強くなるからこそ、というだけかもしれないけれど、
そういうものなのかも、と思います。
人間自身もまた、両面を持っている。
ま、一面だけ、なんて“真”であるはずはないですけどね。
って、おっと、話が脱線しました。
あ、線っていちおう予定があるのか?この話に??
…と言われると苦しいところなのですが(苦笑)
ま、なんとなく戻しましょう
そんな天候イマイチで始まった今日は、ほんと驚きました~。
先の記事にも書きましたが、マッサのニュース。
久々に雷が落ちたような衝撃というか。
あり得ないことじゃないんだけど、
うけたような気がしました。
とりあえず手術は成功で容体は安定しているように伝えられているので、安心しましたが、
やっぱり脳のほうだけに後遺症が心配…。
なにかバリチェロのマシンのリアのスパイラルが吹っ飛んで、それを自身のフロントタイヤで巻きあげてしまって、悪いことにそれが頭へ直撃、
…というなんともまぁ、わざとでもそんなすごい確率のこと起こせないよ?!
と、言いたくなるくらいの不幸な偶然が重なった事故だったみたいで。
事故というものはなんでもそういうものかもしれませんが、なぜという思いと不運を思わずにはいられません。
Italyスポーツ紙、gazetta della sportのサイトで見ましたが、ヘルメットからぱっくり割れて痛々しい写真。。。
命に別条がなかったのが何よりでした。
これから数レースは少なくともマッサの姿なし…か。
寂しいけれど、今はゆっくり療養に努めて、またサーキットに帰ってきて欲しいです☆
顔面が割れて、つながりというわけではありませんが
今日、7月26日は幽霊の日なんだとか。
なんでも1825年のこの日、江戸の中村座で四世鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演されたんだそうです。
東海道四谷怪談(通称『四谷怪談』)は、夫民谷伊右衛門に毒殺された四谷左門の娘お岩の復讐話で、江戸の町に実際に起こった事件をモデルにした話。
夏の怪談の古典ですね。
幽霊か~。
私自身は実存在としては信じていませんが、そういう存在を感じて生きること、
感じるなかに生きる存在、としては否定しませんね。
むろん、目に見えないからといって、否定される、なんて陳腐なことは思いませんし、
そういう見えないものへの意識、
自意識を超えたものへの意識、
それを許す、
それに敬意や畏怖の念をもつ、
そういうことって大事なことだと思います。
それを見失っては自分の内なる意思、素朴で根源的な生の力、事実のむこうにある真実…
そういうものを見失うことになるし、
自然の中に生きる、この世界の中に生きる人間存在としても、なにか大切なものを見失ってしまう、
人間の勘違いによる絶対的優位、傲慢的態度、
そういう姿に陥ってしまうような気がします。
う~~ん、ちょっと分かりにくい説明になってしまいましたが、
なにかこう、幽霊、みたいなものを許せる、
そういう存在もありだな、と思える意識、というのは人間に必要なのではないかな、と。
幽霊とか、そんなものを思う意識って、
“いのち”を感じ、自然とともに生きる、
そういう生き方とともにある、
実にこう、人間的人間だからこそ可能な、許しうる意識、という気がします。
字義でいけば、“信じ”なくていい、
許せる余裕、
感じて生きられる、思いをはせられる気持ち、
なんとなく、今の世の中にはなくなっていそうなものばかりですが、そういう大切さも思ったりします。
とはいっても、行きすぎればこれも危険なんですけどね
ま、やっぱりこれも両面、バランス、ということでしょうか(^_^;)
社会の不安が高まると、スピリチュアルだったり神秘学的なものへの異常な傾倒が起こること、
そこからおそろしい間違いが起こることも、歴史の事実として証明されている気がしますし。
今って両方の空気、
…ありそうですよね
何事も常にバランスを問いながら…
この極端な世の中と曖昧に屈折した人間と、で、そんなことも簡単には言えない状態ですが、
とりあえず“自分らしく”。
明日も生きたいものだと思います
ま、怪談は夏の夜が程よく涼しくなるくらいで…
いいかな?!
(笑)
今日のレシピです
・スペアリブとザーサイのピリ辛蒸し …①
・鴨の燻製と野菜のサラダ風プレート …②
・人参ときくらげのマスタードマヨ炒め …③
①の作り方
1 スペアリブは骨ごと薄切りにしたものを用意し、紹興酒、醤油、塩、砂糖少々、にんにく、生姜、胡麻油でマリネする
2 玉ねぎはスライスする
3 ザーサイは軽く塩抜きし、スライスする
4 耐熱皿に2,3,1と並べ、ラー油少々を回しかけ、鷹の爪をのせる
5 ラップをして、蒸し器に入れて蒸す
6 蒸しあがったらラップを取り、香り付けのラー油少々を回しかけ、黒胡椒、山椒をふって出来上がり
②の作り方
1 鴨肉の燻製(市販品)をスライスする
2 きゅうりもタネを取ったら薄くスライスし、レタスと1を合わせて盛り付ける
3 焼き肉のたれと塩少々、生クリームを煮詰める
4 火をとめて、少量の冷たいバターでモンテする
5 4をソースとして別器に入れて盛り付け、できあがり
③の作り方
1 人参は斜め半月の薄切りにし、きくらげは戻して適当に切る
2 1を中華スープの素を加えて炒める
3 さっと炒めたら火をとめ、粒マスタードとマヨネーズを加え、全体にからめて出来上がり
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それでは
今日もまた変な天気、変わりやすい不安定な天気が続いていて、なんだかこう、梅雨なのか夏なのか…
6月くらいからずっとわからないまま、のような感じが、
これ、もう8月が近づいてきていますけど、
続いているような気がします
豪雨による被害が出ている地域も多くて、心配ですね…。
これ以上新たな被害が広がらないことを願うばかりです。
雨って降らなければ降らないで本当に困ってしまうけれど、降りすぎれば本当に脅威。
今の世の中、街はとくに豪雨にはもろい。
水がついてしまうとストップしてしまう機能だらけ…
そのもろさをきちんと認識して、付き合わなきゃ、ですね。
こういう豪雨に強い都市のあり方、というものも、議論され、作られていかなくてはならないと思います。
雨はめぐみであり、脅威でもあり…
ま、自然はすべてそうですね。
なくてはならず、でも扱いを間違えればときに。。。
いや、自然に限ったことでもないか
どんなものも両面性を持っている…
そして、人間にとって大切なもの、かけがえないと思えるもの、
それはとくにそういう性格を強くする、
ま、かかわりが強くなるからこそ、というだけかもしれないけれど、
そういうものなのかも、と思います。
人間自身もまた、両面を持っている。
ま、一面だけ、なんて“真”であるはずはないですけどね。
って、おっと、話が脱線しました。
あ、線っていちおう予定があるのか?この話に??
…と言われると苦しいところなのですが(苦笑)
ま、なんとなく戻しましょう
そんな天候イマイチで始まった今日は、ほんと驚きました~。
先の記事にも書きましたが、マッサのニュース。
久々に雷が落ちたような衝撃というか。
あり得ないことじゃないんだけど、
うけたような気がしました。
とりあえず手術は成功で容体は安定しているように伝えられているので、安心しましたが、
やっぱり脳のほうだけに後遺症が心配…。
なにかバリチェロのマシンのリアのスパイラルが吹っ飛んで、それを自身のフロントタイヤで巻きあげてしまって、悪いことにそれが頭へ直撃、
…というなんともまぁ、わざとでもそんなすごい確率のこと起こせないよ?!
と、言いたくなるくらいの不幸な偶然が重なった事故だったみたいで。
事故というものはなんでもそういうものかもしれませんが、なぜという思いと不運を思わずにはいられません。
Italyスポーツ紙、gazetta della sportのサイトで見ましたが、ヘルメットからぱっくり割れて痛々しい写真。。。
命に別条がなかったのが何よりでした。
これから数レースは少なくともマッサの姿なし…か。
寂しいけれど、今はゆっくり療養に努めて、またサーキットに帰ってきて欲しいです☆
顔面が割れて、つながりというわけではありませんが
今日、7月26日は幽霊の日なんだとか。
なんでも1825年のこの日、江戸の中村座で四世鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演されたんだそうです。
東海道四谷怪談(通称『四谷怪談』)は、夫民谷伊右衛門に毒殺された四谷左門の娘お岩の復讐話で、江戸の町に実際に起こった事件をモデルにした話。
夏の怪談の古典ですね。
幽霊か~。
私自身は実存在としては信じていませんが、そういう存在を感じて生きること、
感じるなかに生きる存在、としては否定しませんね。
むろん、目に見えないからといって、否定される、なんて陳腐なことは思いませんし、
そういう見えないものへの意識、
自意識を超えたものへの意識、
それを許す、
それに敬意や畏怖の念をもつ、
そういうことって大事なことだと思います。
それを見失っては自分の内なる意思、素朴で根源的な生の力、事実のむこうにある真実…
そういうものを見失うことになるし、
自然の中に生きる、この世界の中に生きる人間存在としても、なにか大切なものを見失ってしまう、
人間の勘違いによる絶対的優位、傲慢的態度、
そういう姿に陥ってしまうような気がします。
う~~ん、ちょっと分かりにくい説明になってしまいましたが、
なにかこう、幽霊、みたいなものを許せる、
そういう存在もありだな、と思える意識、というのは人間に必要なのではないかな、と。
幽霊とか、そんなものを思う意識って、
“いのち”を感じ、自然とともに生きる、
そういう生き方とともにある、
実にこう、人間的人間だからこそ可能な、許しうる意識、という気がします。
字義でいけば、“信じ”なくていい、
許せる余裕、
感じて生きられる、思いをはせられる気持ち、
なんとなく、今の世の中にはなくなっていそうなものばかりですが、そういう大切さも思ったりします。
とはいっても、行きすぎればこれも危険なんですけどね
ま、やっぱりこれも両面、バランス、ということでしょうか(^_^;)
社会の不安が高まると、スピリチュアルだったり神秘学的なものへの異常な傾倒が起こること、
そこからおそろしい間違いが起こることも、歴史の事実として証明されている気がしますし。
今って両方の空気、
…ありそうですよね
何事も常にバランスを問いながら…
この極端な世の中と曖昧に屈折した人間と、で、そんなことも簡単には言えない状態ですが、
とりあえず“自分らしく”。
明日も生きたいものだと思います
ま、怪談は夏の夜が程よく涼しくなるくらいで…
いいかな?!
(笑)
今日のレシピです
・スペアリブとザーサイのピリ辛蒸し …①
・鴨の燻製と野菜のサラダ風プレート …②
・人参ときくらげのマスタードマヨ炒め …③
①の作り方
1 スペアリブは骨ごと薄切りにしたものを用意し、紹興酒、醤油、塩、砂糖少々、にんにく、生姜、胡麻油でマリネする
2 玉ねぎはスライスする
3 ザーサイは軽く塩抜きし、スライスする
4 耐熱皿に2,3,1と並べ、ラー油少々を回しかけ、鷹の爪をのせる
5 ラップをして、蒸し器に入れて蒸す
6 蒸しあがったらラップを取り、香り付けのラー油少々を回しかけ、黒胡椒、山椒をふって出来上がり
②の作り方
1 鴨肉の燻製(市販品)をスライスする
2 きゅうりもタネを取ったら薄くスライスし、レタスと1を合わせて盛り付ける
3 焼き肉のたれと塩少々、生クリームを煮詰める
4 火をとめて、少量の冷たいバターでモンテする
5 4をソースとして別器に入れて盛り付け、できあがり
③の作り方
1 人参は斜め半月の薄切りにし、きくらげは戻して適当に切る
2 1を中華スープの素を加えて炒める
3 さっと炒めたら火をとめ、粒マスタードとマヨネーズを加え、全体にからめて出来上がり
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