今のままの私じゃ駄目だ。
このままの私じゃいけない。
だから
〇〇を学んで。
〇〇をやって。
〇〇を・・・。
自信がない私だから
自信をつける為に
あれもこれも足そうとする。
でも、これ…違っていたなぁと思う。
むしろ逆。
どんどん、どんどん引き算していくと。
湧き起こってくる「何か」が確かにある。
その「何か」は
誰かに言われなくても、やりたいこと。
誰かにやめろと言われても、やめたくないこと。
そして、初めてのことであっても不思議なぐらい躊躇がない。
自覚は全くなくても。
まるで、あらかじめ準備をしていたんじゃないかと思うぐらい。
そして、そこからまた色々なことが繋がり広がっていく。
「何か」を動かしている、というより。
やっぱり「何か」に動かされている、という感じ。
だからかな・・・。
「夢中になる」ともちょっと違う。
(冷めているわけじゃないよ)
その「何か」をしている自分が、とても「自然」に感じられる。
気負いもなければ、他の誰かと比べることもない。
失敗や成功という言葉も、不自然に思える。
自信があるとか、ないとか。
もう、どうでもよくなってくる。
誤解のないように言っておくと。
専門性や技術を身につけたり、学ぶことを否定しているわけじゃないし、
向上心はいらないと言っているわけじゃない。
でも、引き算していった先に残るもの。
それが、その人にとって実はとっても大切なことなんじゃないかなぁと思う。
そこを抜きにしたまま何かをするのと。
気づいたうえで何かをするのとでは、たとえ同じことをやっていたとしても
エネルギーは全く違うものになると思う。
そうすると、おのずと全てが違ってくる。
クライアント様とのセッションを通じて感じるのが、この引き算。
足していくことには怖さはないかもしれないけど、
引いていくことには怖さを感じるもの。
それに「引き算」と一言でいっても、人によってそれこそ千差万別。
しかも、自分じゃなかなかわからないから難儀なんだよね。
そこをセッションで一緒に視ていく。
そのうち、本当に大切にしているものの輪郭が見えてくると、
いつの間にか怖さも薄れてくる。
このままの私じゃいけない。
だから
〇〇を学んで。
〇〇をやって。
〇〇を・・・。
自信がない私だから
自信をつける為に
あれもこれも足そうとする。
でも、これ…違っていたなぁと思う。
むしろ逆。
どんどん、どんどん引き算していくと。
湧き起こってくる「何か」が確かにある。
その「何か」は
誰かに言われなくても、やりたいこと。
誰かにやめろと言われても、やめたくないこと。
そして、初めてのことであっても不思議なぐらい躊躇がない。
自覚は全くなくても。
まるで、あらかじめ準備をしていたんじゃないかと思うぐらい。
そして、そこからまた色々なことが繋がり広がっていく。
「何か」を動かしている、というより。
やっぱり「何か」に動かされている、という感じ。
だからかな・・・。
「夢中になる」ともちょっと違う。
(冷めているわけじゃないよ)
その「何か」をしている自分が、とても「自然」に感じられる。
気負いもなければ、他の誰かと比べることもない。
失敗や成功という言葉も、不自然に思える。
自信があるとか、ないとか。
もう、どうでもよくなってくる。
誤解のないように言っておくと。
専門性や技術を身につけたり、学ぶことを否定しているわけじゃないし、
向上心はいらないと言っているわけじゃない。
でも、引き算していった先に残るもの。
それが、その人にとって実はとっても大切なことなんじゃないかなぁと思う。
そこを抜きにしたまま何かをするのと。
気づいたうえで何かをするのとでは、たとえ同じことをやっていたとしても
エネルギーは全く違うものになると思う。
そうすると、おのずと全てが違ってくる。
クライアント様とのセッションを通じて感じるのが、この引き算。
足していくことには怖さはないかもしれないけど、
引いていくことには怖さを感じるもの。
それに「引き算」と一言でいっても、人によってそれこそ千差万別。
しかも、自分じゃなかなかわからないから難儀なんだよね。
そこをセッションで一緒に視ていく。
そのうち、本当に大切にしているものの輪郭が見えてくると、
いつの間にか怖さも薄れてくる。