魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

いのちの無限の可能性

2022年10月03日 | 目覚め
Facebook、2022年7月28日にあげた記事。

この記事は、仲間達への呼びかけ。
私個人が決めたというより、ガイダンスを受け取って。

Facebookでは、本名をお出ししていました。
(ご本人のご了承を得て)

多くの方がともに祈ってくださいました。
感謝しかありません。

この後、彼女のお兄様は信じられないぐらいの奇跡を見せ続けてくれています。

いのちの無限の可能性。
人智の及ばない世界。

~~~~~~~~~~~~~~~


【皆様へお願い】

お願い…というタイトルの記事を、あまりあげることはなかったと思うけど。

皆様にお願いがあります。

5年前からご縁を持たせてもらっている
Mさんのお兄様が、先月6月17日大事故にあわれました。

今現在も意識は戻らず、医師から…過酷な現実を突きつけられ、
お身内の方にとっては筆舌に尽くし難い苦しみだと思います。

ご高齢のご両親様、お兄様の奥様をあらゆる面で全力でサポートされながら、
Mさんが煩雑な手続きを一手に引き受け進めていらっしゃいます。


私は、7月8日から関わらせていただいていますが。
(意識不明の状態のお兄様とコンタクトを取り、メッセージをお伝えさせていただきました)

いわゆる「植物状態」といわれるところから、
本当に奇跡としかいえない出来事が起こり続けています。

今夜9時から遠隔ヒーリングを行います。

お時間がある方、時間の長さは問いません。

どうか…一緒に祈りを届けていただきたいと思い、記事にあげさせていただきました。

どうぞよろしくお願い致します。



私を突き動かす「何か」を知りたくて

2022年10月03日 | 目覚め
Facebook、2022年7月27日にあげた記事。

~~~~~~~~~~~~~~~

どんなことがあっても。

私だけは私を絶対見捨てない。
私だけは私の味方であり続ける。

そんな想いで、自分を奮い立たせていた時期があった。


誰もわかってくれない。
誰も理解してくれない。

そんな気持ちでいっぱい。


さらにもっと奥には。
他の誰かに、この気持ちがわかるわけがない。
簡単にわかるなんて言ってほしくない。

差し伸べられた手を払いのける勢いだった。


その背景には。
どうせ言っても、わかってもらえない。
そもそも、耳を傾けてなんてくれない。

そんな「思い込み」があった。


何でもかんでも。
子供時代の…あんな体験やこんな体験を引っ張り出して、
それが全ての要因だとは言わないけど、影響はやはり大きい。

時間という概念では「過去」だけど。

時空間の無いエネルギーの世界では、
「今」の私がどんなフィルターで世界を見ているかに直結している。


私自身もそうだったけど。
無意識だし、頭で考えてもわからない。


ヒーリングを通して全体性に委ねれば、
そこが浮かび上がってきて必要な癒しは起こる。

でも「頑張って」取り組んでしまうと余計に混沌とする。


同時に、もう子供ではない私が、
やっぱり心を開いて動いていくことも大事になってくる。


いつまでも「過去」という名の「今」に自分を閉じ込めたまま、
生きづらさを感じ続け、同じパターンを延々と繰り返さない為にも。


もちろん、動くって言っても、決まった型なんてあるはずもなく、答えもない。


動き出せば出したで。


それに伴い…今まで味わったことのない様々な感情に翻弄されたり、圧倒されたり。


でも、本質は道標になるような…なんらかのサインを送ってくれる。


私自身、動いていく過程で。
自分の中にかすかな光を感じた時、言葉にならない想いが湧いてきた。

そして、関わる人の中にも間違いなく同じ光があって。
言葉を越えて響きあう体験を通して、いのちのあたたかさに何度も触れさせてもらった。

不安と恐れに何度も引き戻されたけど。
道なき道をどこにむかって歩いているのか全くわからなかったけど。


いつしか、私を突き動かす「何か」を知りたくて。


見えざる手に導かれここまで来られた。


そして、見えざる手は、必ず見える誰かの手を通して
私の目の前に差し出されていることがわかってきた。



期待しないで信頼する

2022年10月03日 | 目覚め
Facebook、2022年7月22日にあげた記事。

~~~~~~~~~~~~~~~

対象が人とは限らないけど。
気づけば「期待」しなくなった。

同時に「依存」もしなくなった。


私の中では、「期待」や「依存」「コントロール」「執着」などは、
出かたが違うだけで同じ性質に思える。

期待しても。
応えてくれなければガッカリするから。

期待しても。
自分の思い描いた通りじゃないと、大事にされていないように感じるから。

こんな未熟で拗ねた考えからではなく。


「信頼」がベースになると。
期待するも何も…言いたいことは言うし、頼る時はしっかり頼る。
なんてシンプルで、ラクなんだろうと思う。

相手は相手の都合もあるだろうし、出来ないことも知らないこともあるだろう。
その時は、その時。

様子を見てもいいし。
時間をおいて話してもいい。


でも、かつての私は、未熟で拗ねた考え全開で、
相手は辟易していただろうなと恥ずかしくなる😩💦

しかも、自分の思いを相手にわかるように伝えもせずに。
勝手に期待して、勝手に落ち込み、時には八つ当り。
こんな振る舞いをされたら、たまったもんじゃないよな〜。


相手は、私の想いを叶える為だけに存在しているわけじゃないのに。


ただ、自分の思いを相手に伝えるって、そこがとても勇気がいることだった。
ずっと言ってこなかったから。
(かれこれ…ン十年)

特に関わりが深い人ほど、いざ伝えようと思っても言えなかった。
あーでもないこーでもない、とグルグルしていた頭の中は、思い込みがてんこ盛り。

それを解体していくことで、自然体で思いや要望を伝えられるようになった。

でも、解体していくということは。
実際に自分の想いを言葉にしていくことの積み重ね。

ビジネスの場では、バリバリ活躍しているクライアントさん。
でも、パートナーシップにおいては、たった一言が言えなくて、
先日のセッションでは「怖いんですぅぅぅ😭」。

たった一言かもしれないけど。

怖くて言えなかった一言が、
確実に新しい世界に自分を連れて行ってくれることがわかってきた。


知識や、理屈理論がどうでもいいとは言わないけど。
やっぱり、一歩を踏み出す勇気が何より大事になってくると実体験を通しても思う。


自分の内側だけに留めておけるものではない

2022年10月03日 | 目覚め
Facebook、2022年7月21日にあげた記事。

~~~~~~~~~~~~~~~

ある人を通して。
普段は考えないようなことを、自分に問いかける機会があった。

時間をおかずにスッと出てきた答えが、
数年前だったら思いもつかないことで驚いた。


どんな人生を生きたいですか?

自分に嘘をつかない人生。


どんな人生は生きたくないですか?

自分に嘘をつく人生。


この「自分」って…。
恐れと不安で占められていた自分ではない。

無力で価値がなくて。
常に人の顔色を伺って、NOと言えず。
我慢していることすら気づかず。
無理して頑張って、自分の存在価値を証明しようと疲弊していた「自分」ではない。

長らく、この「自分」に対して正直に生きてきた…と思っていた。
でも、「私」は無力で価値がないと思い込んでいた「自分」ではない。


体はひとつ。
時間も決まっている。


「私」が大切にすることを優先順位の上に持っていくことに、
ためらいも躊躇もなくなった。


自分に嘘をつかないって。
自分に愛をケチらないと、同じかな…と思う。

自分に愛をケチっていた時には、常に葛藤を抱えていたし、
それを誰かのせいや何かのせいにしていた。

でも無条件に自分を愛すると、かりそめではない幸福が訪れる。

その幸福を味わうと、決して「自分だけが幸福」にはならない。

なぜなら自分の内側だけに留めておけるものではないから。

自ずと拡げていきたくなるし、
拡がっていく性質を持っているんだということを日々実感している。



無限の拡がりに委ねた人生が展開していく

2022年10月03日 | 目覚め
Facebook、2022年7月17日にあげた記事。

~~~~~~~~~~~~~~~

私達は無限の拡がりそのものでしかなく。

「なる」ものでも。

「探す」ものでも。

「達成する」ものでもない。


本当はそれでしかないのに、気づいていない。


でも、目覚めていく過程で、
幾度となく深い喜びの中にとけていき…
その拡がりのなかから世界をみていることに気づく。


私という個人の日常は確かにあるけれど。
その日常を包むように、全体性が私を使って何をしたいのかが流れてくる。


それは、心から湧き起こる想いだったり。
突き動かされるような感覚だったり。

何も〇〇という職業に直接結びつくものとは限らない。

大きい小さいもないし、場所や人を限定するものでもない。

誰かに対する一言でさえ、その響きの中から出てくる。


無限の拡がりと、常に同期しながら動いているような感覚。
この安心感(幸福感)は言語化できない。


そうなってくると。
例えば、自分の体のメンテナンスひとつとっても。

全体性が使う為ということが既にベースになっているので(考えてどうこうではなく)、
手入れをするのに、わざわざ理由づけ(自分に言い聞かせる)もいらないし。
罪悪感も一切おこらない。

料理人が調理に必要な道具を手入れをして磨くのと何ら変わりがない。

変わらないんだけど。
全体性の(ある意味)道具である自分に気づいていなかった時には、
手をかけ時間をかける価値を自分に見いだしていなかった…ともいえるのかな。

なにか、いちいち言い訳じみたものを捻り出していたな~と思う。


もちろん、だからといって義務感もない。

さらに全体性が主導権を握ってくれると、あちこちに気を散らしてはいられなくなる。

それは別に追い立てられているとか、焦ってるということとはまったく違う。


どこにも力が入っていない状態だけれども。
でも同時にフツフツと力が湧いてくるような感覚もある。

このフツフツと湧いてくる力が、強弱はあっても途切れない。
静かだけど、躍動感を持って拡がり続けている。


もうすでに形になっているものがあって。

その上で、全体性が私という個人を使い、そこにむかっていく。
そんな感覚も訪れる。


だから、不思議なぐらい迷いがない。


色々な思い込みやとらわれがなくなった「ラクさ」の向こうには、
さらに無限の拡がりに委ねた人生が展開していっている。