【前編】、自宅から10,000歩で三県境に来ました。そのまま帰るのは芸がない。
結局、渡良瀬遊水地の谷中湖を一周しました。
遊水地の真ん中にある大きな調整池です。
周りはこのような葦が茂る湿地帯です。
さて、ラムサール条約に登録される湿地だけど、天然ではく人工的な湿地帯と書きました。
ここはもともと谷中村という農村だったのです。
なので村の鎮守だった森など、人が住んでいた痕跡が残ります。
去年の台風19号、足尾あたりの山に集中豪雨があり、遊水地が完全に水没しました。
足尾といえば銅山、明治期の足尾鉱毒事件が有名。洪水対策の調整だけでなく、洪水時、銅山の鉱毒を沈殿させる目的で、
明治末期、谷中村を強制的に廃村にし、遊水地が造成されたのです。
でも今では水辺の自然がはぐくまれています。
もうすぐ調整池一周、古河駅前のタワーマンションが大きく見えるようになりました。
ここから谷中湖を離れて、湿地帯を抜け…
渡良瀬川と思川が合流する野渡橋に戻ってきました。橋の上で、ベトナム人と思われる方が釣りをされてました。
ちょうど鯰?が釣れたところでした。
一周約14km、雀神社裏に帰ってきました。
麻久良我(まくらが)の許我の渡りの韓梶(からかじ)の音高しもな寝なへ児ゆゑに
万葉集に詠われた歌碑の前に戻ってきました。
この後、買い物ついでにさらに5km歩いて帰宅、合計23kmほど歩きました。
さて、なんちゃって東海道五十三次、週末の目標を何とか達成。
岡崎を過ぎて何とか池鯉鮒(知立)に到達。お次は鳴海です!
結局、渡良瀬遊水地の谷中湖を一周しました。
遊水地の真ん中にある大きな調整池です。
周りはこのような葦が茂る湿地帯です。
さて、ラムサール条約に登録される湿地だけど、天然ではく人工的な湿地帯と書きました。
ここはもともと谷中村という農村だったのです。
なので村の鎮守だった森など、人が住んでいた痕跡が残ります。
去年の台風19号、足尾あたりの山に集中豪雨があり、遊水地が完全に水没しました。
足尾といえば銅山、明治期の足尾鉱毒事件が有名。洪水対策の調整だけでなく、洪水時、銅山の鉱毒を沈殿させる目的で、
明治末期、谷中村を強制的に廃村にし、遊水地が造成されたのです。
でも今では水辺の自然がはぐくまれています。
もうすぐ調整池一周、古河駅前のタワーマンションが大きく見えるようになりました。
ここから谷中湖を離れて、湿地帯を抜け…
渡良瀬川と思川が合流する野渡橋に戻ってきました。橋の上で、ベトナム人と思われる方が釣りをされてました。
ちょうど鯰?が釣れたところでした。
一周約14km、雀神社裏に帰ってきました。
麻久良我(まくらが)の許我の渡りの韓梶(からかじ)の音高しもな寝なへ児ゆゑに
万葉集に詠われた歌碑の前に戻ってきました。
この後、買い物ついでにさらに5km歩いて帰宅、合計23kmほど歩きました。
31,000歩超、一気に歩いた距離としては最長です。
さて、なんちゃって東海道五十三次、週末の目標を何とか達成。
岡崎を過ぎて何とか池鯉鮒(知立)に到達。お次は鳴海です!
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