本線とは名ばかり、このころは完全なローカル線に転落していた日高本線。
ちょうど国鉄終焉、JR発足まであと3日という日でした。
苫小牧発の様似行きは、キハ22+キハ40の2両編成。
様似までは3時間以上、この先の食料調達はままならないだろうから苫小牧で駅弁を買って乗り込みました。
多分、今はない「シシャモ・チップずし」だったと記憶してます。
日高門別で交換。
本数が少ないので、交換回数も少ないです。
終点1つ前の西様似駅。
当然ながら無人駅、貨物用の車掌車を改造した待合室は、当時のローカル駅の標準装備といえるもの。
しかしたどり着いた終点様似は、ローカルながら本線の終着駅の風格が。
鉄道だけでなく国鉄バスにとっても拠点だったからでしょう。
レールはここで付き、その先は、えりも市街、えりも岬、広尾に向けて国鉄バス(3日後にはJRバス)が接続します。
当然私もえりも岬行きのバスに乗り、当時「北海道3バカYH」といわれた、えりも岬ユースホステルに向かいます。
吉田拓郎の「人間なんて」に合わせてジェンカを踊り狂うという、文字通り狂気のユースホステルでした。
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こんなことを書きつつ、今夜は北海道のユースホステルに泊っています。今のユースは平和ですね。
出張先が田舎過ぎて、宿泊はユースホステルです(笑)
ちょうど国鉄終焉、JR発足まであと3日という日でした。
苫小牧発の様似行きは、キハ22+キハ40の2両編成。
様似までは3時間以上、この先の食料調達はままならないだろうから苫小牧で駅弁を買って乗り込みました。
多分、今はない「シシャモ・チップずし」だったと記憶してます。
日高門別で交換。
本数が少ないので、交換回数も少ないです。
終点1つ前の西様似駅。
当然ながら無人駅、貨物用の車掌車を改造した待合室は、当時のローカル駅の標準装備といえるもの。
しかしたどり着いた終点様似は、ローカルながら本線の終着駅の風格が。
鉄道だけでなく国鉄バスにとっても拠点だったからでしょう。
レールはここで付き、その先は、えりも市街、えりも岬、広尾に向けて国鉄バス(3日後にはJRバス)が接続します。
当然私もえりも岬行きのバスに乗り、当時「北海道3バカYH」といわれた、えりも岬ユースホステルに向かいます。
吉田拓郎の「人間なんて」に合わせてジェンカを踊り狂うという、文字通り狂気のユースホステルでした。
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出張先が田舎過ぎて、宿泊はユースホステルです(笑)
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