東武熊谷線の跡地をめぐっています。前回は群馬県側の利根川堤防(地図F地点)まで来ました。
今回は利根川の先、埼玉県熊谷市旧妻沼町内です。
妻沼から先は実際に営業していた区間であるものの廃止後28年、どの程度痕跡は残っているのでしょうか。
【地図G地点】
利根川渡河地点の埼玉県寄り河川敷はゴルフ場です。群馬側はサッカー場でした。
この先、南にむけて市道が伸びています。
【地図H地点】
このあたりに妻沼駅があったと思われます。これより南は実際に列車が走った区間になります。
熊谷市に合併された旧妻沼町の資料館があり、実際に妻沼~熊谷を走ったキハ2000が展示されています。
こういった展示車両、屋外で朽ちるに任せているものが多い中、ここは屋根の下で保存状態良好なのが嬉しいです。
昭和29年製ということなので、無煙化は早かったようです。当時流行の湘南電車タイプのデザインです。
10kmで途中わずかに1駅という路線で、17分かかったということはかなり鈍足。
この遅さと、車両デザインからか「カメ」と呼ばれたそうな。
さて資料館の向かいには、真ん中にドラッグストアが出来ていますが、幅30m×長さ300mほどの空き地が残ります。
おそらくここが妻沼駅だったのでしょう。そして線路跡を活用した市道が真っすぐ南に伸びています。
【地図I地点】
線路跡は完全に市道と化して、妻沼駅付近でも保存車両と駅跡らしき空き地以外に何も見つけることはできず…
ならば、渡河地点には橋脚など橋梁の痕跡が残るのではないかと、福川の渡河地点まで来ました。
市道の橋の下も覗いたものの全く痕跡なし。線路跡を完全に撤去した後、市道の橋が架けられたようで堤防も新しい。
全く、手掛かりがないのかと思えば…
この橋の名前がズバリ「東武橋」でした。
旧妻沼町内は完全に道路に転用されて痕跡はあまり残されていません。
この先の熊谷市内に期待ですが、まだ取材できていません。続きは9月下旬予定です。
今回は利根川の先、埼玉県熊谷市旧妻沼町内です。
妻沼から先は実際に営業していた区間であるものの廃止後28年、どの程度痕跡は残っているのでしょうか。
【地図G地点】
利根川渡河地点の埼玉県寄り河川敷はゴルフ場です。群馬側はサッカー場でした。
この先、南にむけて市道が伸びています。
【地図H地点】
このあたりに妻沼駅があったと思われます。これより南は実際に列車が走った区間になります。
熊谷市に合併された旧妻沼町の資料館があり、実際に妻沼~熊谷を走ったキハ2000が展示されています。
こういった展示車両、屋外で朽ちるに任せているものが多い中、ここは屋根の下で保存状態良好なのが嬉しいです。
昭和29年製ということなので、無煙化は早かったようです。当時流行の湘南電車タイプのデザインです。
10kmで途中わずかに1駅という路線で、17分かかったということはかなり鈍足。
この遅さと、車両デザインからか「カメ」と呼ばれたそうな。
さて資料館の向かいには、真ん中にドラッグストアが出来ていますが、幅30m×長さ300mほどの空き地が残ります。
おそらくここが妻沼駅だったのでしょう。そして線路跡を活用した市道が真っすぐ南に伸びています。
【地図I地点】
線路跡は完全に市道と化して、妻沼駅付近でも保存車両と駅跡らしき空き地以外に何も見つけることはできず…
ならば、渡河地点には橋脚など橋梁の痕跡が残るのではないかと、福川の渡河地点まで来ました。
市道の橋の下も覗いたものの全く痕跡なし。線路跡を完全に撤去した後、市道の橋が架けられたようで堤防も新しい。
全く、手掛かりがないのかと思えば…
この橋の名前がズバリ「東武橋」でした。
旧妻沼町内は完全に道路に転用されて痕跡はあまり残されていません。
この先の熊谷市内に期待ですが、まだ取材できていません。続きは9月下旬予定です。
鉄道時代の違いが影響しているんでしょうか。
鉄道には疎いのですが、利根川堤防そばの橋脚の佇まいには心惹かれるものがあります。
周りの道路と比較して明らかに道の方向や作りが違うので不思議に思っていました。