心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

3・11以後に向けて(10-5)

2011-08-23 23:06:00 | 3・11と原発問題
こうして20世紀の、<戦争>と<成長>を希望の原動力とする大衆動員=参加体制において、<戦争>の極限形態として「原爆」が、<成長>の極限形態として「原発」が、相次いで開発されるに至ったのでした。のみならずその<戦争>と<成長>が、互いに<戦争>が<成長>であり、<成長>が<戦争>であるような間柄にあるちょうどその分に比例して、「原爆」(原子力軍事利用)と「原発」(原子力「平和」利用)も、互いに切り離すことができない入れ子の関係で現われずにはいませんでした。

とりわけ日本では、戦前の天皇制国家から戦後民主主義を一直線につなぐ大衆動員=参加体制の不思議な連続性に、唯一深い亀裂を入れた原爆投下~敗戦という不連続性を埋めなおすためにも、原子力が最先端の希望の星として要請されることになったのでないでしょうか。

そうしてみると、原子力が戦後の日本社会に占めた位置は、ほとんど戦前の天皇にも匹敵するものとすら言えるように思います。戦前はいうまでもなく天皇が<神>とされたわけですが、その天皇をも上回る<神>を広島・長崎の原爆で見せつけられるや、あわててポツダム宣言を受諾したニッポンは、戦後は天皇への崇拝をマッカーサーというその後ろ盾に乗り換え、マッカーサーのナショナリスティックな置き換えとして科学技術にシフトしてゆき、科学技術信仰の極北として原子力の神々しい未来に拝跪していった、という脈絡が辿れそうです。
実に精妙なこの思考操作を、戦後の日本人は恐らくほとんど無意識のうちに、いやむしろ思考停止のユーフォリアのうちに行なってきました(ちなみに“思考停止”はいつも、日本人の幸福観を最も端的に定義する一語といえそうです。あるいはそれを”無私”と勘違いするのも常識になっています)。でもここで注意すべきは、原爆トラウマの暗黒を原子力の光輝に反転するこの眩い思考操作が、その過程で、少なくとも2つの重大な負の遺産を、戦後日本社会の奥底に沈殿し、そして堆積させつづけてきたことです。

1つは、原爆の圧倒的な威力が、日本の敗戦の原因を物質力・技術力の差だけに帰し、天皇制国家そのものにすでに巣食っていた、精神的な頽廃の問題を隠蔽してしまったこと。本当は日本の敗戦は、物量だけでなく精神においても、圧倒的な敗北ではなかったでしょうか。敗戦で天皇制的な価値観が解体してはじめてココロの空洞が発見されたのではなく、ましてや、戦後の高度成長~バブルでモノが豊かになってはじめてココロの空洞が発見されたのでもなく、むしろすでに、アジア・太平洋戦争に至る天皇制国家の長い生長過程において、少しずつ確実に、「国民」大衆1人1人のココロの空洞は蔓延していたのであって、その全「国民」的な絶望とルサンチマンのエネルギーが沸騰したからこそ、そしてそれを大量に動員しえたからこそ、”聖戦”の遂行も可能だったのです。
そのことがしかし隠蔽され、隠蔽されることによって戦後も温存され、再び絶望とルサンチマンのエネルギーが高度経済成長の隠れた動力源にこそなりえました。でもその分、ココロの空洞もかえっていっそう深く浸潤していきました。ココロの空洞が深まるほど、経済成長の方もまた”成長のための成長”となって自己目的化し、ガン細胞のように病的な増殖を続けます。その自己目的化する経済成長を支える有力な手段として積極的に開発されたのが、まさしく原発だったわけですが、その原発の開発もそれはそれで自己目的化し、低成長期になってもペースを落とさず、いったい経済成長と原発開発とどちらが手段なのか目的なのか・・・むしろどちらも自己目的化しながら、そのことによって互いに手段となりあうかのような、奇妙な共棲関係が展開することになりました。
実はどちらも自己目的なんかではなくて、どちらも本当の目的は、虚構でもいいからココロの空洞を埋めたい、そのために何かとっても強く大きな存在でいたい、<神>のような存在にならなければいけない、ただその一点のために夢中になって疾走したのではなかったでしょうか(現代ニッポン人は、誰一人として各種「依存症」患者のことを嗤えません)。高度成長~バブル期の飽食時代にはじめて発見されたかにみえたココロの空洞は、実はすでにそのように末期的段階にまで進行し尽くした果ての空洞だったのです(そのとき、各種「依存症」が自己神格化の夢のカリカチュアのようにして、顕在化してきたのでした)。

もう1つは、原爆の圧倒的な被害が、専らアメリカの原爆を加害者とする日本の被害者性にばかり意識を向けさせ、アジア諸地域への侵略という日本の加害者性を隠蔽してしまったこと。もし原爆でなく本土決戦で惨憺たる終わり方をしていたなら、多分こうは行かず、わがニッポンは自ら仕かけた侵略とその挫折という峻厳な結果を痛切に思い知らされることになっていたでしょう。でも原爆は、それら一切を吹き飛ばし、皮肉にも“被害者”ニッポンに平和国家という出発点を与えてくれました。アジア・太平洋戦争は“太平洋戦争”へと切り縮められ、対アジア戦争の方は、“大東亜戦争”のとっくに失墜した幻想で粉飾されつづける以外、ほとんど省みられなくなります。
原爆による被害者性は、たしかに平和国家建設の理念を生み落としましたが、しかし自身の加害者性の隠蔽に裏打ちされることによって、“加害者”アメリカへの同一化でそれを乗り越えようとするいわば“平和な「一等国」幻想”と化し、加害者と同じく巨大で高度な物質力・技術力の獲得が挙国一致の国是として追求されることになります。 “さざれ石の巌となりて~”という神秘的な膨張主義が、今や科学的なお墨付きを得て、科学的な装いのもとに、堂々と膨張してくるかのようです(この歌の、“君”が誰かということ以前にすでにある危うさ。その科学的な平和利用)。あるいは、戦前(昭和初期)中流家庭を謳歌した宝塚少女歌劇団の“清く・正しく・美しく”が、 戦後中流社会の“強く・大きく・明るい”国ニッポンへと発展的に解消されます。その頂点が、平和で日常的な原爆(!)としての原発でした。
一方、隠蔽された加害者性、対外的な植民地的侵略の意思は、隠蔽されることによって方向を捻じ曲げ、今度は侵略の主対象を外国から自国の国土へ、“国破れてなおある”山河海土の自然環境へ、そして各人自身の内なる自然(カラダとココロ)へ、要するに僕ら1人1人の<存在>へと向け変えることで、経済成長という名の国内植民地侵略を貫徹するのでした。平和な原爆としての原発が、供給立地でも消費地ですらも、いたるところで日常的に各々の<存在>を侵略し、その虚妄の膨張へ向けて日々慢性的に爆破しつづけるのです。まるであのホロコーストを慢性化し、アウシュビッツを日常化するかのように(アウシュビッツ正門の“労働は人を自由にする”は、双葉町商店街の入口にある、”原子力明るい未来のエネルギー”のようなヴァリエーションを増殖します)。
しかもなお、こうした内なる加害者性、内攻する侵略性は、平和大国の繁栄と栄光の陰に隠蔽されつづけ、隠蔽されることによっていっそう深く浸潤していきます。「平和」の名のもとに、一切の暴力を否定するあまり、1人1人の<存在>、そのカラダとココロを内なる侵略から奪い返し、わがものとして獲得するもっと広い意味での暴力、いや最も根源的な暴力(にしてかつ非暴力)までもが、あわせて排除されてしまうからです(念のため補足すると、「非暴力」とはかつて向井孝氏が喝破したように、「非-暴力」というより「非暴-力」、つまり「暴に非ざる力」なのです)。バブル後になってはじめて発見されたかにみえる大量の<うつ>現象も、まちがいなくこの<存在>の根源的な力を蹂躙する、内攻する侵略性の1つの現われにほかなりません。

敗戦直後の1945年9月9日、昭和天皇は疎開先の皇太子(=現天皇)に出した手紙の中でこう書いています。「敗因について一言いはしてくれ/我が国人はあまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどったことである/我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである」と。・・・3・11直後の僕らはこれを、そのままこんなふうに言い直すことになるでしょうか。「敗因について一言いはしてくれ/我が国人はあまりに原発を信じ過ぎて 自然をあなどったことである/我が全ニッポン人は 科学に重きを起きすぎて 生命を忘れたことである」と。

<つづく>


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