小学校1年生が、この国ではじめに学ぶ「道徳」はこれだ!
「道徳」のすべての教科書に採用されている、原作者は児童文学作家の大蔵宏之(1908-1994)の作品。
一年生のどうとく教科書(光村図書)
「かぼちゃのつる」
おひさまが、まぶしいあさです。
かぼちゃばたけの かぼちゃのつるは、ぐんぐんぐんぐんはたけのそとへのびていきました。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」みつばちがとんできて、こえをかけました。
「そっちへのびてはだめですよ。そこはみんながとおるみちですよ。」
「そんなことかまうものか。」
かぼちゃはそういって、ききません。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」こんどはちょうちょがとんできて、いいました。
「あなたのはたけは、まだまだすいていますよ。そちらへのびたほうがいいですよ。」
「いやだい。ぼく、こっちへのびたいんだい。」
かぼちゃのつるはみちをこえて、すいかばたけにのびていきました。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」すいかが、よびとめました。
「ここはわたしのはたけだから、はいってこないでくださいよ。」
「ちょっとくらい、いいじゃないか。」かぼちゃのつるは、ぐんぐんすいかのつるのうえを、のびていきました。
「かぼちゃくん、かぼちゃくん。」こいぬがとおりかかって、はなしかけました。
「ここはみんなのとおるみちだよ。」
「またいでとおれば、いいじゃないか。」こいぬはおこってつるをふみつけました。
「ふまれたってへいきだい。」そこへトラックが、ブルンブルンとやってきました。
そして、あっというまに、かぼちゃのつるをぷつりときってしまいました。
「いたいよう、いたいよう、ああん、ああん。」
かぼちゃは、ぽろぽろぽろぽろなみだをこぼしてなきました。
・・・
この対話のなさ。
このお互いの意図への無関心。
この感情への無関心。
この個人の自由とエゴイズムの混同。
この多数派(みつばち、ちょうちょ、すいか、こいぬ)の声の没主体性。
この多数派(こいぬ)による 正義?の暴力の正当化。
この無邪気な体罰の正当化。ひいては死刑の正当化(トラック)。
・・・
小学校1年生が、この国ではじめに学ぶ「道徳」はこれだ!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます