Peanut scale.....fly above the rest!

伝説のピーナッツ・スケール
原始的?もしかしてハイテク?な、ゴム動力スケールモデル

Roger AIME 28/06/1938------20/08/2021

2021-10-04 | PEANUT SCALE MODELS

2021年8月20日快晴、ロジェは空へ帰る・・・





「星の王子さま」のサン・テグジュペリが生まれたのは1900年6月。1912年、彼は70馬力エンジンのベルトー・ウロブレウスキー単葉機に同乗して空の洗礼を受けた。1922年には軍用機操縦免許を取得し、腕白小僧がいつしか飛行機に魅せられていく。ブレゲー14、コードロンC59、ラテコエール28、ポテーズ25A型、コードロンC630シムーンなど彼は多くのフランス機を乗り継いで腕を磨く。その彼がニューヨーク=プンタアナレス間の飛行に挑んでいた頃の1938年6月ロジェ・エメは生まれた。フランス南部の地中海に面するプロバンス地方で彼は育ち、工業製品のデザインを生業とし趣味の模型飛行機を始める。





僕がピーナッツスケールを始めた頃、まだ右も左もわからず関係がありそうなものには貪欲に吸収していく情熱があった。日本ではまだ未知の世界だったピーナッツも海外の雑誌や会報なんかではぼちぼち紹介されていた。その頃海外郵送競技を始めたモデルビルダー誌のホストを務めたビル・ハンナンさんやウオルト・ムーニーさんともお友達になる。ハンナンさんの通販ショップではスケール機、特に彼がデザインしたピーナッツの図面や執筆した本の他に世界のビルダーがデザインした図面が販売されていた。ウルグアイのユリシス・アルバーツさんやフランスのロジェ・エメさんの図面はかなり売れていた。ボブ&サンディー・ペックさんがピーナッツキットやパーツを売り出したことも世界中にピーナッツの知名度を上げた。毎号ピーナッツ図面が掲載されていたモデルビルダー誌を始めそれらの手に入りそうな図面やキットは片っ端から買ってしまう。
「熱」がある時ってのはそんなもんだ!





ハンナンさん夫妻がフランス旅行した時に僕のことをロジェに紹介してくれた。そしてヨーロッパでコンテストがあるときにはロジェが僕の機体の代理飛行をすることになった。フランス国内やベルギーでコンテストがある時は彼に機体を送って飛ばしてもらった。ロジェとの交流が始まった1990年代の中頃、フランス人の彼は僕の中ではサン・テグジュペリとダブっていて「星の王子さま」とでも呼ぶことにした、もちろん彼はそんな事を知らない。王子様からは定期的に手紙が届いた、フランス語だったらお手上げだが英語で書いてくれたので対等でもあった。





ロジェは寝ても覚めても図面を描くことが好きなようで、新しい図面が完成すると真っ先に送ってくれる。2000年代に入るとコンピューター図面が多くなってきて少し味気ない気もする図面が多く見られるようになったが、ロジェは最後まで決してそんな図面は描かなかった、いつも通り製図板に向かってラインの太さやレイアウトは全く変えることなく描き続けた。その図面が僕の琴線に触れた時は素早く反応して作り始める、そしてその写真を送る、するとまた新しい図面が届く・・・ そんな繰り返しが10年以上続いた。





サン・テグジュペリは猛々しい飛行機乗りにはなりきれずに最後まで心優しいヒコーキ野郎として人生を終えたと思う、ロジェの優しさと共通するところがある。ロジェから届いた手紙は100通を超える。彼が忙しくて製作ができない時だって「元気かい?今何作ってる?何か君が欲しいパーツとかあるかい?」といった手紙が届く。東日本大震災の時には僕が落ち込んでると立て続けに手紙と図面が送られてきた、そして重い気分を開放してくれた。ロジェのすごいところは自分のペースだけじゃ無く相手のことをいつも気にかけてくれる、僕には絶対出来ないであろう優しさをいつも感じていた、さすが「星の王子さま」だけある。





ロジェもネットの時代になって「メルアド」は持っていたけれど、手紙ほど頻繁にコンタクトは無かった、そして何か必要な時には必ず「封書」が届く。その返信をメールで返すのはなんだか失礼だと変な気を使って僕も封書でお礼を書く、Eメールと違ってこの少しだけ緩やかな時間の経過が心地良いことをお互い知っているのかもしれない。晩年ロジェの図面を描くテンポも昔と比べたら随分ゆっくりになった、製作ペースも昔ほどではなくなった。色んな事情で誰だって同じようにペースが落ちていく、そして手が止まる悲しい現実・・・ しかし情熱が消えたわけではなくいつも頭の中には空想の図面やバルサの木っ端や塗料の匂いが充満している、そんな人生を送っていたロジェは世界を代表する偉大なピーナッツ・ビルダーの一人だと思う。





ピーナッツの良いところは愛好者が減ることもなければ増え過ぎることもない、それってギリギリのあたりで生き永らえる絶滅危惧種のようなもの?
20数年の交流の中で僕はロジェから学んだことがいっぱいある。「あまりエキセントリックになるな!」ってこと?、当時はかなり挑発的な機体を作っていたのかもしれない、だから時にはブレーキをかける、「大人」だったんだね。黎明期の「色紙」でその機体色を表現していた時代に突然エアーブラシでプラモデルの如きピーナッツは良くも悪くも目立ち過ぎた感は認める、素朴で暖かなイメージを鋭利なナイフで切り裂くような・・・ でもその10年後にはほとんどの機体がそうなった、スケールのリアリティーを追求すれば必然なのかもしれない。そして今ではプリンター印刷のカラーリングが台頭し始めるがまだその地位は変わっていない。





ロジェから送られてきたピスタチオ機、庄内の空を飛ぶ・・・・









僕の送ったピスタチオ機、ヨーロッパ各地で飛行する・・・・









同じ時代を一緒に歩いてくれたロジェに感謝します。2021年8月20日快晴、ロジェは空へ帰る・・・





「なんだって!きみ、天から落ちてきたんだね?」
「そうだよ」とぼくは、しおらしい顔をしていいました。(星の王子さまより)


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