僅か1日というが、大きな事が起きている。
北海道と東京で二人も亡くなった。
取り返しのつかない人の死程大きいな事はなく、それを挽回する事は出来ない。
されどこれ以上の死者を出さない為の努力が自粛ではなく要請になったのだろう。
ネットの意見と言うよりも例の大邱の集会の印象が大きいのだろう。
それと学校の休校などで地方がイニシアチブを発揮すれば、国は何をしているとなるのは当然の成り行きだ。
また、ここまで押し切られている要因にニューヨークタイムズの記事があるのではないか?
クルーズ船の感染拡大、それに下船後の公共交通機関でかなり失点してしまった。
アメリカに弱い日本の大衆という図式は仕方ないとしても日本のマスメディアが信頼ないような事をしてきたのにもこう言う現象の一端はあるのでは?
例えば、首相との会食が密会でオープンでないとか疑念を呼ぶ。
難しい話とは別にイベントの開催、中止は割れる話だろう。
それで自主的に判断してとなったのだが、パヒュームの前日の開催で意図が伝わっていないのだと実感したのでは?
悪いとかでなく、まだ経済優先だと実感すればそうではないと示さなければならなかったのだろう。
日本人の自主性が問われる状況なのだが、教育が教科書で、仕事がマニュアルでならキチンと指示しないと動けないのだろう。
本来そこも問題なのだが、とりあえず取り返しのつかない事態を収束しないといけない。
それに年寄りを減らそうとしているとかの勘違いを是正出来ないと間違いなく投票に影響する。