ざんないの方に気がいってしまいました。
関西ではざんないと言うのですね!
漢字にすると慚無いだそうです。
更に漢語の無慚は
> 無慚(むざん)(梵: āhrīkya、アーフリーキヤ)は仏教が教える煩悩のひとつ。 はじらいのないこと。 なお、 慚とは、法灯明として自分の出世間たる仏の教えに照らして恥じる心のこと。 説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ。
となっております。
また、タレントさんの辞退もいろいろと有るのかもしれません。
本当に時期的にスケジュールが合わないとかもあるのでしょう。
それと名誉で走らさせられるのと何か走っても名誉なのか批判の対象なのか分かりづらい状況なのも有るのかと感じます。
オリンピック開催を手放しに喜べるほど楽観視出来ない感染状況や変異ウイルスです。
松本人志さんの話も分からないでもないのです。
ただ、オリンピックの聖火リレーのランナーを恥じる事はなく、一つの名誉な仕事で立派な奉仕です。
開かなかったとしても開きたかったが残るのか、それとも諦めたが残るのかでは大差です。
自分の信念に基づけば、どちらでも良くてむしろ世間の意見に流されると後で説明が付かず、それこそ恥じる事になります。
走りたいのなら、感染防止をすれば良いと思う事でそれをまた勧める事です。
信念がそうさせるならそれで恥じる事はありません。
また、理論は理解していなくてもなんらの心配で参加を思い止まるならそれも自信の気持ちに素直です。
所詮、マウントを取りたがるネット民はどちらにせよ批判したいのでしょうし、タレントに群がりたいのです。
その大半の意見であれば、確かに辞退が流れに乗る方向なのでしょう。
それを是認するとなんでも数の力でおす二階さんのような存在と変わらないのです。
自分で判断して、せめても後悔が少ないような決意で有ればタレントさんなんだからそこはその立場を演じ切らねば軽く見られます。
最近はそうでもないのでしょうけど、昔の有名人は威厳もあって押すに押されもせぬ存在でした。