レイのお出かけ日記

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カワイグランドピアノ(KG-7D)

2011-11-17 17:37:07 | 音楽関係
今回は久々に「音楽もの」です。


6歳から14歳までクラシックピアノを習っていました。
すごく習いたかったので、熱心にレッスンに通っていました。

小学2年生のある日、習い事の帰り道、何か(誰か)とぶつかって転び、
左手の掌、薬指の下の部分に大きな怪我をして6針縫った時も(傷痕はまだ残っています)
レッスンは休まず右手だけでレッスンを受けて・・

こう書くと、まるで必死な感じですが実際には
ピアノを弾くことが何よりも好きだったので
一生懸命というより楽しんでいましたね。

住んでいた場所が田舎だったせいなのか、
当時はピアノ教室といえば「クラシック」のことで
ジャズやポピュラーを教えてくれる教室は無かったですね。
バスや電車に乗って駅にある大きな楽器屋さんに行って
いろんなピアノ譜を見て、
わくわくする思いでいろんな楽譜を
おこずかいが続く限り買い求めていました。


今思うと、よほどピアノが好きだったんだと思います。


小学5年生の時、父の仕事の関係で、
このセミコンサートのグランドピアノが我が家に来ました。
1980年6月下旬の頃です。

中学2年生(14歳)の時にピアノを辞めてしまった後もずっと弾いていました。
何年か経ち、住宅事情もあり自分でアルバイトをして、
「電子ピアノ」を購入してしてからは、
このグランドで弾くことは少なくなりました。


24歳の時にもう一度ピアノを習い直したいと思い再び教室に通い始め・・・。
昔、お世話になっていたピアノの先生の所に暫らく通っていましたが、
紹介で国立音楽大学のピアノ科で教鞭をとっている方を師事し、

椅子の座り方、鍵盤上の手の置き方、肩と腕の脱力、体のフォーム、体重(重心)の取り方などを
すべて直しました。

ただ、練習は電子ピアノがメインでした。
グランドピアノはほとんど弾くことがありませんでした。


結婚した時も、ここに「置き去り」にしてしまい・・
(電子ピアノは持って行きました)
けれども、私にとって
このピアノの存在は、
音楽を続けて行く上で「心の拠り所」になっていたような気がします。

40歳になって(1年間だけですが)演奏の仕事をすることができたのも
音楽大学の先生に習ったというだけではなく、
この「心の拠り所」も大きかったと思います。

そんなピアノですが、

今年の初めに父が亡くなりまして、このピアノを手放す事になりまして。

母も私が高校1生の時にに他界しているので・・

実は、このピアノを処分する話はずいぶん前からあったんです、
頭では解っているんですけど、自分の気持ちの整理がなかなかつかず・・
延ばし延ばしにしていて今日までに至ってしまいました。

環境を整え、習い事をさせてくれた両親に対して
自由に弾かせてくれて、練習させてくれた周囲の人たちに対して

感謝して

仕方ないんだ・・そんな風に思い。

久しぶりにピアノを開けてみたら
意外と中はキレイな方。
査定の人が来る前に、最後は自分の手でキレイに磨いてあげよう。

31年間、私をずっと支え続けてくれて有り難う。









2011年12月中旬にこのピアノは専門の業者さんに買い取られました。
購入当時(昭和55年)270万円したこのピアノは35万円で引き取られました。
買い取り価格が20~25万円が相場だという中で、業者さんはかなりの高値で取引してくれました。
現在は、外国で奏でられているのかな・・・このピアノ。

ここの家と土地は父の再婚相手の所有となり、
ピアノを処分した直後に
取り壊されて売却されました。
「この場所で生まれ育った」という思い出は、すべて失ってしまいましたが、
結婚したことで得た自分の家族と我が家には、22年前に購入した電子ピアノが
今でも元気に音を出しています。

「そろそろ買い替え時だな・・」と、思いますが・・。

これからも、懲りずへこたれずピアノを弾いていきます。



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