ネイティブは、生まれてから、成人になるまで、お母さんや周りの人達の言葉を聞きながら、少しづつ、聞き覚えた表現を、自分なりにアレンジして、表現する。ある言語文化圏において、無意識的に行われる言語習得トレーニングを、日本生まれ日本育ちの日本人が、日本において、異文化圏の言語を習得する際、一体ネイティブはどういう環境で、どういうメカニズムで言語を習得するのであろうか、考える必要がある。無意識的インプットとアウトプットが行われるネイティブの言語環境を、日本において、練習の際に、可能な限り実現しなければならない。ネイティブが10数年かけて習得する言語を日本国内において、習得しようとするのだから、単に盲目的に暗記したり、まして何とかラーニングみたいに、ただ聞き流すだけで習得するなど、錯誤や暴論も甚だしい。赤ちゃんをなめてはならない。大量インプットにより蓄積した言語を、具体的な状況にいかにマッチさせて相手に伝えるかを恐らく、無意識下で必死に考えて表現しようとしている。
人は生まれながらにして、知ることを欲するとは、哲学の父プラトンの弟子にあたる、万学の祖、アリストテレスの言葉。さて、人は、生まれながらにして、表現することを欲している。または、人は生まれながらにして、考えることを欲していると、私は思う。何とかラーニングなどは、この表現や考えるという、恐らく人間の有する根源的な欲求を完全に度外視していると思う。そりゃ、何もしないよりは、聞き流すだけでも、マシはマシでしょう。赤ちゃんから学ぶか。それは、一面の真理である。もう一面の真理は、人間の表現する欲求である。赤ちゃんは聞き流すだけではない。それをどう応用して自己表現をしようかを考えている。人間の根っこにある表現する欲求。それをこそ刺激して、英語に熟達しようとする試みこそが、この
『考える英語』の英作練習の趣旨である。