これはキリストのむち打ちの図ですね。
美麗な絵だが、裸同然でしばられているイエスを鞭打つ人間の動作が石のようだ。鞭も小さく弱い。
それはおそらく、画家がイエスを鞭打たせるのがつらかったからでしょう。
小さな天使が必死でイエスを助けている。
イエスを助けたいと言う、人間のやさしさが気になる作品です。
受難の図は、ときに壮絶にむごい図に描かれるときもあるのですが、時にはこういう人間のやさしさを感じる図もあります。
人間も捨てたものではないと感じます。
時に人間は、天使のような存在を憎むことしかできないのかと、絶望しかけることもあるのだが。
わたしたちはただ愛を動機に、人類のためにすべてをやっているのですが、その心を理解してもらえることは期待していないにしろ、時にやりきれなくなることはあるのです。
自分でそんな心をなんとかして、やって来はしますがね。何せ、誰かがなんとかせねば、人類は大変なことになる。
同じ愛を返してくれとは言いません。それは無理なことですから。だが人類も、愛がわかったなら、それなりの、精一杯の愛で、イエスや、人類のために苦労してきた天使を愛してほしいと願います。
そうすれば、わたしたちは、あなたがたのためにどんなことでもできるのです。