藤村学会の2日目は臨地研究、藤村にゆかりのあった地を巡ります。
昼食をとった長多喜では、文久元年(1861年)10月29日、皇女和宮が江戸へ向かう途中、中津川宿に泊まったときの献立が再現されていました。
ご飯、汁(赤ミそ、氷こんにゃく、志ゐ竹細切、そぼろ)、平皿(たい、刻昆婦)、膾(川ます、三嶋のり、白髪大こん)、焼き物(一塩鱸)、香の物です。
これでは、量が少ないだろうということで、おまけのお膳、「夜明け前」にでてくる食べ物、サヨリ飯、塩烏賊、蕪と大根の切り漬け、しめじ茸と豆腐の露、ねぶ茶が添えられていました。
中山道の一部、現在の道を歩きました。
横道の路地には、少し当時の面影が残り、
大きなうだつがあがる古い旧家も残り、お庭に入って見せていただきました。
歴史資料館には、たくさんの資料が保存されていました。
めずらしい神道のお墓、墓石の後に前方後円墳の石組があります。
間秀矩は、「夜明け前」の主人公青山半蔵の友人のモデルになった人物です。
1日をかけて、桂小五郎隠れ家跡、間家大正の蔵、脇本陣森家、庄屋肥田家、水戸天狗党横田元網の墓、青邨記念館、苗木遠山などを巡った充実した臨地研究でした。
途中、カメラが故障して、なんとかなだめて撮っていたつもりが、帰ってパソコンに入れると真っ黒な画面になっていました。
学会のようすを伝える岐阜新聞の記事のコピーです。