石川五右衛門がひそんだという伝説がある南禅寺三門@京都
歌舞伎の演目にも登場するという南禅寺の三門。 絶景かな絶景かな。春の眺めは値千金とは小さなたとえ、この五右衛門が・・ と大見得をきるこの石川五右衛門のセリフは有名ですね。 南禅寺といえば、臨済宗、京都五山の中でも別格の格式高いお寺。 もともは 亀山法皇が開創したお寺。長きにわたり天皇にささえられ強大な権力をもっていたらしい。そしてその後 武家政治へと時代はかわったが 将軍足利尊氏は 時の住持、夢窓疎石に深く帰依し 南禅寺の地位はかわることはなかった。 しかし 創建100年目にあたる1393年に大火災で炎上、さらに 1447年に再びの大火災 1467年には応仁の乱による炎上で 大きな打撃をうけ さしもの南禅寺もたちなおるのにはかなりの年月を要したということ。 再び強大になっていくのは徳川家の庇護をうけるようになってから。 家康が当時の住持以心崇伝を重用し政治のブレーンとしても活躍するようになる。そして再び強大な権力をもったがゆえに、明治維新の後 廃仏毀釈の波をかぶり政府の集中砲火をあびることとなる。 領地の大半はめしあげられ・・・ 方丈は一時期 精神を病んだ人のための療養所として接収されていたこともあるらしい。 徳川幕府そのものといってもいいほどの権力をもっていたがゆえの悲哀。 今はなにごともなかったかのように 静かにそこに存在していますが 背後には波乱万丈の歴史がある。そんな目でみるとまた違った南禅寺がみえてくるのかもしれませんね。