「ぼく(ズース)は12月18日に6歳になりました。
ぼくは、具合の悪いパール婆ちゃん(14歳)をみまもってるよ。
ときどき踏んづけて怒られるよ。」
パール婆ちゃんは何回も何回も、もうこれまでかと覚悟するような容態になりましたが、そのたびに少し持ち直しています。徐々に弱って脚も立たないのですが、いまは、口元に持っていけば少し食べます。
パールはおなかを壊しやすくて獣医さんに教えてもらったフードしか食べていなかったのですが、それは今は食べないのです。
おなかも悪く歯も悪いパールに、何をどれだけ食べさせてやったらよいのかわからない。いま何が食べたいのかどんな気分なのかも言葉を言わないからわからない。
誰か教えてほしいという気持ちで、どうしたらよいかわからず悩んでいたら、夫が「正解は誰にもわからない」と言いました。
息子も「人間だって同じかも。正解はわからないよ」と。
あ、そうか。そう言われたら、少し気が楽になりました。たしかにそうかもしれない。
何に対しても、どこかに正解があるのでは、と求める癖のある私ですが、何であっても正解なんてわからないのかもしれないなあ・・
と、思いました。
なんでも混沌の中だ。そこでやるしかないなあ。パールを眺めながらそう考えました。
元気なズースと散歩するのは気晴らしになります。
毎日寄る神社は、スケートの羽生くんで有名になった神社だけど、サッカーの神様もいます(たぶん)
毎日ここにお参りして、日々の感謝とお願いを同時にしています。
気持ちが重い日が続くので、思い立ってこれを再読しています。昔読んだ本ですが、なんとなく気分に合うような気がしたので。
昔読んだときは、辛気臭い本だと思いましたが、読み返すと、年齢を重ねたためか感慨はありました。
晩年、この本を著した作者のキリスト教観、そこへの共感までは、届くことはできません。