ザ・サウンド オブ わんわん The sound of wan wan

ベルジアンシェパードグローネンダールのズースです。

パール一命をとりとめる・木村治美エッセイ集

2021年12月29日 | 犬たちのこと



パールは一命をとりとめました。
少しずつ食欲が出てきて、ドッグフードも食べるようになりました。
足も日増しにしっかりしてきています。
歳が歳ですから、この先何があるかはわかりませんし、覚悟も必要ですが、飼い主だって同じこと。
生きとし生けるものの宿命です。

年末ですが、パールの看病疲れを少し回復させねば。大晦日から年始にかけての孫たちの来襲に備えて、体力を温存させておきたいので、大掃除も年賀状書きもサボろう。


著者は、「黄昏のロンドンから」で1977年に「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞して、その頃テレビ出演も多く一世を風靡した感があります。
その後、エッセイストグループを主宰して、エッセイの書き方について多くの著作を世に送り、エッセイを書きたい人々を応援する活動をされています。
エッセイというのは、所詮、自慢か自虐だ、と言われたりして、その傾向はなきにしもあらずか、とも思いますけれども、やはり上手なエッセイは、そこからうまく外れています。
何度も何度も読んで年季のはいったこのエッセイ集は、日常生活、家族、旅などエッセイの王道ではありますが、なにか一味違う。さりげない日常生活を描きながら、時代を行き来し、世相を論じ、豊富な知識を披露してくれる。上等なエッセイのお手本のよう。
ちなみに「モンテクリスト伯」のこの上ない面白さをこの本の中で教えてもらい、老後の目標である、世界名作長編小説への挑戦のひとつ目として今読んでいるところです。





パールの病気

2021年12月26日 | 犬たちのこと



パール(13歳)が、この前の水曜日の夜、突然夕食を全部吐いて脚が立たなくなりました。その様子からいくと、脳に何らかの障害が起こったのではないかと思われます。
目が左右に細かく動く眼振があり、ひどいめまいがある様子で、そのせいで脚がよろけて立てないようでした。
めまいのせいで、吐き気がひどく、その夜は何度か吐いていました
用を足させようといつものように外に連れ出しても、めまいがするのでしょう、立ちすくんで一歩も動きません。紙のオムツを買ってあったので、それをしました。
その後はぐったりして、水も飲まなくなりました。
翌日、午後、かかりつけの獣医さんへ。
獣医さんは、これは老犬によくあること。たいがい治っていく。後遺症はあるかもしれないけど。顔見る限りでは、「わたしこのままダメになります」って顔じゃないよ、と笑っていました。少し安心。
しかし、それでも翌日も全く食べず、ほとんど水も飲まずの状態で、おしっこもあまり出ていないようで、気が気ではありませんでした。
金曜日の夕方、また獣医さんに電話。点滴はいりませんか?と尋ねると、点滴では、栄養補給はできない、水が飲めていたら数日食べなくても余力があるから大丈夫、点滴の必要性は感じない、と。うーん😢
普段信頼している獣医さんなのですが、それでも心配なのが飼い主のさが。
水を飲む量が少ないのでは?と感じましたが、オムツにおしっこしてるので大丈夫かなあと、自らを納得させる。

土曜日の夜、初めてカステラをほんの少し食べました。嬉しくて天にものぼる心地。これで、快方に向かうかもしれないと希望が持てました。眼振もほとんどなくなってきています。
日曜日の朝(きょう)、またカステラを少し。
昼に、ペットフードの柔らかいのをほんの少したべて、ずいぶん気が楽になりました。

さてさて、今までに5匹の犬を見送っていますが、そのたびに寿命が縮む思いをするのは変わりません。
今回、パールは回復の兆しが見えていますが、私は発病以来、生きた心地しませんでした。パールが食べないと、こちらの食欲も全くなくなります。
全身全霊、犬の病気と向き合ってしまって、なんにもできなくなります。
それでも日常生活が続くのがつらいことといったら。

今の犬、パールとズースを見送らねばなりません。あと2回もあの辛さがあるんだなあ…



牡蠣のチャウダー

2021年12月20日 | 料理


昨日のシルバームーンと、今朝の月。夜明け前の街とパール。
私は、温暖化が気になっているので、寒ければ寒いほど嬉しくなる、というか、近年の暖かい冬があまり好きではありません。
暑すぎる夏はもっと好きではないですが。




数日前の晩御飯、牡蠣のチャウダーでした。
本場アメリカのクラムチャウダーを食べてみたいと思いながら、まだ叶っておりません。




「日日雑記」武田百合子

2021年12月14日 | 



武田百合子さんのエッセイを読んでいると、生きるとは「見ること」なんだな、と思います。「観察すること」「見たものを言語化すること」。
武田百合子さんを評して、よく天真爛漫と言われますが、たしかに思うままに欲望に従って生きているように見受けられます。人間関係においては、他人を操作しようとしたり、評価しようとしたりするのではなく、あるがままに見て、あるがままに写し取っている様子が小気味よい。
「聞くこと」が大切、と言われるが、同様に物事を、人を、そのまま「見ること」が人生そのものだと、このエッセイを読むと思わされます。




休憩中なのに邪魔しないでよ、とパール。
ちょっかい出したいズース。