スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

闘病記 4/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-09-17 11:12:19 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

3回から続く、今回は連載4回目

発症時は妻の買い物に同行した慌ただしい年末の12月末夕方スーパの階段を降りた所で、右脳の奥でプツンと何か切れた様な気がした。確かにドロッとした液体が右脳の中で流れ出た気がした。何か変だなあと思い、とにかく家に帰って横になった方が良いと思い、自家用車のハンドルを握った。助手席には買い物を終えた妻がいた。そのスーパから自宅までは車で10分位の距離である。

 

私はその時点で妻に何か変な具合とは言わなかった。しかし、運転中、左へ左へと車が寄り、妻から「電信柱にぶつかるわよ!!と何回か注意された。約10分後自宅の駐車場に着き、妻は先に買い物袋を下げて自宅に入った。私も後を追いかける様に、先ずサイドブレーキを左手で引いたが殆ど力が入らない。やっとの思いで両手でサイドブレーキをかけたが、次には歩行がままならない。フェンスや植木に摑まりながら歩き、倒れこむ様に玄関の中に入って、妻に「なんだか身体が変だから救急車を呼んで!!」と言った。

 

救急車に電話するなんて65年間で初めての出来事である。私はその時は大変なこととは思いもしなかった。妻も全く同様であったはずである。たった今まで元気そのもので、買い物をして車を運転していた訳だから。更に10分後救急車が到着するまで私自身も意識ははっきりしていたので、まさか片マヒ後遺症が残る脳内出血とは思わなかった。呑気と言われても止むを得ない。そんなものなのかもしれない。しかし正直なところは、脳の病気とは思いたくなかったのかもしれない。

 

10年前父が脳梗塞で左片マヒとなり、白血病で亡くなるまで数年間苦労していたのを介護したことがあったから多分その時のことが脳裏にあったと思う。救急隊員から病院に着くまで酸素マスク着用して「姓名は?」、「住所は?」、「誕生日は?」、「今、自分がどういう状態か解るか?」等々同じ質問をされたが、きちんと受け答え出来たと思う。

 

次号5回目に続きます。

 

コメント
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