元徴用工問題の解決は98年「日韓共同宣言」の精神に基づいて
「65年請求権協定への先祖返りでは日韓の友好は実現できない」 内田雅敏さん(弁護士)
植民地支配の清算問題を封じ込めた65年請求権協定
韓国大法院が元徴用工への賠償を命ずる判決をなした時、1965年の日韓基本条約・請求権協定で解決済みと、裁判当事者の企業よりも声高にこの判決を批判したのが日本政府だった。元徴用工問題解決の鍵はこの辺りにある。
類似の中国人強制労働問題で、花岡(鹿島建設)、西松建設、三菱マテリアルらが、それぞれの「企業哲学」に基づき、強制労働による加害の事実と責任を認め、謝罪、賠償をし、被害者・遺族らと和解したとき、当時の日本政府は、民間の問題として一切口を挟まなかった。各メディアも、和解を歓迎し、この問題の全面解決に向けて<次は政府が動き出す番だ>と主張した。
然るに、韓国元徴用工問題については、日本政府は、当事者の企業による自発的解決を一切許さないばかりか、対抗策として輸出規制までした。歴史問題は経済制裁では解決できない。事態を悪化させるだけだ。
日中の国交正常化をさせた1972年の日中共同声明は前文で、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に対し重大な損害を与えたことについて責任を痛感し、深く反省する」と日本の中国侵略について認めた。その意味では日中両国は、歴史認識を共有している。
日韓の国交正常化をさせた65年の日韓基本条約・請求権協定では、日韓間では交渉開始の当初から懸案となっていた日本の韓国に対する植民地支配に関する反省も謝罪もなかった。日韓両国は、歴史認識を共有しないまま、米国の強い「指導」の下に国交正常化をした。65年協定は当初から火種を抱えていたが冷戦がこれを封じ込めてきた。
須之部量三元外務省事務次官は、退官後だが、日韓請求権協定について「(これらの賠償は)日本経済が本当に復興する以前のことで、どうしても日本の負担を『値切る』ことに重点がかかっていた」のであって、「条約的、法的には確かに済んだけれども何か釈然としない不満が残ってしまう」と率直に語っている(『外交フォーラム』1992年2月号)。
栗山尚一元駐米大使も、「和解――日本外交の課題 反省を行動で示す努力を」(『外交フォーラム』2006年1月号」)で、
「……国家が過ちを犯しやすい人間の産物である以上、歴史に暗い部分があるのは当然であり、恥ずべきことではないからである。むしろ、過去の過ちを過ちとして認めることは、その国の道義的立場を強くする。(中略)
このような条約その他の文書(サンフランシスコ講和条約、日中共同声明、日韓請求権協定等―筆者注)は、戦争や植民地支配といった不正常な状態に終止符を打ち、正常な国家関係を樹立するためには欠かせない過程であるが、それだけでは和解は達成されない。(中略)
加害者と被害者との間の和解には、世代を超えた双方の勇気と努力を必要とする。それは加害者にとっては、過去と正面から向き合う勇気と反省を忘れない努力を意味し、被害者にとっては、過去の歴史と現在を区別する勇気であり、そのうえで、相手を許して、受け入れる努力である」と述べている。
1998年「21世紀に向けての日韓パートナー宣言」
植民地支配に関する日韓の歴史認識の共有は1998年、金大中大統領・小渕首相による日韓共同宣言まで待たねばならなかった。同宣言は「日韓両国が21世紀の確固たる善隣、友好、協力関係を構築していくためには、両国が過去を直視し、相互理解と信頼に基づく関係を発展させていくことが重要である」、「小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。
金大中大統領は、かかる小渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した」と述べる。同宣言は95年8月15日、戦後50年の節目に際し、植民地支配と侵略について痛切な反省と心からのお詫びを表明した村山首相談話を踏襲したものである。歴代政権は村山首相談話を踏襲してきた。
このように植民地支配の不当性について認識を共有している今日の日韓関係では、安倍政権が「一歩も引かない」としている65年協定は、すでに克服され単独では存立しえない。
韓国元徴用工問題の解決は、65年日韓基本条約・請求権協定に先祖返りするのでなく、これを補完・修正した98年日韓共同宣言に基づき、「過去を直視し」、当該各企業の自発的な解決に委ねられるべきだ。
捕虜酷使・虐待の賠償を規定したサンフランシスコ講和条約第16条
サンフランシスコ講和条約第14条は日本の戦争賠償を免除しているが、他方で、捕虜の酷使・虐待については日本政府の賠償義務を認めている。同条約第16条[捕虜に対する賠償と非連合国にある日本資産]は以下のように述べている。
「日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に償いをする願望の表現として、日本国は、戦争中中立であった国にある又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国およびその国民の資産又は、日本国が選択するときは、これらの資産と等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし、同委員会はこれらの資産を清算し、且つ、その結果生ずる資金を、同委員会が衡平であると決定する基礎において捕虜であった者及びその家族のために適当な国内機関に対して分配しなければならない。」
法律用語特有の「悪文」だが、その趣旨は、戦争相手の連合国以外の国にあった日本国、日本国民の資産を処分して、これを酷使・虐待された連合国軍捕虜に対する賠償に使いなさいというものだ(連合国内にあった日本の資産はもちろん没収)。
この規定は、14条による賠償免除の例外規定だが、ポツダム宣言第10項前段「われ等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えられるべし」を受けてのものであり、酷使・虐待された連合国軍捕虜らは、賠償免除に納得できず、彼らを宥めるために設けられた例外規定だ。
この規定によりイギリス軍、オランダ軍の元捕虜らに対していくばくかの「賠償金」が支給されたが、その額はわずかのものであったようだ。
これに関連して、村山政権以降、外務省の所管で元捕虜・遺族らを日本の故地(強制労働させられた地)に招いての「平和友好交流事業」が行われており、来日した元捕虜・遺族らはずいぶん気持ちを和らげて帰国されているようだ。2020年8月22日付朝日新聞は、「今は日本を許す、でも忘れない」という見出しで、戦時中、日本軍の捕虜として,泰緬鉄道建設現場で、強制労働させられた元オーストラリア軍兵士キース・ファウラーさんからの聴き取り記事を掲載している。
苛酷な労働、粗末な食事、仲間が次々亡くなった。ただただ日本を憎んでいた。しかし、数年前、日本の外務省の交流事業で日本に招かれ、市民交流で経験を語った後、若い女性4,5人に囲まれた。「私たちに何がおきたのかに関心を共感し、悲しんでくれた。自分は日本兵の日本を知るだけだった、日本に来て、違う考え方をする新しい世代を知った。」「今は日本を許せる。でも忘れない。ただ、許さなければ、過去を乗り越えられないと思えるようになった。」と語った。こうした取組みがなされ、こうした取組みがなされていることがもっと知られるべきだ(内海愛子恵泉女学園大学名誉教授)。
元徴用工・遺族らに対してもこのような取組みがなされるべきではないか。
韓国側からもドイツでの基金を参考にした柔軟な解決策の提示もなされている。判決の執行では真の解決とはならない。恨みが残るだけだ。