醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  984号  白井一道

2019-01-31 14:58:07 | 随筆・小説


  しきしまの大和心のをゝしさはことある時ぞあらわれにける 明治天皇


侘助 安倍総理は施政方針演説の中で「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」1904年に明治天皇が日露戦争の際に詠んだ歌を紹介したようだ。
呑助 「しきしまの」という言葉を聞くと何か、愛国的な感じを受けますね。
侘助 参議院議員の小西ひろゆきさんは、本会議場ですかさず「日露戦争の開戦時に明治天皇が詠んだ歌だ!不適切だ!」と発言した。壇上の安倍総理にはいつもの動揺はなく、堂々と軍国主義を讃える演説を強行したようだ。
呑助 安倍総理は韓国との戦争でも煽っているんですかね。しきしまの大和心の雄々しさは事ある時には現れてくるんだぞと他国を威嚇するような歌なのかもしれませんね。
侘助 そんな風にも感じるよね。このような明治天皇の歌を施政方針演説で読むと国民は震えるような感動を覚えるのではないかと考えているのかもしれない。
呑助 そのように思っているのは安倍総理とその取り巻き連中たちだけかもしれませんよ。
侘助 2019年1月の日露首脳会談がロシア・モスクワのクレムリン宮殿で行われる前は北方領土の二島、歯舞・色丹島が返還されるという宣伝がマスコミを通じて行われていた。私も安倍総理の外交力で北方領土の二島がロシアから返還されるのではないかと思ったほどだった。それがまるで嘘。返還の「へ」の字もなかった。日本のマスコミもヒドイね。日露首脳会談の結果についてどうだったのか、はっきりした報道はなかったね。
呑助 安倍さん自身も宣伝した結果、引っ込みがつかなくなり、怒っているのかもしれませんよ。
侘助 自国に帰った安倍総理は国会で「しきしまの大和心の雄々しさは」とプーチンさんに吠えたのかもしれないな。
呑助 自分には政治家としての力がないんだとは思わないんですかね。
侘助 プーチンさんと安倍総理じゃ、政治家としての力量からいって柔道八段と初段ぐらいの差があるのじゃないのかな。
呑助 プーチンさんはソ連崩壊という厳しい現実を立て直した強者という印象がありますね。見るからに怖そうな人ですよね。
侘助 西側の手厳しいジャーナリストと即興でプーチンさんは渡り合っているというからね。それに比べて安倍総理は事前に質問事項を聞き、その解答を補佐官が書き、それを読むことしか安倍総理はできないみたいだからね。プーチンさんのように韓国や北朝鮮、ロシア、中国のジャーナリストと生で会見し、厳しい質問に答えられるかというと、安倍さんはどうなのかな。
呑助 国会答弁を聞いていると野党の質問にまともに答えていないですね。質問されたことと全然違うこと、自分が言いたいことを言う。そんな感じがしますね。
侘助 日本人としてもっと力量のある有能な政治家が出て来てほしいと思うよね。言葉だけ、威勢はいいが、嘘だらけというのはいかがなものかと思うよね。アンダーコントロールという嘘もあったし、サンゴは移し替えたという嘘もあったようだからね。
呑助 ウソは駄目ですよね。
侘助 総理大臣が嘘を言う。これは致命的だよね。
呑助 自公政権が変わることがあったら安倍総理が逮捕されることはないですかね。
侘助 韓国では元大統領が逮捕されているからね。最近では「韓国最高裁が朴槿恵(パク・クネ)前政権の意向でいわゆる徴用工訴訟の確定判決を故意に先送りしたとされる疑惑で、ソウル中央地検は24日、職権乱用などの疑いで、前最高裁長官の梁承泰(ヤン・スンテ)容疑者(70)を逮捕した。最高裁長官経験者の逮捕は初めて。「ソウル=桜井紀雄」が報じている。
呑助 森友・加計問題で安倍総理は税金を不正に流用したと言うような疑いで検察が逮捕する。こんなことは日本では起きることはないでしようね。多分。そうですよね。

醸楽庵だより  983号  白井一道

2019-01-30 14:44:26 | 随筆・小説


  野党政権を期待する


侘助 2019年は選挙の年になるようだ。
呑助 7月に参議院選挙があるそうですね。
侘助 野党が結束すると自公候補者に勝つことができる。問題は野党が結束できるか、どうかという問題かな。
呑助 前回の衆議院選挙の際に民進党は血迷ったのか、解党してしまいましたね。
侘助 前原誠司議員が血迷い、民進党を破壊してしまった。
呑助 小池百合子東京都知事に未来があるとその光に目が眩み、現実が見えなくなってしまったといことなんですかね。
侘助 今から思うと愚かなことをしたなと思うが、政治の世界は一寸先が闇だと言われているから見えなくなるということがあるのだろうな。
呑助 前原氏はもう過去の人になってしまいましたね。
侘助 前原氏の政治生命は終わったということなんでしよう。
呑助 政治家は民意を背負う仕事をする人ですよね。民意を見損なったということなんですかね。
侘助 民意は絶えず動いていくもののようだからね。民意はまず平和がいつまでも続いて行くことを願っている。だから自民党も国民の平和な生活を実現するためにアメリカからF35戦闘機を購入して国の安全を守ると言っている。
呑助 軍事力が平和を守ると考えている人が未だに大勢いるんですね。
侘助 本当に大勢いるようだ。だから自民党を支持する人がいる。軍事力が日本の平和を守ると思う人の民意がある。しかし軍事力では平和を守ることができないと考える人がいる。そのような人の民意がある。
呑助 国民にとって生活が苦しくなっていくのは嫌だというのが一番大きな民意なんじゃないですかね。それはどこの国も同じなんじゃないですかね。
侘助 勿論、そうだよ。だから消費税を10%に増税するのは止める。これが民意だよ。
呑助 だから自民党もなかなか消費税増税ができないということなんですね。
侘助 国は1,000兆円も借金を背負って何百億円もする軍事装備品を買っている。軍事品は国民の生活を豊かにすることはない。軍事品を買うことは国民の生活を貧しくする。ここに矛盾が出てくる。
呑助 野党はアメリカから軍事品を爆買しないといっているんですよね。
侘助 そのようだ。
①10月からの消費税10%増税はしない。
②米国製兵器の大量購入などの大軍拡はしない。
③沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設は取りやめる。
⓸原発ゼロを実現する。野党はこの4点で一致していると述べている。
呑助 野党が政権を取った時には、この四つの課題を実現するということですか。原子力発電所で働く人たちの労働組合は原発0政策に賛成できるんですかね。
侘助 電力組合の組織候補もいるだろうからね。しかし原子力発電所に働く労働者にとっては関係ないように思う。原子力発電所の稼働を止めても解体工事には何十年間もかかると言われているから仕事がなくなるということはないと思うな。
呑助 国民民主党の中にはそうした組合の組織候補者がいるんでしょ。
侘助 朝日新聞デジタル版によると(連合会長の)神津氏は(自由党党首小沢一郎と)会談後、朝日新聞の取材に対し、「参院選に向けて統一名簿など野党が力を合わせて闘うことを改めて確認した」と述べた。以上のように報じている。
呑助 立憲民主党は社民党と、国民民主党は自由党と衆参両院で統一会派を結成したんですかね。
侘助 「本通常国会において、野党5党1会派は協力連携を強め、立憲主義の回復や、また国会の国権の最高機関としての機能を取り戻し、国民の生活を豊かにし権利を守るため、安倍政権打倒をめざし厳しく対峙(たいじ)していく」と言っている。
 野党の政権を期したいな。

醸楽庵だより  982号  白井一道

2019-01-29 12:35:24 | 随筆・小説



  韓国、在韓米軍駐留経費増額を拒否


侘助 在韓米軍駐留経費を巡って昨年の3月から10回交渉しているが、韓国は在韓米軍駐留経費の増額要求を拒否しているようだ。
呑助 韓国は凄いですね。アメリカから要求されて、それを拒否する。度胸がありますね。文在寅大統領は肝が据わっていますね。
侘助 日本の安倍総理とは政治家としての器が違うのかな。「時事ドットコムニュース・デジタル版」は次のように報じている。2019年1月27日、負担増めぐり交渉難航=トランプ氏意向に韓国反発-米軍駐留費。
在韓米軍の駐留経費負担に関する米韓交渉は昨年3月に始まり、これまで協議が10回開かれた。12月のソウルでの協議を最後に交渉は越年し、負担額を定めた協定締結のめどは立っていない。
  米韓メディアによると、米側は当初、現在の韓国側負担の2倍近い年16億ドル(1750億円)を要求したが、反発を受けて12億ドルに減額した。昨年末にはハリス駐韓米大使が鄭義溶国家安保室長と非公開で会談。韓国紙・東亜日報によれば、ハリス氏は最低でも10億ドル(1兆1300億ウォン)を求め、鄭氏は拒否したという。
  米側はさらに、5年ごとだった交渉時期を1年ごとにするよう要求。韓国側は「3~5年」の線でまとめたい考えだ。韓国では米側の要求について、トランプ氏の意向が強く反映されているとする見方が根強い。
  韓国政府は昨年、駐留経費全体の約半分を占める約9600億ウォンを拠出。また、昨年6月の在韓米軍司令部の移転に当たり、総費用約110億ドルの9割を負担した。
呑助 今まで韓国は朝鮮民主主義人民共和国や中国が怖かったので米軍に韓国を守ってもらうために駐留してほしいとお願いしていたんですかね。
侘助 反共主義の韓国支配層がアメリカにお願いして米軍の駐留経費を出していたんだろうな。
呑助 日本も同じようなことなんですかね。日本の反共主義の支配層がアメリカにお願いして駐留経費を出して米軍に駐留していただいているということなんですかね。
侘助 1978年(昭和53年)、時の防衛庁長官・金丸信が、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部(62億円)を日本側が負担するようになってからは、日本側がアメリカに米軍駐留をお願いするようになったのかもしれないな。
呑助 1978年まではそうじゃなかったということですね。
侘助 第二次世界大戦後、欧米の支配層は日本が社会主義化するのを恐れていたからね。アメリカには日本を東アジアにおける反共の基地にする政策があったからね。安倍晋三氏の祖父、岸信介はアメリカCIAからの資金を得て、自民党の総裁になったと言われているくらいだから、アメリカは日本にお金を落とし、米軍が駐留し、日本の社会主義化するのを阻止してきた。日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本経済が復興し、GDP世界二位の大国になった。一方アメリカは共産主義、社会主義撲滅のための戦争を世界中で行い、お金を使い果たしてしまった。アメリカと核軍拡競争をしたソ連は崩壊し、アメリカもまた経済力が疲弊してしまった。20世紀は革命と戦争の時代だった。冷戦を戦ったソ連は崩壊し、アメリカも覇権を失おうとしている。情けないことにアメリカは韓国に対して米軍駐留経費の増額をお願いするような状況になっている。アメリカの日本への対策は世界の平和という美名のもとに社会主義化する国々の社会主義化を阻止するための戦争に協力させる態勢を整えようとしている。在日米軍駐留経費は勿論海外への日本の自衛隊を派遣させ、米軍の負担、経費を節約しようとしている。
呑助 安倍政権はアメリカ政府の意を酌んで積極的に米軍駐留をお願いし、自衛隊を米軍の配下にしているということですか。

醸楽庵だより  981号  白井一道

2019-01-28 14:25:19 | 随筆・小説



 風かをる羽織は襟もつくろはず   芭蕉




句郎 今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によると芭蕉は元禄4年6月1日(新暦6月26日)、曽良・去来・丈草らと石川丈山詩仙堂を拝観している。「丈山之像ニ謁ス」と前詞を置き、この句を詠んでいる。
華女 詩仙堂は今でも観光の名所ね。近くに曼殊院があるわ。
句郎 宮本武蔵が吉岡一門と決闘をしたという伝説がある一条寺下り松の近くに詩仙堂はあるよね。
華女 若かった頃、あのあたりを巡り歩いたことがあるわ。芭蕉も庭を見学し、座敷に座って薄茶などを啜ったのかしら。
句郎 狩野探幽が描いたと言われている「石川丈山像と向かい合い詠んだ句が「風かをる羽織は襟もつくろはず」だったのかな。
華女 「風かをる羽織は襟もつくろはず」は芭蕉の丈山像だったということね。
句郎 薫風を愉しむことができるならそれで満足と、いうことかな。
華女 ゆったりと自分の生活を楽しんでいるということね。
句郎 芭蕉も俳諧師仲間と詩仙堂を拝観させていただくだけで満足だという気持ちがこのような句を詠ませているのじゃないかと思うな。
華女 江戸時代は身分制社会なのよね。芭蕉の身分は農民よね。曽良は伊勢長嶋藩に仕えた武士身分よね。丈草の出自は何だったのかしら。
句郎 出身身分ということかな。
華女 そうよ。
句郎 丈草は尾張犬山藩士内藤源左衛門の長子として生まれているから、武士身分かな。
華女 曽良も丈草も身分としては武士よね。牢人しているといっても武士と農民とが連れ立って石川丈山の山荘詩仙堂が見物できたということは身分としては武士が二人いたからなのかもしれないわ。
句郎 身分制社会であっても俳諧師という世界には身分差別が緩やかだったんじゃないのかな。
華女 芸能界には男女差別がないという話を聞いたことがあるわ。
句郎 現代社会の話かな。
華女 そうよ。芸能人の社会よ。人気のある人が敬われる社会なんじゃないのかしら。人気があり、力のある女性は男性を手足のように使っているのよ。そこには女だからということはないみたいよ。
句郎 男だからという理由だけで敬われるということはないということかな。
華女 そうよ。男女平等の社会が芸能界なのよ。
句郎 俳諧師の世界は身分制社会の秩序外に生きている人々の世界だったんだろうからね。
華女 俳諧師だったから詩仙堂の見物ができたんじゃないのかしら。
句郎 単なる町人や農民だったら、そもそも詩仙堂など見物しようという気持ちなどないだろうからね。
華女 そうよ。俳諧師だからこそ、詩仙堂もまた見物を許したのじゃないのかしら。
句郎 座敷に案内され、庭を見ることができたのか、どうか分からないな。武士身分の高い方からの紹介があって初めて見物できたんだと思うよ。
華女 きっと身分の高い方からの紹介状を持参していたのよ。そのような紹介状なしには見物はできなかったと思うわ。
句郎 詩仙堂と懇意にしている人を芭蕉は知っていたんだと思う。それは誰なのかは分からないが。
華女 芭蕉は狩野探幽が描いた石川丈山を見て自分の人生に満足している姿をそこに発見し、感動したのよ。
句郎 「羽織は襟もつくろはず」と詠んでいる。漢字の羽織、羽織を着ている。漢字の襟、襟は正しているがつくろっていない。平仮名で書いている。この姿に芭蕉は自分の人生に満足している人間を見たのだと思う。
華女 芭蕉はきっと腰の低い人だったんだと思うわ。だから芭蕉にはたくさんの弟子がいたのよ。この弟子たちがたくさんいたからこそ芭蕉は芭蕉になったのよ。
句郎 そうなんだと思うな。

醸楽庵だより  980号  白井一道

2019-01-27 16:57:58 | 随筆・小説


  

 我宿は蚊のちひさきを馳走かな    芭蕉  元禄3年



句郎 元禄3年(1690)4月から7月まで、芭蕉は滋賀県大津市に門下の俳人菅沼曲水の伯父幻住老人が建てた草庵、幻住庵に滞在していた。そこに金沢からの客人があった。今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によるとその時の挨拶句がこの句ようだ。
華女 廃屋のようなところを借りて芭蕉が一時滞在していると金沢の方からわざわざ訪ねて来る俳人がいたということなのね。
句郎 その時の挨拶句の異
型の伝えられている。「わが宿は蚊のちひさきを馳走也」。「我」を「わが」と平仮名書きに、「馳走かな」が「馳走也」となっているもの。「我宿は蚊のちひさきも馳走也」。「蚊のちひさきを」の「を」を「も」に、「馳走かな」を「馳走也」としたもの、「わが宿は蚊のちひさきも馳走哉」。「我」を「わが」と平仮名書きし、「馳走かな」を「馳走也」と漢字書きにしている。
華女 芭蕉は漢字で書くか、平仮名書きにするか、考えていたのね。
句郎 俳句は初めから書い
たものを読み、読者は鑑賞するものとして生まれてきている。
華女 俳句は書かれたものを読者は読み鑑賞する文芸だということなのね。だから芭蕉は漢字で書くか、平仮名で書くか推敲しているということなのね。
句郎 俳句に対して和歌の場合は歌うのを聞いて鑑賞する。これが基本なんだと思う。和歌を継承している短歌は歌う詩なんじゃないのかな。俳句はひねる。短歌は歌う。「かな」を感じで書くか、平仮名書きにするかで考えている。
華女 俳句は詠んだものを読む文芸なのね。
句郎 その結果、芭蕉は「我宿」は漢字書きがいい。「かな」は平仮名書きがいいと最終的に決断した。漢字書きは堅い。平仮名書きは柔らかい。「我宿は」と、堅い調べで書き出し、「蚊」は明確に書き、「ちひさきを」とやわらかく書く。馳走とすっきり書く。「かな」とやわらかに書く。こうして五七五のリズムを整えた。
華女 「蚊のちひさきを」の「を」と、「蚊のちひさきも」の「も」とは、どのような違いがあるのかしら。
句郎 「を」と「も」の違いかな。蚊が小さいということは、まだ真夏の大きな蚊になっていないということをお客さんへのご馳走にする以外何もないそんな貧しい状態なんですよと、正々堂々表明し貧しさを笑って挨拶しているということが「を」とすることによって表現できるが、「も」とすると笑いにすることができない。蚊が小さいことまでもご馳走にせざるをえないということになる。貧しさに負かされてしまう。これでは俳句にならない。俳句は笑いだからね。
華女 「蚊のとひさきを」と詠んだ方が元気があるわね。
句郎 生き生きしているということかな。「も」じゃ、元気がでない。
華女 確かに「も」とすると萎れた感じかしらね。
句郎 「蚊のちひさきも」じゃ、元気が出ない。そんな感じがするかな。
華女 襤褸は着てても心は錦ということなのね。
句郎 町人や農民であっても堂々としている。それが平民の文芸だった。


醸楽庵だより  979号  白井一道

2019-01-26 14:30:25 | 随筆・小説



   己が火を木々の蛍や花の宿   芭蕉   元禄4年



句郎 初め、この句は何を詠んでいるのか、全然分からなかった。
華女 この句には大きな省略があるのよね。その省略が分からないと通じないのかもしれないわ。
句郎 何が省略されているのかな。
華女 芭蕉は読者を信じているのよ。省略されたものを読者は勝手に想像してくれると思っているのよ。句郎君は何が省略されていると思う?
句郎 木々にまとわりつい
て飛ぶ蛍は己が火を灯していると、いうことかな。
華女 そうじゃないわ。「木々の蛍や」の「や」は「は」を省略しているのよ。「己が火を木々の蛍は花の宿にしているよ」と言っているのよ。「己が火を木々の蛍は花の宿」じゃ、俳句にならないでしょ。だから「己が火を木々の蛍や花の宿」にしたのよ。そうなんじゃないかしら。
句郎 なるほどね。一種の擬人化かな。
華女 そうなのかもしれないわ。とてもきれいな句よ。「花の宿」という言葉
 が芭蕉は気に入ったのじゃないかと思うわ。
句郎 「花の宿」、綺麗な言葉だな。この言葉に芭蕉はこだわり過ぎたのかもしれないな。
華女 木々に群れる蛍を見た芭蕉は、これは花の宿だと思ったのよ。
句郎 蛍の花の宿だと芭蕉は思ったということか。
華女 芭蕉は仲間と連れ立って蛍見にいったんでしょ。
句郎 そのようだ。近江、瀨田の大橋付近は蛍見の名所だったようだから。
華女 芭蕉とその仲間は勢田に蛍見にいったのね。俳諧師だからそのような風雅なことができたのね。
句郎 当時、生活に余裕のあった者にとって夏の遊びといったらそのようなものしかなかったんだろ。生活に追われていた農民などにとって田んぼに飛ぶ蛍を見ても何も感じなかったんだろう。
華女 生活に余裕のある者にしか蛍の火の美しさは感じないということなの。
句郎 そうなんだ。日頃見慣れた夏の景色を見ても何も感じない。それがその地域に住む人間の感覚なんじゃないのかな。
華女 そうかもしれないわ。子供だった頃、一面の蓮華の花が咲いていたわ。それが当たり前の景色だった。大人になって特に感じるようになったわ。蓮華一面の花は綺麗だったなと感じたものよ。
句郎 そう。当時の人々にとって勢田に住む人々にとって何でもない普通の景色に他所から来た芭蕉はそこに美しいものを発見した。それが花の宿になった蛍の火だったということか。
華女 「己が火を木々の蛍や花の宿」。夏の夜のすっきりした美しさね。浴衣を着た少女の美しさよ。芭蕉が愛した美しさとはこのようなものだったのじゃないのかしらね。
句郎 そうだね。「一家に遊女も寝たり萩と月」という句にも全然艶めかしさのようなものはないな。
華女 そうよ。芭蕉の愛した美には艶めかしさはないよね。浮世絵のような透明感よ。
句郎 映像が表現されているね。俳句は鮮明な映像を言葉で表現し、読者の想像力を刺激する文芸なのかもしれないな。
華女 その映像に人間が表現されているね。

醸楽庵だより  978号  白井一道

2019-01-25 14:46:16 | 随筆・小説



  3・1万歳事件、今年は100周年の年


侘助 3.1独立運動、または万歳事件と言われている出来事があったことをノミちゃん知っているかい。
呑助 日本国内の事件なんですか。全然知りませんよ。いつの出来事なんですか。
侘助 朝鮮での出来事なんだ。
呑助 いつ頃の出来事なんですか。
侘助 1919年3月1日朝鮮で起きた出来事なんだ。
呑助 そんな100年も前の出来事が今また問題になってきているんですか。
侘助 朝鮮民族の日本からの独立を求める民族独立運動の始まりとして朝鮮人が記憶している出来事なんだ。
呑助 日本は朝鮮を植民地支配していたんですよね。
侘助 日本はいつから朝鮮を植民地支配するようになったのか、ノミちゃん知っているかい。
呑助 急に言われてもね。
侘助 日本にとって日露戦争の成果だったのかな。朝鮮の植民地化がね。
呑助 そうなんですか。日露戦争というのは外国の領土を奪うような戦争だったんですか。
侘助 そう、戦争とは外国の領土や富を奪うような強盗のようなことを国際的にするのが戦争だった。
呑助 他人のものをとるのは泥棒ですね。
侘助 そう、だからそのような戦争をしてはいけないという合意が国際的に第一次世界大戦後から生まれてくるんだ。
呑助 日露戦争は第一次世界大戦の前の戦争なんですか、それとも第一大戦後の戦争なんですか。
侘助 中学や高校で日露戦争について勉強したのじゃないの。
呑助 教わったような記憶がありますが、すべて忘れてしまいましたよ。
侘助 日露戦争は1904から1905年に終わった戦争なんだ。
呑助 じゃー、1905年から朝鮮は日本の植民地になったんですか。
侘助 いや、日本が朝鮮を植民地にしたのは1910年のことなんだ。
呑助 日本はロシアと戦争し、朝鮮を植民地にしたとワビちゃん言ってなかったですか。
侘助 当時の日本政府は様子を見ていたんだ。すぐ朝鮮を日本が植民地にしたら欧米諸国から文句をいわれないかと、様子を見ていたんだ。
呑助 あー、なるほどね。イギリスやフランスが日本は横暴だと言われりゃしないかと、いうことですか。
侘助 思い切って朝鮮を植民地支配する決断をしたのが伊藤博文だった。彼は日本の韓国統監府初代統監だった。伊藤博文は1909年10月26日、ハルビンを訪問した。そこで事件が起きる。伊藤博文はハルビン駅頭で安重根が放った短銃3発で射殺された。
呑助 伊藤博文は暗殺されたんですね。朝鮮を植民地支配しようとする人間を殺せば、朝鮮は日本の植民地支配を逃れることができると考えたんでしようかね。
侘助 まあー、現実は統監一人暗殺すれば植民地にならずに済むというようなものじゃない。翌年、日本は朝鮮を植民地支配をするようになる。
呑助 安重根の精神を継承して延々と朝鮮独立運動は続いていくんですね。
侘助 そうなんだ。第一次世界大戦中の1917年ロシアで革命が起き、ロマノフ王朝が倒れ、ロシア革命政府が一方的にドイツ帝国との講和をしてしまう。ロシアに習ってドイツにおいても革命が起き、革命政府が英仏に対して敗戦を受け入れ、ここに第一次世界大戦が終わる。ロシア革命政府の指導者レーニンは「平和に関する布告」を発表する。この中で「無賠償(敗戦国から賠償金を取らない)、無併合(敗戦国の領土・国民の併合をしない)による即時平和」を実現するための交渉をただちに開始することを呼びかけた。あわせて民族自決の原則を掲げた。このロシア革命の影響のもとに朝鮮で起きた出来事が1919年3・1独立万歳事件なんだ。日本では1918年米騒動が起きているからね。世界史的事件だった。
呑助 今なぜ3・1独立万歳事件が現代的な問題になってきているんですか。
侘助 今年2019年は3・1事件100周年を記念する年になんだ。この記念日を韓国と朝鮮民主主義人民共和国とが一緒になって祝おうとしている。朝鮮人にとってはいいことなのではないかと思うが日本政府にとっては、必ずしも喜ばしい出来事ではないようなんだ。日本政府にとって近しかった韓国が遠い国になっていくように日本政府は感じているのではないかということなんだ。

醸楽庵だより  977号  白井一道

2019-01-24 15:42:24 | 随筆・小説



  芭蕉『嵯峨日記』より「一日一日麦あからみい啼く雲雀」  元禄4年


句郎 「一日(ひとひ)一日麦あからみて啼く雲雀」『嵯峨日記』に載せてある。芭蕉は旧暦の四月二三日(新暦五月二〇日)、落柿舎でこの句を詠んでいる。今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によるとこの日は「終日来客なし」とある。この日、芭蕉は次の6句を詠んでいる。
「夏の夜や木霊に明くる下駄の音」
「手を打てば木霊に明くる夏の月」
「竹の子や稚(おさな)き時の絵のすさび」
「麦の穂や泪に染めて啼く雲雀」
「一日一日麦あからみて啼く雲雀」
「能なしの眠たし我を行々子」
  来客のない一日、嵯峨野を歩き、発句をひねって楽しんだ。その成果が以下の6句だった。
華女 落柿舎の客人であった芭蕉の接待をしてくれる人はいたのかしら。
句郎 いたのじゃないのかな。去来は医者だったからお金持ちだったんじゃないのかな。
華女 落柿舎は去来の別邸だったんですものね。
句郎 朝ごはんの前に芭蕉は落柿舎のまわりを歩き回ったんじゃないのかな。落柿舎のまわりに人通りがあることを知り、昨晩足音を聞いたことを思い出し詠んだ句が「夏の夜や木霊に明くる下駄の音」だったのかもしれないな。
華女 林の中の静かさが表現されているわね。
句郎 「手を打てば木霊に明くる夏の月」。この句も夏の夜の静かさかな。
華女 「木霊に明くる」という言葉が芭蕉は気に入ったのね。
句郎 「木霊に明くる」と言ったところに芭蕉の手柄があるように思う。
華女 そうよ。普通だったら、擬音語を書くかもそう。それを下駄の音が木霊になると述べ、静かな夜を芭蕉は表現しているのよ。
句郎 嵯峨野には大きな竹藪が江戸時代からあったんだな。竹藪の中の細い道を歩き回り、芭蕉は子供の時に竹の子を写生したことを思い出している。
華女 「竹の子や稚(おさな)き時の絵のすさび」ね。竹の子の絵を夢中になって書いて遊んだ子供の頃を芭蕉は思い出しているのね。
句郎 芭蕉は絵を描いたり、見たりするのが好きだったんだろう。多分ね。だから画賛の句もある。
華女 「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」が有名な画賛の句ね。
句郎 芭蕉は発句と絵とに共通ものがあるということに気づいていたのかもしれないな。
華女 私は確かに俳句と絵には共通するものがあると思うわ。何を表現するかということよ。
句郎 絵も俳句も表現するものは一つということかな。
華女 そうなんじゃないの。一つのものなのよ。一つのもの、一つの事を表現するのよ。「麦の穂や泪に染めて啼く雲雀」。この句は「一日一日麦あからみて啼く雲雀」の句の発案だったのかしら。
句郎そうなんじゃないのかな。「麦の穂や」の句を推敲し、「一日一日麦あからみて啼く雲雀」になった。
華女 「麦の穂や泪に染めて啼く雲雀」。この句は何を詠んでいるのかしら。
句郎 旧暦でいう4月23日はすでに夏、麦の穂は実っている。泪に染めて雲雀は何を啼いているのかというと春が行ってしまったということのようだ。だから季語「麦の穂」を詠んでいないことを芭蕉は気づいて「一日一日麦あからみて啼く雲雀」としたんじゃないのかな。
華女 「一日一日麦あからみて啼く雲雀」。この句は雲雀を詠んでいるのよね。
句郎 雲雀に焦点を絞った句が「一日一日」だったんだろうね。
華女 「永き日も囀たらぬ雲雀かな」。雲雀を詠んだ句では、この句の方が雲雀を詠んでいるように思うわね。
句郎 今では、「永き日」も「囀り」、「雲雀」すべて季語になっているね。
華女 そうであっても全然気にならないわね。季重なりなんて感じないわ。「一日一日」の句は晩春の頃の昔の嵯峨野が偲ばれて素晴らしい句だと思うわ。麦の実りを喜ぶ気持ちが感じられるわ。

醸楽庵だより  976号  白井一道

2019-01-23 13:30:49 | 随筆・小説


  日ロ首脳会談 メディアの報道の違い



侘助 読売新聞の日ロ首脳会談についての報道を読むと安倍総理はロシアとの会談で健闘したという印象を受けるがアメリカ・ブルームバークの報道を読むと安倍総理はロシア・プーチン大統領にに日本の期待は挫かれたと書かれている。
呑助 ブルームバークの報道を国際社会は読んでいるんでしょうね。
侘助 結論的に言うと、日本は北方領土の返還実現の道をまたもや阻まれたということのようだ。
読売新聞の報道とブルームバークの報道を読み比べてみたい。
ブームバークの報道
安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領は、領土問題の解決に向けてモスクワで会談した。膠着(こうちゃく)状態の打開を目指す日本側の期待をロシア側がくじいた格好となったが、両者は交渉継続で一致した。
 プーチン大統領は22日、安倍首相との会談後に記者団に対し、会談はビジネスライクで建設的なものだったと評価。一方で「大変な作業が控えている」と述べ、解決策は日ロ相互の国民にとって受け入れ可能なものでなくてはならないとの認識を示した。
 安倍首相は「率直かつ真剣に平和条約を議論した」とし、2月のドイツ・ミュンヘンでの国際会議で両国外相が交渉を継続すると語った。
 会談後にロシア大統領府のペスコフ報道官は「相互の信頼感を強化することが必要だ」と発言。「その実現に向け最善の道は、あらゆる可能な分野で貿易と経済の協力を進めることだ」と主張した。
 両者の会談について、ロシアの元駐日大使で副外相を務めた経験があるアレキサンダー・パノフ氏は、安倍首相には時間がなくなりつつあり、同首相が平和条約を締結できなければ日本には誰も問題解決に取り組もうとする政治家はいないだろうと指摘。プーチン大統領にはそのようなプレッシャーはないとし、「平和条約の交渉は長くなることがいまや明白だ。領土問題をいつ解決できるかは誰にも分からない」と語った。
原題:Putin Warns Abe of Hard Work Ahead to Resolve Islands Dispute(抜粋)
--取材協力:Isabel Reynolds.
記事に関する記者への問い合わせ先:ベオグラード Ilya Arkhipov iarkhipov@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先:Gregory L. White gwhite64@bloomberg.net, Tony Halpin
読売新聞の報道
【モスクワ=梁田真樹子、畑武尊】安倍首相とロシアのプーチン大統領は22日午後(日本時間22日夜)、モスクワのクレムリン(大統領府)で会談し、日露の平和条約交渉の本格化を確認した。条約締結に向けた関係強化の一環として、今後数年で両国の貿易額を現在の1・5倍、少なくとも300億ドルに引き上げることで一致した。
 両首脳による会談は昨年11月から3か月連続で、通算25回目。会談は約3時間行われた。
 両首脳は、2月にドイツで行われる国際会議に合わせて交渉責任者の両国外相による会談を行い、交渉を前進させるよう指示した。
 終了後の共同記者発表で、首相は「相互に受け入れ可能な解決策を見いだすための共同作業を私とプーチン氏のリーダーシップの下で力強く進めていく。その決意を確認した」と強調した。プーチン氏は「両国は平和条約に署名することに関心があると確認した」と述べた。両首脳は平和条約交渉の詳細への言及を避けた。
2019年01月23日 01時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun


醸楽庵だより  975号  白井一道

2019-01-22 12:45:58 | 随筆・小説


  大寒の朝


 大寒の朝である。「いつ寒に入りしかと見る陽ざしかな」。星野立子の句を思い出させるような朝日を受けてごみ置き場に向かった。
 一列になった小学生が登校する。小学生と一緒にごみ置き場までの2、30メートルを歩いた。ごみ置き場は県道の横断歩道脇にある。横断歩道には小学生の交通安全補導員が制帽と制服を着て黄色の旗を持ち、立っている。
 定年退職後生ゴミを朝、指定されたごみ置き場まで持っていくことが私の仕事として定着している。年恰好が同じぐらいということなのか、交通安全補導員が私に話かけるようになってもう十数年がたったようだ。
 小学生が安全に県道を渡りきるのを確認すると補導員が私に話かけてきた。今年3月末に交通安全補導員を辞めることにしました。家内が屋敷から県道に出る深い側溝に落ち、手首を折ってしまったんですよ。県立病院で手術をし、骨を補強するものを入れ、終えたんですがね。家事ができなくなり、私が全面的に家事全般をしなくちゃならなまなったんです。私には三人の子供がいます。娘は結婚し、家をでています。長男も次男も家を出て一家を構えているんです。家は私と妻の二人きりなんですよ。ボランティアを辞めてくれと家内に懇願されましてね。実はもう4年前から言い続けられていたのです。今回は娘に強くお母さんの面倒を見てねと、言われましてね。
家内には何とか断ることができても、娘に強く言われると断り切れなくなりましてね。とうとう三月をもって交通安全補導員を辞める決断をしました。この県道の交通安全補導員を14年しました。朝、7時20分から7時50分まで朝の補導員をしました。
この近くの人とも知り合いができ、小学生のお母さんとも話ができるようになったんですが、残念です。
このような話を聞いた。私だったらこのような交通安全補導員をしないだろうなと、思った。年一回、市の交通安全協会から謝金が出るという話だった。小学校の卒業式には来賓として迎えられ、教職員、父母らの代表者から感謝の言葉をいただくようだ。
彼はどんなに寒い朝であっても交通安全補導の場所に出向くことが億劫だと思ったことはないと常日頃話していた。俺には仕事があると思うだけで元気がでるという。朝、顔を洗い、髭を剃り、制服を着る、制帽を被ると体に力が籠るという。75歳までは思ってきたがやむなく、一年前倒しで辞めることになりしたと元気な声で話してくれた。
彼は市役所職員として40年近く勤め定年退職後は交通安全補導員として14年間務めたようだ。健気にひたむきに市民に尽くす人生をおくった。
私は彼の話を聞き、柳田国男の常民の文化を思った。地域の文化というものは彼のような人々が担ってきたのだということを思った。まったく損得を考えることなく、人の役にたつことを無償で引き受けていく人々がいる。このような人々が公共財というものを築いていく。そのようなことを実感した。日本の文化を支えてきた常民の姿に触れた今朝のゴミ出しだった。