醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1535号   白井一道

2020-09-30 12:46:14 | 随筆・小説



   高校の部活動顧問を務める教職員には土・日・祭日がない 
 


 ある公立高校のバスケット部の顧問には年間、休める日は正月・お盆の二日だけである。このような話を聞いたことがある。またある公立高校の野球部顧問をしている日本史担当の教員は採用された時から休んだ日がないという話を聞いた。その彼は地元の高校の野球部出身である。大学は早稲田大学に進学した。もちろん野球部に入部した。しかし四年間、六大学野球部公式戦に出場した経験はない。早慶戦の華やかな舞台を経験することはなかった。四年生になってもグランドでトンボを曳いて、整備することもあった。甲子園野球で名前を得た学生は一年生の時から早慶戦の公式戦に出場する。その光景を見て、四年間野球部に在籍した。グランド整備などすることもなく、華やかな女子の子が合宿所に迎えに来ると車に乗って遊びに行く姿を見て、四年間過ごした。
 四年生になると野球部監督から就職はどうすると聞かれた。私は郷里に帰り、地元の公立高校教員になり、野球部の顧問になるつもりですと話すと、お前の郷里には何人もの先輩がいる。早速話しておこうと、いうことになった。自分自身も出身高校の野球部監督であった恩師に連絡をとった。恩師は喜んで採用を引き受けてくれた。恩師もまた早稲田大学の野球部出身の公立高校社会科の教員であった。
 県高等学校野球連盟としての推薦を受け、公立高校教員採用試験を受けると見事、合格した。合格するとある高校の校長から連絡があり、県立高校の教員として正式採用となり、四月から社会科日本史の教員となると同時に野球部顧問を命じられた。
 大学の監督に報告すると喜んでくれた。優れた選手を育て、是非大学に推薦するよう依頼された。彼が配属された公立高校は野球が盛んな高校ではなかった。野球の監督の成り手のいない高校であった。そのような高校が彼の希望でもあった。自分の力でこの高校の野球部を強くしたい。この高校の野球部から早稲田大学の野球部に進学させられるような生徒を育てたい。これが夢であった。かれは誰よりも早く午前6時には学校に付く。授業の始まる前に朝練習を見守る。午後4時にはグランドに出て、練習を見守る。土曜、日曜も野球の練習をする。夏休み中はお盆の時に一日のみ休暇を取った。冬休み中の正月元旦には野球部員全員に年賀状配布のアルバイト要請が郵便局からあるので、その郵便局に出向き生徒たちに事故のないよう注意を施し、アルバイト代は野球部費にいれるよう促す。野球部はお金がかかる。硬球が高い。練習試合にかかる費用がいる。バスを仕立て、道具を運ぶ。その費用を学校が全部負担してくれるわけではない。父母に負担を強いることもできない。強い野球部を実現するにはお金がかかる。野球部顧問が自らバスを買い求め、運転し、練習試合に行く教員がいるくらいだ。
 だから、部活動指導費として割増賃金を求めた句もなるわけである。
部活顧問、割増賃金求め提訴「生徒下宿、私生活なし」 朝日新聞社 デジタル版  2020/09/30

 長崎市の私立高校職員の50代女性が高校を運営する学校法人を相手取り、顧問として陸上部の活動の指導をした休日や時間外の割増賃金など計約1600万円の支払いを求める訴訟を長崎地裁に起こした。提訴は10日付。
 訴状によると、女性は2014年度に陸上部の外部コーチになり、15年度から高校の事務職員として労働契約を結んだ。各部の顧問には特待生の枠が割り当てられ、女性は休部状態だった陸上部を再建するため離島などから生徒を勧誘。15年度以降、最大で3人を自宅に下宿させたうえで午前5時から食事をつくり、送迎も担当。「私生活の時間もほとんど持つことができない、休日も問わない」と訴えている。
 学校法人の職員給与規定では時間外や休日に働いた場合、実労働時間に基づく割増賃金を計算して支払うことになっているが、女性には「超勤手当」として月1万4千円弱が定額で支給されていたと主張。18年度から2年分の未払い割増賃金約905万円と、制裁金として付加金約674万円の支払いを求めている。
 学校法人の担当者は取材に対し、「弁護士と協議し、主張すべきところは主張していきたい」と話した。
 公立校の教職員は給与特措法により時間外手当や休日手当は支給されず、月給の4%にあたる額が上乗せされている。(榎本瑞希)

醸楽庵だより   1534号   白井一道

2020-09-29 12:09:17 | 随筆・小説



 森崎映画の魅力



 社会の底辺に生きる人間に人間の本質を森崎映画は見ている。宣言に感動して小説「橋のない川」を書いたと住井すえ氏は述べている。この宣言の精神が森崎東の映画には生きていると私は感じている。宣言とは次のようなものである。
 
「長い間虐(いじ)められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、 多くの人々とによってなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を齎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの世の悪夢のうちにも、なほ誇りうる人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
 吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦はる事が何んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 はかくして生まれた。
 人の世に熱あれ、人間に光あれ。」
 大正十一年三月
 
お座敷ストリップの仕出しをしている新宿芸能社は大都市の繁華街、新宿の場末にある。そこには食い詰めた若者が生きる糧を求めて集まってくる。現代に生きる「」の一群である。これらの人々を一般社会に生きる人々は賤視するむきがある。その差別の中に生きる人々の物語が森崎東の映画である。私はそのように森崎東の映画を見た。森崎東の映画には宣言の精神が表現されていると私は理解した。その精神とは次のようなものだ。
長い間、我々を虐(いじ)めてきた者たちもまた虐められてきた人々なのだ。弱い者が更に弱い者だと見なされた者たちを虐めて来たのだ。人間としての尊厳を受けることのなかった者たちが更に弱い立場の人間の尊厳を打ち砕いて来たのだ。こうたし人間の哀しみの歴史の中に我々は生きているのだ。人間として尊重されることなく生きることを強いられてきたので、堕落してしまい、人間性を獲得することができなかったのだ。人は人を敬うことによって人間性を獲得することができるのだ。人は人を敬うことによって自分もまた人間性を獲得することができるのだ。
 人間は誰でも、自由、平等を心の底から願う者であり、自由、平等を実現しようとする者である。身分差別が当たり前である社会によって人間性を奪われた犠牲者が我々なのだ。人の嫌がる仕事を強制され、人の嫌がる仕事をしていることによって我々は差別され、貶されてきたのだ。暖かい心臓を引き裂かれ、その上に嘲笑の唾まで吐きかけられてきたのだ。このような悪夢の中にあっても、人間の心には誇りうる温かな血が流れているのだ。この血を受け継ぎ、人間が神に代わろうとする時が来ている。人間性を奪われた人々がその荊(いばら)の冠を祝福する時が来たのだ。
 新宿芸能社に寄り集まって生きる人々が誇り得る時が来たのだ。我々は新宿芸能社に寄り集まる人々を辱しめるようなことがあってはならない。そこに生きる人々を冒涜してはならない。人の世がどれほど冷たいのか、その冷たさを知っているからこそ新宿芸能社に寄り集まって生きる人々を労わることを知っているのだ。
 社会の底辺に生きる者であるからこそ、社会の底辺に生きる人々を敬うことができるのだ。すべての人間を敬うことのできる人間こそが真の人間なのだ。

醸楽庵だより   1533号   白井一道

2020-09-28 12:44:34 | 随筆・小説



 情報公開は民主主義の基本だ



 情報を秘密にすることは、民主主義に反する。国民が主権者であるのだから、社会を構成するすべての成人が、その政治決定過程に関与する権利を有するのは当然のことである。
 有権者から政策決定を委ねられた政治家から政策実施を委ねられた官僚は、いずれも委ねた人々の想定や期待に応えた行動をとらねばならない。政治家は国民に対して「説明責任(アカウンタビリティ)」が果たさねばならない。これが民主主義だ。日本は民主主義国家である。自民党政権は国民への説明責任(アカウンタビリティ)を果たさなければならない。情報公開は民主主義の基本だ。

 「アベノマスク」単価開示求め大学教授が提訴 「政策の妥当性検証」 大阪地裁 毎日新聞デジタル版

 新型コロナウイルス対策で国が全世帯に配った布マスクを巡り、納入業者との契約単価や発注枚数を開示しないのは違法だとして、上脇博之・神戸学院大教授が28日、国に開示などを求める訴えを大阪地裁に起こした。配布は安倍晋三前首相の肝いりで「アベノマスク」とも呼ばれたが、政策の効果や業者選定の不透明さが批判されてきた。上脇教授は「巨額の公金が使われた政策の妥当性を検証するために開示が必要だ」と訴えている。
 訴状などによると、国は4月以降、マスク不足を解消するため、約260億円をかけて全世帯に2枚ずつマスクを配布。厚生労働省は同月、野党の質問に対し、マスクを納入した3業者の名前と業者ごとの契約額を明らかにしたが、マスクの単価や発注枚数は公表しなかった。
 上脇教授は4~5月、業者選定の経緯や契約内容などが分かる文書の開示を厚労省などに請求。国は7~8月、契約書や見積書などの一部を開示したが、「今後の価格交渉に支障を及ぼすおそれがある」などとして、マスクの単価や発注枚数は開示しなかった。
 上脇教授は訴状で、現在ではマスクが供給過多となっており、国が再び業者に大量のマスクを発注する可能性は低く、単価や枚数が明らかになっても不都合はないと主張。「発注方法や業者選定が適正だったかは国民の関心が高い」として、単価などの情報を開示しないのは違法だと指摘している。【藤河匠】

 「アベノマスク」の単価は143円 黒塗り非公表の文書で黒塗りし忘れか
                            立岩陽一郎 | 「インファクト」編集長

 巨額の税金を投入して1世帯に布製マスク2枚を配るというその政策が議論を呼んだ「アベノマスク」だが、一部の業者からのマスク1枚の価格が143円だったことが、政府が開示した文書で明らかになった。単価は非公表とされており全て黒塗りになっていたが、一部で塗り忘れが有ったと見られる。原告らは、価格を非公表にする理由は無くなったとしており、全面的な契約内容の開示を求める。
情報開示は神戸学院大の上脇博之教授が厚生労働省と文部科学省に対して行ったもので、8月27日に開示された文書では、マスクの単価は非公表とされ、該当する記述は全て黒塗りになっていた。
このため、上脇教授はきょう(9月28日)、大阪地方裁判所にマスクの単価の開示を求める訴えを起こすことにしているが、このうちの文部科学省が開示した文書に、「厚労省内に設置されているマスクチームから、業者との交渉により、単価が143円(税込み)になる連絡があり、4月17日に業者より見積書の提出があった」と記されていたことがわかった。
弁護団の谷真介弁護士が開示された文書を精査していて発見した。
文書には、「これに伴い、4月20日付けで変更契約を行うものである」とも書かれており、この契約におけるマスクの単価について文部科学省が厚生労働省に合わせて143円にしたことを伺わせる記述になっている。
一方で、文書では、マスクの総数や単価を示す部分が黒塗りになっているため、谷弁護士は、「黒塗りをし忘れたのではないか」と話している。
上脇教授と弁護団は143円が全てのマスクの価格なのか確認する必要が有るとしており、一部でも金額が明らかになった以上、国がマスクの単価を非公表にする理由は無くなったとして、裁判で全面的な契約内容の開示を求めることにしている。

醸楽庵だより   1532号   白井一道

2020-09-27 06:28:45 | 随筆・小説



  
 安倍政治とは何だったのか



 安倍晋三前首相の政治は世界史の流れに逆行するものであった。世界は平和に向かって進んでいる。平和を東アジアに実現しようとする政治が世界史の流れに沿うものである。その流れに逆行したのが安倍政治であった。国民の生活向上のためにお金を使うのではなく、米国から軍需品を爆買いするためにお金を使った。国民の生活を少しずつ厳しくしたのが安倍政治であった。日本国民の生活を豊かにすることが日本経済を活性化し、成長する。国民の生活が厳しく、より貧しくなると経済は停滞し、成長がなくなる。
「引きこもり国家」へと進む日本
コ・ミョンソプ
 米国の政治学者サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、世界の文明圏を8つに分けて考察した。興味深いのは日本を東アジア文明と区別して独自の文明に設定したという事実である。他のすべての文明が複数の国家を含んでいるのに反して、日本は文明の単位と国家の単位が一致する唯一の文明であるとハンチントンは言う。「文化と文明の観点から見る時、日本は孤立した国だ」。ハンチントンの診断には一定の真実が含まれている。日本は中国と韓国から儒教・仏教の影響を受けたが、同時に神道という固有の宗教体系の下で明治維新以前まで文化的に孤立した世界の中に留まった。明治維新後も事情は根本的には変わらなかった。一方で西欧の近代文明を受け入れ、他方では神道を国家宗教に昇格させてその頂点に「天皇」を置くことで、過去の遺産をむしろ強化した。この天皇崇拝宗教を全面に掲げ、日本は東アジアを侵略し太平洋戦争を起こした。
 ハンチントンが診断した日本の文化的特性は、21世紀に入り再び強化されている。平和憲法を持って世界に向けて腕を広げた日本が、集団的妄想に捕らわれたように自分の中に入り込み退行する姿が明らかになっている。こうした逆行の先頭に安倍晋三首相がいる。安倍の本心は、今年の8・15敗戦記念式で改めて明らかになった。安倍は2012年の第二次執権以後、7年間一度も侵略と戦争の加害者としての責任を認めず、日本国民の「犠牲」だけを称えた。反省とお詫びの言葉は一言も言わなかった。A級戦犯を祀る靖国神社に過去と違うことなく供物を捧げた安倍の後に従う極右政治家50人が、靖国を訪れて過去の栄光に向けて参拝した。自分の行為が生んだ過誤を認め、そこに責任を負うことが成熟の証とするならば、日本政治こそ成熟の入り口から果てしなく滑落する未成年状態にとどまっている。
 安倍は2006年に『美しい国へ』という本を発行し、政治的ビジョンを明らかにしたことがある。執権以後、平和憲法を変えて日本を戦争する国にしようとあらゆる努力を尽くすのを見れば、安倍が思う「美しい」という観念の中には、日露戦争直後や満州事変直後のように大陸侵略と世界制覇に向けて旭日昇天したその時代の日本が入っているようである。しかし、安倍が「美しい国」に向けて進むほど、日本は「美しい国」から遠ざかる。戦争することができる「正常な国家」に向かって進むほど、正常性から離脱して孤立に陥る。これが安倍暴走の逆説である。安倍は自分が美しい国を作ろうと奮闘していると思っているかもしれないが、安倍が自己流の「美しさ」を得ようと闘争すれば闘争するほど、日本は美しさとはほど遠い所に追いやられている。正直であることもできず、自己省察もなく民主的でもない国が、人類普遍の共通感覚が認める「美しい国」になることはできない。
 安倍の日本は、インド太平洋戦略を前面に掲げ、米国と手を取り合い、インドを引き入れて、中国を包囲しようとする。しかし、このような軍事的野心を抱くからといって、安倍の日本が国際社会で尊敬される国に昇ることはできない。過去の過ちを生んだ精神構造を解体して再編しない限り、幻想の中でインド太平洋を疾走しても、現実では矮小化の道を脱することができない。安倍の暴走の終りには、ハンチントンの診断が暗示するように「ひきこもり国家」日本、「孤独な人の国家」日本があるだけだ。安倍の退行を阻止しなければ、日本は真の正常な国家になることはできず、世界普遍の道徳的一員になることもできない。安倍の暴走は韓国には経済的脅威だが、日本国民にははるかに根本的な脅威である。日本国民が目覚めなければ、日本は安倍の妄想とともに永遠の未成年の孤立状態に閉じ込められるしかない。韓国国民の安倍反対闘争が持つ超国家的意義がここにある。一斉不買運動を軸とした韓国の反安倍闘争が日本国民の覚醒を促し、韓日の市民社会の共闘に上昇すれば、この闘争は東アジアに新しい平和秩序を創出する原点になれるだろう。

醸楽庵だより   1531号   白井一道

2020-09-26 07:47:30 | 随筆・小説



 元徴用工問題の解決は98年「日韓共同宣言」の精神に基づいて

「65年請求権協定への先祖返りでは日韓の友好は実現できない」                                                      内田雅敏さん(弁護士)

 植民地支配の清算問題を封じ込めた65年請求権協定
 韓国大法院が元徴用工への賠償を命ずる判決をなした時、1965年の日韓基本条約・請求権協定で解決済みと、裁判当事者の企業よりも声高にこの判決を批判したのが日本政府だった。元徴用工問題解決の鍵はこの辺りにある。
 類似の中国人強制労働問題で、花岡(鹿島建設)、西松建設、三菱マテリアルらが、それぞれの「企業哲学」に基づき、強制労働による加害の事実と責任を認め、謝罪、賠償をし、被害者・遺族らと和解したとき、当時の日本政府は、民間の問題として一切口を挟まなかった。各メディアも、和解を歓迎し、この問題の全面解決に向けて<次は政府が動き出す番だ>と主張した。
 然るに、韓国元徴用工問題については、日本政府は、当事者の企業による自発的解決を一切許さないばかりか、対抗策として輸出規制までした。歴史問題は経済制裁では解決できない。事態を悪化させるだけだ。
 日中の国交正常化をさせた1972年の日中共同声明は前文で、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に対し重大な損害を与えたことについて責任を痛感し、深く反省する」と日本の中国侵略について認めた。その意味では日中両国は、歴史認識を共有している。
 日韓の国交正常化をさせた65年の日韓基本条約・請求権協定では、日韓間では交渉開始の当初から懸案となっていた日本の韓国に対する植民地支配に関する反省も謝罪もなかった。日韓両国は、歴史認識を共有しないまま、米国の強い「指導」の下に国交正常化をした。65年協定は当初から火種を抱えていたが冷戦がこれを封じ込めてきた。
 須之部量三元外務省事務次官は、退官後だが、日韓請求権協定について「(これらの賠償は)日本経済が本当に復興する以前のことで、どうしても日本の負担を『値切る』ことに重点がかかっていた」のであって、「条約的、法的には確かに済んだけれども何か釈然としない不満が残ってしまう」と率直に語っている(『外交フォーラム』1992年2月号)。
 栗山尚一元駐米大使も、「和解――日本外交の課題 反省を行動で示す努力を」(『外交フォーラム』2006年1月号」)で、
 「……国家が過ちを犯しやすい人間の産物である以上、歴史に暗い部分があるのは当然であり、恥ずべきことではないからである。むしろ、過去の過ちを過ちとして認めることは、その国の道義的立場を強くする。(中略)
 このような条約その他の文書(サンフランシスコ講和条約、日中共同声明、日韓請求権協定等―筆者注)は、戦争や植民地支配といった不正常な状態に終止符を打ち、正常な国家関係を樹立するためには欠かせない過程であるが、それだけでは和解は達成されない。(中略)
 加害者と被害者との間の和解には、世代を超えた双方の勇気と努力を必要とする。それは加害者にとっては、過去と正面から向き合う勇気と反省を忘れない努力を意味し、被害者にとっては、過去の歴史と現在を区別する勇気であり、そのうえで、相手を許して、受け入れる努力である」と述べている。

1998年「21世紀に向けての日韓パートナー宣言」
 植民地支配に関する日韓の歴史認識の共有は1998年、金大中大統領・小渕首相による日韓共同宣言まで待たねばならなかった。同宣言は「日韓両国が21世紀の確固たる善隣、友好、協力関係を構築していくためには、両国が過去を直視し、相互理解と信頼に基づく関係を発展させていくことが重要である」、「小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。
 金大中大統領は、かかる小渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した」と述べる。同宣言は95年8月15日、戦後50年の節目に際し、植民地支配と侵略について痛切な反省と心からのお詫びを表明した村山首相談話を踏襲したものである。歴代政権は村山首相談話を踏襲してきた。
 このように植民地支配の不当性について認識を共有している今日の日韓関係では、安倍政権が「一歩も引かない」としている65年協定は、すでに克服され単独では存立しえない。
 韓国元徴用工問題の解決は、65年日韓基本条約・請求権協定に先祖返りするのでなく、これを補完・修正した98年日韓共同宣言に基づき、「過去を直視し」、当該各企業の自発的な解決に委ねられるべきだ。
捕虜酷使・虐待の賠償を規定したサンフランシスコ講和条約第16条
 サンフランシスコ講和条約第14条は日本の戦争賠償を免除しているが、他方で、捕虜の酷使・虐待については日本政府の賠償義務を認めている。同条約第16条[捕虜に対する賠償と非連合国にある日本資産]は以下のように述べている。
 「日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に償いをする願望の表現として、日本国は、戦争中中立であった国にある又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国およびその国民の資産又は、日本国が選択するときは、これらの資産と等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし、同委員会はこれらの資産を清算し、且つ、その結果生ずる資金を、同委員会が衡平であると決定する基礎において捕虜であった者及びその家族のために適当な国内機関に対して分配しなければならない。」
 法律用語特有の「悪文」だが、その趣旨は、戦争相手の連合国以外の国にあった日本国、日本国民の資産を処分して、これを酷使・虐待された連合国軍捕虜に対する賠償に使いなさいというものだ(連合国内にあった日本の資産はもちろん没収)。
 この規定は、14条による賠償免除の例外規定だが、ポツダム宣言第10項前段「われ等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えられるべし」を受けてのものであり、酷使・虐待された連合国軍捕虜らは、賠償免除に納得できず、彼らを宥めるために設けられた例外規定だ。
 この規定によりイギリス軍、オランダ軍の元捕虜らに対していくばくかの「賠償金」が支給されたが、その額はわずかのものであったようだ。
 これに関連して、村山政権以降、外務省の所管で元捕虜・遺族らを日本の故地(強制労働させられた地)に招いての「平和友好交流事業」が行われており、来日した元捕虜・遺族らはずいぶん気持ちを和らげて帰国されているようだ。2020年8月22日付朝日新聞は、「今は日本を許す、でも忘れない」という見出しで、戦時中、日本軍の捕虜として,泰緬鉄道建設現場で、強制労働させられた元オーストラリア軍兵士キース・ファウラーさんからの聴き取り記事を掲載している。
 苛酷な労働、粗末な食事、仲間が次々亡くなった。ただただ日本を憎んでいた。しかし、数年前、日本の外務省の交流事業で日本に招かれ、市民交流で経験を語った後、若い女性4,5人に囲まれた。「私たちに何がおきたのかに関心を共感し、悲しんでくれた。自分は日本兵の日本を知るだけだった、日本に来て、違う考え方をする新しい世代を知った。」「今は日本を許せる。でも忘れない。ただ、許さなければ、過去を乗り越えられないと思えるようになった。」と語った。こうした取組みがなされ、こうした取組みがなされていることがもっと知られるべきだ(内海愛子恵泉女学園大学名誉教授)。
 元徴用工・遺族らに対してもこのような取組みがなされるべきではないか。
韓国側からもドイツでの基金を参考にした柔軟な解決策の提示もなされている。判決の執行では真の解決とはならない。恨みが残るだけだ。


醸楽庵だより   1530号   白井一道

2020-09-25 12:59:17 | 随筆・小説



 森崎東映画監督を追悼する



 今年7月に亡くなった森崎東監督は、特に感銘を受けて夢中になって鑑賞した作り手だ。近年も、名画座の特集上映の際には中年はもちろん、若い男女の客からも容赦なく涙を搾り取っていた。わたしのようにすれてきて、古いコメディでこれみよがしに笑う客がキライだったり、古臭い人情噺には警戒心を怠らなかったりする人間ですら、森崎作品となると映画館の中で嗚咽が止められない。「泣かせる映画が良い」という話ではなく、森崎監督の作り出す映画は、どれもなにか尋常ならざる力で観客の心に波風を立てて、怒涛の如く平常心をなぎ倒していくのだ。抵抗したくてもアヴァンタイトルの映像がもはや魅力的で、アッと思った時には心を持っていかれている。とにかくその作品はエモーショナルで、下層社会への共鳴が深く、社会問題へ内側から鋭く切り込むような視点は他の追随を許さない。
これを読んでいる方々がこういった前口上に興味を持って、いざ配信で観ようとすると、そのタイトルで手が引っ込んでしまうかもしれない。「喜劇 女は度胸」「生まれかわった為五郎」「女咲かせます」……こんなすさまじくダサいのばかり。しかし映画本編は内容から細部の設定まで、現在に至っても最先端の問題提起が輝いている。たとえば森崎東の映画には、必ずセットや実際の建物に至るまで、廃品回収業者の人々が多く住んだ集落が映り込む。本数の多さからしてもたまたま見つけた気まぐれなロケなどではなく、撮影を行う地域の貧困集落をリサーチしているとしか思えない現場の見つけ方だ。かなり早い時期からダークツーリズムに取り組んだ映画監督として、「ハイパーハードボイルドグルメリポート」のような危険な場所への潜入撮影の先駆者といえる。
登場人物たちもストリッパー、ヒモ、ヤクザ、日雇い、斡旋師、原発作業員、実在した集落全体で泥棒をやっていた集団など、ちょっと(あるいは大きく)主流から外れてしまった者たちが主人公として描かれる。 松竹時代のストリッパーものでは森繁久彌とその妻役の中村メイコといった女優陣が、「新宿芸能社」という御座敷ストリッパーの斡旋業を営むシリーズが代表作だ。「喜劇 女は男のふるさとヨ」では、ストリッパーを志し、お金がないから片目ずつ整形をしていく緑魔子が不思議で可憐だった。緑魔子は薄幸さが似合う女優で、本作での彼女は街で出会った落ち込んだ青年を励ますために、なけなしの施せるものとして自分の体を与えようとしたところ、売春容疑で捕まってしまう。
一方、生まれ育ちはそういった界隈ではないのに、ある日社会の歯車から外れてしまって迷い込んでくる青年たちもいる。森崎作品でそんなドロップアウト組を演じる財津一郎がまた絶品だ。洗練された知的な青年なのに、ある日なぜか不思議の国のアリスのように、今まで見えていなかった下層社会に足を取られたようになる。そもそも森崎東は脚本も書く監督で、渥美清の「男はつらいよ」シリーズのキャラ作りに携わっていた。寅さんも下町の不良少年がテキヤの商いをするという、みずから流れ者になっている男だ。
今は時勢が荒んではいるけれど、多くの人が会社員となったり家業を継いだりして、死ぬまでが想像できてしまう生活に入るものだ。その日常は冒険がない代わり、安定した人生設計ができる。それはかけがえのないもので、多くの人がそうやって暮らしていっているのに、みすみす安定から脱落していく者たちはついていない、危うい星の下に生まれているのかもしれない。そんな上手く立ち回れない人間たちに対し、森崎映画は優しい。
森崎東の作品がフィーチャーするのは、一般的には非日常な仕事や暮らしを営む人々で、それは昔から周縁に広がっていた最後の手段的な社会といえる。ドロップアウトしても、気力さえあるうちはなんとか生きることの出来る場所。それは表の世界からは封をするように隠され、福祉の手が十分に行き届かなかったりする。福祉というのも表社会のルールに則って得られるものだから、周縁の社会に寝起きする暮らしの中では、不器用で保護を受けることすら難しい断絶もあるのだ。我々の生活と重なりながら別の層を作る、そんなマージナルな土地で猥雑に生きる人々を捉えたのが、森崎東の映画だった。

 映画評論家 真魚八重子


醸楽庵だより   1529号   白井一道

2020-09-24 12:26:20 | 随筆・小説



  日本の現実を知らいない自民党議員がいる



 二階俊博氏、叩き上げの庶民派扱いだが庶民の現実に疎い。資産家の政治家でも、庶民の生活実感、年金不足への危機感を感じ取ることができるなら、国民は政治に期待を託すことができる。だが、住居費も交通費も税金で賄われ、飲み代は政治資金、金銭感覚が完全に麻痺した政治家たちに、国民の痛みは分かるまい。
 いわゆる“老後資金2000万円不足問題”で、「年金がいくらとか自分の生活では心配したことありません」と言い切った麻生太郎氏。「福岡の炭鉱王」の御曹司として育ち、祖父は吉田茂・元首相。若い頃からカネに不自由したことはなく、学習院大学時代にはクレー射撃で当時の大卒初任給の4年分にあたる100万円を年間の弾丸代で使っていたと自慢げに語っている。
 また、安倍首相も岸信介・元首相を祖父に持ち、経済的に恵まれた家庭で育った。成蹊大学時代は赤いアルファロメオを乗り回していたという。
 世襲議員が多い政府・与党幹部の中で“叩き上げの庶民派”と見られがちな二階俊博・自民党幹事長も庶民の現実が見えていない。
「食べるのに困るような家はないんですよ。今、『今晩、飯を炊くのにお米が用意できない』という家は日本中にはないんですよ。だから、こんな素晴らしいというか、幸せな国はない」
 昨年6月の講演でそう語ったが、現実には日本の子供の「7人に1人」が貧困状態にあり、生活保護を打ち切られて「おにぎり食いたい」と書き残して死んだ北九州市の事件をはじめ、毎年、少なからぬ餓死者が出ている。
資産家の政治家でも、庶民の生活実感、年金不足への危機感を感じ取ることができるなら、国民は政治に期待を託すことができる。だが、住居費も交通費も税金で賄われ、飲み代は政治資金、金銭感覚が完全に麻痺した政治家たちに、国民の痛みは分かるまい。
 いわゆる“老後資金2000万円不足問題”で、「年金がいくらとか自分の生活では心配したことありません」と言い切った麻生太郎氏。「福岡の炭鉱王」の御曹司として育ち、祖父は吉田茂・元首相。若い頃からカネに不自由したことはなく、学習院大学時代にはクレー射撃で当時の大卒初任給の4年分にあたる100万円を年間の弾丸代で使っていたと自慢げに語っている。
 一方、2007年に発覚した次のような事件がある。
生活保護を止められた受給者が「おにぎり食べたい」と書き残して餓死した事件であると聞けば、なんとなくご記憶の方も多いであろう。
日本の生活保護の在り方に大きな一石を投じた事件であり、 生活保護が話題に上ることが多くなった昨今、知っておくべき事件であると思うのだがいかがだろうか。
事件の背景はかつて、北九州市長は谷伍平という人物がいた。谷が市長であった当時、北九州市では暴力団による生活保護の不正受給がしばしば行われ、 生活保護の受給率は全国トップになっていた時期があった(暴力団の不正受給は今でもあちこちで問題になっている)。 もちろん、谷市政の下で暴力団の不正受給を取り締まるなど、まともな施策もちゃんと行われ、受給率を下げる成果は出ていた。
ところが、谷は「生活保護は人間をダメにする」とも言い出すようになり、 不正受給の取締りや生活保護脱出のための就職支援を通り越して、 正当な受給も受けづらくなっていき、現場の福祉事務所にもそのような空気が行き渡っていってしまったのである。
ちなみに、受給者の9割は高齢や病気などで最初から働くこと自体が不可能な人たちであった。(9割というと多いと感じるかもしれないが、全国平均と大して変わらない)。谷は1987年には引退したが、次の市長である末吉興一市長も実質谷の後継者であり、生活保護政策についても谷を踏襲していた。そのような生活保護行政の在り方は、以前から関係者に危機感を持たれていた。
 実際、受給者を増やさないために担当者の違法な申請拒否(申請を審査で落とすのではなく暴言を吐いて追い返すなど)が起こっている。こうした担当者の行動は単なる一担当者の個人的な暴走ではなく、市の方が組織的に違法な申請拒否を行っていた。2006年には、北九州市での生活保護が受けられず孤独死した事例が一部マスコミによって報道されていた。だが、北九州市サイドはこれらは偏向報道であるとして、報道と対決する姿勢を見せている。


醸楽庵だより   1528号   白井一道

2020-09-23 06:27:00 | 随筆・小説


「政治は希望であってほしい」

   親安倍派からバッシング受け続けた伊藤詩織さんの新政権への思い
 
 性暴力被害を訴えた伊藤詩織さんの事件で、準強姦容疑で告訴された元TBS記者に逮捕状は出たが、執行されず官邸によるもみ消しが疑われた。執行されなかった経緯は安倍政権が残した疑惑の一つになっている。伊藤さんは、安倍政権の「負の遺産」を引き継ぐ菅新政権をどう見ているのか。AERA 2020年9月28日号の記事を紹介する
菅義偉氏が路線を継承するという安倍政権下では、数々の疑惑がありました。伊藤さんの周辺でも、官邸の関与が疑われる案件が起きました。
 2015年に元TBS記者から性被害に遭い告訴しました。逮捕状が出たのですが、結果的に執行はされませんでした。刑事は不起訴となり、民事は一審で勝訴しましたが被告が控訴して係争中です。逮捕状については、なぜ執行されなかったのか説明を求めてきましたが、いまだに原因は分かりません。
──当時警視庁刑事部長だった中村格・警察庁次長が執行を止めたと報じられています。中村氏は菅氏の元秘書官で、告訴した男性は安倍総理と非常に近い記者でもありました。
──菅義偉氏が路線を継承するという安倍政権下では、数々の疑惑がありました。伊藤さんの周辺でも、官邸の関与が疑われる案件が起きました。
 官邸の関与については私の方からは何とも言いようがありません。ただ、突然、刑事部長の判断で執行が止まったという話は、誰に尋ねても「聞いたことがない」と言います。「なぜわざわざ刑事部長が?」という疑問もあります。説明は今でもしてほしいと考えています。このようなことは個人として経験した問題ですが、今後他の人にも同じことが起きるのでは、と心配しています。
■分断が生むバッシング
──事件は政治的な色みも帯びて、伊藤さんは“親安倍派”と言われる人たちから強いバッシングを浴びました。なぜだと考えましたか。
 18年に事件を扱ったドキュメンタリー番組が英国のBBCで放送されました。大きな反響があったのですが、日本で受けたような批判は出ませんでした。ここまで受け止められ方が違う理由は、日本国内での政治的な分断にひも付いているのかなと感じています。「こんな訴えを起こすなんて伊藤詩織は朝鮮人だ」というデマまで流されました。どこの国の人間かは事件に関係ないのに、そのようなデマが出たこと自体が不可解に感じました。
──分断を生んだ安倍政権を引き継ぐ菅氏は、日頃の会見でも質疑がかみ合いませんでした。事件を通じて権力とメディアとの関係をどう考えましたか。
 メディアの役割は「権力の番犬」だと思いますが、日本の記者会見を見ているとどういう姿勢で彼らが番犬としての役割を果たしているのか、と疑問に思うこともあります。日本の「報道の自由度」のランキングが低いのも、こうしたことに根ざしているのだと思います。
──ご自身の事件とは関係なく、今回の総裁選ではどのような点に注目されていましたか。
 政治は人々の希望であってほしいと願っています。コロナ禍では多くの方々が大変な状況に追い込まれていますが、ぜひ迅速で的確な対応をしてもらい、国民ひとりひとりが政治に希望を感じられるような政権運営をお願いしたいと思っています。
(聞き手/編集部・小田健司)

醸楽庵だより   1527号   白井一道

2020-09-22 12:13:05 | 随筆・小説




 大沢真理東京大学名誉教授の話

 一貫して強者に優しく弱者に冷たい社会保障改革が行われた


 安倍政権下の社会保障政策を一言で言い表すとすれば、このタイトルに尽きるだろう。問題は国民の間でそれが必ずしも広く認識されていないことなのではないか。
 以前、この番組で、「アベコベノミクス」という名言で安倍政権の経済政策を評した東大名誉教授の大沢真理氏は、安倍政権は給付抑制と負担増が徹底して行われた7年8カ月だったと指摘する。また、その中でも特に低所得層に対する負担増が顕著だった。実質賃金が低下するなかで、労働時間あたりの報酬額は先進国のなかで日本だけ伸びていない。社会保障関連の政策では、制度の持続可能性という言葉で給付抑制が図られてきた。
 税制についても、より格差を広げる形で制度改正が行われてきた。低所得層ほど負担増となる逆進性が強い消費税を5%から8%、そして10%へと増税する間に、個人所得税はむしろ累進性を緩和し、富裕層の税負担を軽くする税制改正が、継続的に行われてきた。その間、企業法人税も減税されている。富裕層と大企業の優遇は、この政権の常に一貫した政策方針なので、年表にまとめてみれば一目瞭然になるのだが、各年ごとの変化はそれほど大きくないため、ゆでガエルよろしく、個々人の負担がどれだけ増えているかに気づきにくい。昨今は、そのような長期的な視野に立った報道もほとんど見られなくなってしまった。
 真に経済成長を図るためには、まず何よりも貧困を削減し、低所得層の所得を底上げすることで家計消費の増大を図る必要がある。格差是正こそが成長につながるというのが、今やOECDでは共通の認識となっているが、安倍政権の経済政策はとうの昔に陳腐化している。富裕層を富ませばその恩恵が社会全体に滴り落ちてくるとされる「トリクルダウン理論」を未だに信望しているようだと、大沢氏は指摘する。
 また、安倍政権では官邸一強の弊害ともいうべき官僚機構のイエスマン化も、経済政策の決定過程に暗い影を投げかけている。内閣府は、毎年の予算編成の大きな方向性を示す「骨太の方針」を取りまとめる経済財政諮問会議に対し、「社会保障分野での安倍政権の成果」と銘打った資料を去年9月に提出しているが、これは正にタイトルが物語っているように、政権にとって都合のよいデータばかりを並べた広報資料以外の何物でもない。そのようなものを元に打ち出された予算の妥当性には大きな疑問符が付く。せめて「成果と課題」くらいにできなかったのだろうか。
 自助を強調する安倍政権の下では、公的な社会保障でカバーしきれない部分は、国民各々が自分で何とかすることが前提になっている。その証左の一つとして、福田康夫首相の下で設置された「社会保障国民会議」で、現行の社会保障制度には問題があることが指摘され、それを強化していく方法が議論され始めていたが、第二次安倍政権になってから、それまで同会議の大きなテーマだった「社会保障の機能強化」という言葉は、完全に会議の議題から消えてしまったと、大沢氏は指摘する。
 「国難」とまで呼ばれた少子高齢化についても、そのスピードを低下させる政策は打ち出されず、最新の数字では年間出生数は過去最少の90万人を切り、出生率も1.36にとどまっている。女性活躍、一億総活躍、全世代型社会保障と選挙のたびに次々に掲げられた方針も、その後その成果が検証されという話は聞こえてこない。
 安倍政権の検証第4回は社会保障と税をテーマに、大沢真理氏の独自のデータ分析を交えながら、大沢氏と社会学者・宮台真司氏、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。


醸楽庵だより   1526号   白井一道

2020-09-21 14:24:12 | 随筆・小説



 菅内閣の支持率 74%  読売新聞



「菅内閣の発足を受けNNNと読売新聞がこの週末に行った世論調査で、菅内閣を支持すると答えた人は74%でした。調査で、菅内閣を「支持する」と答えた人が74%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は14%でした。
内閣発足時に調査を行うようになった大平内閣以降では、小泉内閣や鳩山内閣に次いで3番目に高い支持率です。支持する理由については、「他によい人がいない」が30%、「政策に期待できる」が25%などとなっています。
安倍前総理大臣が進めてきた政策などを菅総理が引き継ぐ方針であることについては、「評価する」が63%だったのに対し、「評価しない」は25%でした。閣僚人事については、全体として「評価する」が62%で、「評価しない」の27%を大きく上回りました。菅内閣に優先して取り組んでほしい課題についてたずねたところ、「新型コロナ対策」が最も多く34%、次いで「景気や雇用」が23%、「社会保障」が12%などとなっています。
衆議院の解散・総選挙の時期については、「任期満了まで行う必要がない」が59%だったのに対し、「来年前半」が21%、「ことし中」が13%となっています。〈NNN・読売新聞世論調査〉
9/19~20 全国有権者に電話調査
 固定電話 552人(回答率60%)携帯電話 523人(回答率46%) 合計 1075人が回答」

 このような「日テレnews24」電子版を読んだ。このような記事が世論を作っていく。電話では具体的にどのような質問をしたのかが書かれていない。叩き上げ、秋田の雪深い農村から出て来て、苦学して大学を卒業し、横浜市会議員から衆議院議員になった菅さんをどう思いますか。などと質問したのかもしれない。
 アベノミクスによって、日本経済を発展させた安倍前総理大臣が進めてきた政策などを菅総理が引き継ぐ方針だと言っています。このことをあなたは評価されますかと、読売新聞社に雇われた臨時職員は質問したのかもしれない。
 取り組んでほしい政治課題はいろいろあるかと思います。新型コロナ対策とか、特にコロナ禍のため、傷んだ景気や雇用、社会保障などいろいろあるかと思います。何を一番に取り組んでほしいですかと、質問しているのかもしれない。
 読売新聞社は世論調査によって世論を作っている。読売新聞電子版ニュースを読んで菅内閣は国民から高い支持を得ているということを読売新聞社は宣伝していると私は思った。
 菅内閣はまだこれといった施策を何もしていない。ただ不安を持っている国民に対して菅内閣は国民が安心して任せられる政権だという事をプロパガンダしているに過ぎない。新聞、テレビのニュースは国民への政府のプロパガンダに過ぎない。国民世論は新聞よりテレビニュースによって作られているように感じている。
 新聞、テレビが政府のプロパガンダ機関に成り下がっているのか、どうか、分からないが、新聞の発行部数は減少し続けている。テレビもまた視聴率は下がり続けているようだ。
 [かつては、「読売1000万部」、「朝日800万部」などと言われた。ところが、読売はまもなく800万部の大台から脱落する情勢で、朝日はすでに600万部を切っている。
18年7月
発行部数  前年同月比
朝日 5,841,951  − 325,986
毎日 2,733,053  − 225,206
読売 8,386,497  − 385,198
日経 2,407,722  − 292,840
産経 1,464,724  − 56,991
 右の表で着目すべき点は、前年同月比の著しい減部数である。
 読売がこの1年間で約39万部を減らしたのを筆頭に、朝日も約33万部を減らした。毎日は約23万部の減部数。毎日の総部数が約270万部であることを考慮すると、減少の規模は読売や朝日よりも大きく、もはや「危篤」寸前だ。
 日経に至っては、総部数の約240万部に対して年間の減部数が朝日なみの約30万部であるから、尋常ではない。しかも、2017年10月から11月にかけての日経のABC部数を調べてみると、信じがたいことにひと月で一気に約24万も減らしている。〕my news japanより